第2話 ―事故物件― ②
アイラス=チックタイアは悩み、疲れていた。
しかし、それでも伝えなくてはならない。
任された役目を果たすために――
§ § §
「ナツメ所長、少しお時間をよろしいでしょうか」
「おぅ、どうしたのさアイちゃん。急にかしこまっちゃって、何かあった?」
ソファに横たわり、片肘をついてのんびりと返事する長身の女性。
彼女こそが「魔道探偵ナツメ事務所」の主、ナツメ・カナワである。
-----------------------------------------------------------------------------------
ここで、読者のみなさまに補足をさせていただきたい。
ナツメ・カナワ――日本語表記は「鉄輪ナツメ」
平成生まれの日本人、24歳。相棒の斉藤雄介 (ユースケ・サイトー)と共に、
現代日本からこの世界に流れ着いた異邦人である。
なぜこの世界に漂着したのか、その理由は本人たちにもまったく見当がつかない。
それでも彼らは、この世界の住人にとってすら馴染みのない「魔道探偵」なる稼業を立ち上げ、どうやらそれなりに楽しくやっているようだが、はてさて――
-----------------------------------------------------------------------------------
「事業所登録のための書類を作り終えたので、そのご報告を」
封筒を差し出すアイラスに、ナツメはぱっと身を起こし、嬉しそうに目を細めた。
「もうできたんだ。早いねぇ」
「書類の提出はナツメ所長か、ユースケさんにお願いします。わたしは未成年ですので、公的な手続きはできませんから」
アイラス・チックタイア――このとき御年十四歳。
ほんの一週間ほど前、この事務所に雇われたばかりである。そんな彼女の初仕事は、事業所登録をサボっていた所長と助手に代わり、役所に提出する書類を一から整えることであった。
「了解、任せておいて!」
ナツメは白い歯を見せ、勢いよく書類を受け取ると、
「それじゃユウちゃん、提出よろしくね」と、そのまま豪快にパス。
しかし、ユースケもまたさる者であった。
「えー、いま忙しいんだけど」などと宣い、向かってきた書類を華麗にスルーして見せたではないか。
分厚い眼鏡に癖っ毛がトレードマークの彼は、ナツメ所長から直々に「助手」の肩書を与えられている。
だが今は、最近ここに居ついた黒猫と戯れるのに夢中なのだ。
その無責任ぶりに痺れを切らしたナツメは、フィールドの外に転がり出た書類を拾い上げると、ユースケの顔面めがけて投げつけた。
ぴしゃん!
「ネコと遊んでいるだけじゃん。行きたまえよ。こんなこと言いたかないけど、今のユウちゃんはたんなる給料ドロボーだってことを自覚した方がいい」
「くっ……わかったよ、行きますよッ!」
鼻を抑えながら、ユースケは恨めしげな視線を送る。
「――でもね、僕が提出しちゃったら、ナツメさんこそ給料ドロボーに成り下がるんだからね! なにが名探偵だよ、聞いて呆れらぁ!」
「ぐぐっ……しょうがないでしょ。客が来なきゃ名推理も披露しようがない!」
一見、不毛なボールのぶつけ合いに見えるが、そこだ。
アイラスの苦悩はそこにある。
「あの、少しまじめなお話をしてもよろしいですか」
そう声をかけられ、ナツメとユースケはバツの悪そうな顔でアイラスを見返した。
「財務諸表を作っていて気がついたのですけど、この事務所の経営、うまくいっていないですよね?」
給料ドロボーたちの沈黙は、この上ない肯定に他ならなかった。
「開所してからもう半年になりますけど、ちゃんとした依頼がゼロというのは、率直にもうしあげて危機的状況だと思います」
「あ、うん、実はうすうす気がついてた……」
「あたしもあたしも! ちょっとまずいかなーって思ってた……」
まっさきに頷くユースケに、便乗するナツメ。
アイラスはそんな彼らを一瞥して、ひとつ咳払いをすると――
「個人的な意見ですけど、まずは事務所の知名度を上げるべきだと思います」
「お、表の看板だけじゃダメ?」
ナツメが恐る恐る尋ねたが、財務省の回答は容赦がない。
「足りないと思います」
「口コミを期待していたんだけど……」
「実績が無いのに、ですか?」
「……」
しゅんとする二人を見て、アイラスは若干口調を和らげた。
「お二人がすごい魔道士であることは、わたしが一番よくわかっています。だから、それを世間にも知ってもらえるよう、行動してみてはどうでしょう」
この若さで上司に飴と鞭を使い分けるとは、末恐ろしい娘である。
「おお、さすがはアイちゃん。で、で、あたしたちはいったいどうすれば?」
生気を取り戻したナツメは、恥も外聞もなくアイラスに寄りかかる。
「たとえば、魔道に関わる問題を抱えていそうな企業に直接アピールしてみるとか。魔道具製造業、不動産業、製薬業……いろいろあると思いますよ」
「よし、やろう!」――ナツメの決断は素早かった。
「で、誰が?」――ユースケの反問も迅速であった。
「あたしとユウちゃんに決まっているでしょ」
「無理。知らない人と話をするとか、絶対無理!」
「ええい、そうだった! ならユウちゃんはお留守番、あたしが行く!」
「ナツメさん、かっこいい!」
「とにかく、あたしたちの凄さをアピールすればいいんだよね!」
「ばっちりだよぉ! ナツメさん!!」
「ヨシ! ちょっと見てなよ!」
助手のあからさまなヨイショに乗せられ、所長は勢いよく部屋を飛び出した。
次の瞬間――妙な節をつけながら、モデル歩きで戻ってきたではないか。
「オフィスの~ドアを~バンと開けて♪ 社長の~前で~机をドン♪」
そして、サムズアップ&決め顔で言ったのだ。
「よろしく、魔道探偵ナツメ事務所!」
「いける! いけるよナツメさん! これならマネーの虎だってイチコロだよッ!」
何をもって「ヨシ!」だと言うのか。
そして、何をもって「いける!」と言うのか。
貴族の端くれとして経営学の手ほどきを受けてきたアイラスからすれば、もはや存在が許されないほど低レベルな茶番である。
彼女は悟った――この二人に任せておいてはいけない。
「まずはわたしが行きますから、お二人はここで待っていていただけると……」
そう提案するアイラスの肩に手を置き、ナツメは静かに首を振る。
「いやいや、未成年を外回りに出すわけにはいかないよ。ここは所長であるあたしに任せなさい。むはは」
その言葉は、史上もっとも無価値なリーダーシップに満ち溢れていた。
(心を鬼にしてでも、「時間の無駄です」と伝えるべきだろうか……)
アイラスの心は、ただただ消耗するばかり。
――その時であった。
りぃぃぃぃぃん
空気を震わせる呼び鈴の音。
「あれ、今日って、誰か来る予定なんてあったっけ?」
「いや、僕は聞いていないけれど……」
互いに探り合うような沈黙の中で、アイラスが控えめに口を開いた。
「もしかして、依頼人がお見えになったのではありませんか?」
その一言に、ナツメとユースケは思わず吹き出してしまう。
「プークスクス、まさか、そんなわけないでしょ!」
だが、様子を見に行ったユースケは、数十秒後、息を切らし全力で戻ってきて、
こう叫ぶことになるのだ。
「依頼だって! 身内でも動物でもない、完全新規の人間のお客さんだよ!」




