第2話 ―事故物件― ①
イノサン=バンクスは悩み、疲れていた。
そして、文字通りの意味で傷ついていたのである。
青年の頭には包帯が巻かれ、右腕は骨折しているのか、三角巾で吊られている。
彼は、黙々と強い酒を飲み続けている。
酔いが回ったのだろうか、あるいは慣れない左手であったせいか、その手からグラスがこぼれ落ちる。
彼は慌てたが、そのグラスは、別の誰かの手によって受け止められていた。
褐色のしなやかな腕。
驚いたことに、酒は一滴もこぼれていなかった。
その腕の持ち主は、グラスをイノサンの目の前にそっと置くと、言った。
「良くない飲み方をしていたから、気になっていたの」
まず目がいったのは、深紅のワンピース。
そして、それに負けないような美しい緑の瞳。
イノサンは、かくも美しい女性を見たことが無かった。
「すみません、気を使わせてしまって。いろいろとツイていなくて……」
「ふうん、何があったのかしら」
「わけがわからないこと。言っても信じてもらえませんよ」
「聞きたいわ」
「他人からしたら、きっと、途方も無くバカげた話です。それでも?」
「それでも、聞きたい」
そこでイノサンは、彼の身に降りかかった「ツイていないこと」を全て話した。
赤いワンピースの彼女は、静かに、時に頷きながら、彼の話を聞いていた。
「……というわけです。笑っちゃうでしょう? ありえませんよ」
彼女は、話を終えてそう自嘲するイノサンの目をじっと見つめると、
「ありえない話ではないわ。ただ、因果が入り組んで複雑に見えるだけ」
そう言い切った。
決して、強い口調ではない。
それでも、なぜか彼女の言葉は、神託のようにイノサンの心に沁みこんだ。
まるで、曇っていた意識に陽が差し込んだようであった。
「で、では、私はどうすればいいでしょうか?」
イノサンが、縋りつかんばかりに尋ねると、彼女は、厳かに言うのであった。
「そうねえ……今晩のおすすめメニュー『鮭のムニエル』と『鯛のアヒージョ』を
両方ともおごってくれるなら、教えてあげなくもないわ」
女神は、どうやら魚がお好きらしい。




