―家出娘と猫と指輪― ②
「ああー、こりゃかなりしみるよ。覚悟してね」
「痛っ! ひっ……予想していたよりずっと痛いぃぃ……」
ユースケが涙目になりながら、頬の引っ掻き傷の治療を受けている。
「まさか【実体】に直接話しかけられるとは思っていなくて、その……びっくりして反射的に手が出てしまいました……どうかお許しあれ」
来客用のソファーにどっかりと横たわった黒猫――すなわちミーシャが尻尾をゆらしながらそう言うと、ユースケは、
「いやいやいやいや、こちらこそ失礼しました!」
と、なぜか嬉しそうに詫びる。
言うまでもなく、ユースケは猫好きであった。
「それにしても、お二人の魔道には恐れ入りました。まさか人間ごときにわらわの【幻影投射】の術が見破られるとは……ほんにお恥ずかしい限り」
「まあ、我々は魔道探偵ですから、それぐらいはたやすいことです」
ナツメは、さも当然といったような顔で告げる。
実のところ、ナツメとユースケは、異世界からの流人であるため、この世界の万物に循環するエネルギー(魔力)の影響を受けることがない。
そのため、ミーシャが魔力を利用して映し出した「人間の姿」を視認することができなかっただけのことなのだ。
だがナツメは、そんな自身の特異体質を、わざわざ他者に伝えることはしない。
相手が勘違いをしてくれた方がなにかと都合がいいからだ。
「それで、ええと、なんとお呼びすればよろしいでしょう?」
「宿主からはミーシャという名で崇め奉られております。どうぞよしなに」
ナツメがユースケに耳打ちする。
「ネコってさ、喋らないほうがいいよね」
「えー、そうかな? かわいいからいいよ」
ナツメは、ユースケの痛む方の頬を小突いてから、ミーシャに問いかける。
「それではミーシャさん、あなたがここに来た理由をお聞かせください」
それを聞いて、ミーシャの瞳がまんまるに開かれる。
「そうでした!あの子が、わらわの宿主が誘拐されてしまったのです。早く助けてあげないと!」
ユースケは、痛む頬を抑えながら、
「それなら警察に行った方が良いですよ。タダですし、ウチなんかよりずっと信頼できますから」
と親身にして的確無比なアドバイスをするが、ミーシャは、「それはできないのです」と言って聞かない。
「……あの子は、その……密入国者なのです」
ユースケは、目を閉じ、頭をコンコンと指でノックする。
これは、彼が何かを思い出すときの癖なのだ。
「あの、ちょっといいですか。この国では、入国審査を実施していません。だから、基本的に“密入国”が罪に問われることはないんです」
「あ……それに、家出娘なのです」
「移民同士のコミュニティが発達していますから、その案内どおりに手続きをすれば、家出娘であっても簡単に仮市民権を取ることができるはずですよ」
ユースケがそのように事実を並べると、ミーシャは黙ってしまった。
ナツメが優しく語りかける
「時間がないんですよね。だったらなおさら、全てを話してもらわないと」
「……でしたら、一つだけ約束をして。わらわの話を聞いたからと言って、あの子を誰かに引き渡すようなマネはしないでいただきたいの」
「ええ、もちろん。魔道探偵ですから。『秘密を守ること厳のごとし!』と表の看板にも書いてあったでしょう」
そこまで聞いて、ようやく決心がついたらしい。
黒猫は渋々口を開いた。
「あの子……アイラス・チックタイアは、つい最近14歳になったばかり。それに、両親は北大陸でそこそこの貴族だから、アイラスの行方について、今頃それなりの懸賞金が出ているのではないかしら」
「すると、誘拐犯というのは……」
「賞金稼ぎのたぐいかもしれないし、そうではないかもしれない。どちらにしろ放ってはおけないわ」
(なるほど、この国では確か16歳で成人だから、警察を頼れば、おそらくその身は保護されて、そのまま母国に送り返されることになる。どうしたものかねえ……)
ナツメは両腕を組んで天を仰ぐ。
そして……
「わかりました。アイラス氏に懸けられた賞金と同程度の額をいただけるのであれば、今すぐ救助に向かいましょう」
その言葉を聞いて、ミーシャの眼光が鋭くきらめく。
「何が『心安らぐ料金設定』よ。看板に偽りあり、ね」
「こちらも慈善事業じゃありませんので」
「まあ、いいわ。お金なんていくらでも……」
そこまで言って、猫はハッと息を呑む。
おずおずと、上目遣いにナツメの顔を覗き込んで――
「ところで、これ、何に見えるかしら?」
彼女が前足で指し示した先、来客用のテーブルの上には、ピンポン玉ほどの石ころが置かれていた。
「ただの石ころに見えますが……」
「そうよねえ」
ミーシャが溜息をつく。
「これ、わらわの【幻影投射】で、凡夫にはエメラルドに見えるようにしてあるのだけれど、ダメよねえ」
「……ダメですね」
「あ、じゃあ、ただの石ころですけど、これが報酬でどうかしら?」
「……開き直っても、ダメです」
「ほら、ここらへん、少しキラキラしているのよ」
「……わーすごい。キラキラしていますね」
ナツメはそう言うと、応接室の扉を開き「どうぞお引き取りを。警察署は3ブロック北に行ったところにありますので」と事務的に告げたのであった。
(ナツメ所長、手強し!)
そう判断したミーシャは即座に戦術を切り替えた。
ユースケの足元にすり寄り、か細い声で鳴いたのである。
「にゃーん、にゃーん」
なんとあざとい所業であろうか。
だが、効果は覿面であった。
「……ナツメさん、助けてあげようよ」
「ユウちゃん、この一件は所長としてお断りしたいんだけどな」
「僕、ねこ族には優しくするってゲッシュを立てているんだ」
「は?月収?……ああ、ケルト神話がなんちゃらってあれ!?」
「そう、ゲッシュとは己に課した鋼の誓約! 守る限りは神の祝福が与えられるが、ひとたび背けば、破滅をもたらす呪詛がその身に降りかかるのだ!」
「神の祝福、ねぇ……。だったら、これまでどんないいことがあったのさ」
「今、こうして異世界で、ねことお喋りできたじゃないか! しあわせ!」
「どっちかっていうと呪いじゃないの、それ? ……あれ、前もこんな話をしなかったっけ?」
ユースケは、ミーシャが(まじめにやれ)と言わんばかりの目で見ていることに気が付き、
「まあまあ、それはひとまず置いておいて。ねえ、ナツメさん。ここで損得を勘定してみようよ。まず、ここでミーシャさんを追い返した場合、僕たちが得るものはゼロだよね」
「少なくとも損はしないから、その選択がベストだと思うけどな」
「じゃあさ、アイラスさんを助けた場合のことを考えてみよう。もし、アイラスさん自身が払うアテがあるならば、それで僕たちにはメリットがある。払うアテがないようであれば、その時は彼女の実家に連絡して報奨金をもらえばいいんじゃないかな」
「それはそう!」 とミーシャが声を上げる。
「よく考えたら、お代を支払うべきは、わらわではなくアイラス本人というのが道理。それにあの子、けっこうしっかりしているから、それなりのお金を持ってきていた気がするわ」
ユースケは、その発言に「は、はぁ」と生返事をしてから――
「それにさ、誘拐した連中が賞金稼ぎならまだいいけど、そうじゃなかったら怖いよね。ここまで事情を聞いてしまった以上、アイラスさんの身に何かあったら後味が悪いじゃない」
「わかったわかった。料金は後払いってことでいいよ」
そう言うナツメは、いつの間にか出撃の準備を済ませていた。




