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魔道探偵ナツメ事務所  作者: 吉田 晶
第0.5話 ―キタブ・アッカの箱―

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―キタブ・アッカの箱― ⑥

 そのころ、箱に吸い込まれたアルバートはどうしていただろうか。


 彼は、冥闇の中をただひたすらに流されていた。


 最初、それは激しい流れのように感じられた。だが、次第に穏やかになり、いつのまにか地に倒れ伏していることに気が付く。わずかな光も届かないため、目で確かめることはできないが、どうやら足下は石畳のようだ。


(いてて……ひどい目にあった……)


 そっと身を起こそうとして気が付いた。どこで落としたものか、足から御自慢の靴が失われている。


(何と、セルジャダンカンの一点物だったんじゃぞあれは!? ああ、あの時あんな箱さえ見つけなければ、こんな惨めな気持ちになることも無かったのに……)


 そこで、アルバートは正気に戻った。


(――いや、靴どころではない! かなりの危機的状況だぞ!?)


 とっさに周りの気配を窺う。

 しかし、耳や鼻からは、めぼしい情報を得ることはできない。


(こう暗くてはどうにもならん。【灯火】の魔道を……いや待て、どんな罠があるか分からぬ。これは、大人しく助けを待った方がよいかな。ナツメとユースケは、少なくとも(わし)を見捨てるような奴らではないからな)

 

 そう判断したあたりで、視界が急に開けた。

 灯がついたのだ。


 アルバートの目に、情報が流れ込んで来る。

 自分がおよそ立方体の空間の片隅に位置していること。

 石壁、石畳、そして部屋の中央に設置された意味ありげな石柱――


 石柱はちょうど人の背丈ほどの高さがあり、良く磨かれた黒御影石のような素材で作られている。その表面には魔道文字が細かく刻まれているが、遠くて内容までは読み取ることができない。


(十中八九、触れて操作するタイプの魔道具に違いない)


 魔道士は、自らの経験からそう当たりをつけた。


 アルバートが部屋を観察していると、石柱を挟んで向こう側の壁から、重たくきしむ音がした。なにかと思って目をやれば、壁の一部がゆっくりと横にスライドし、その奥から、禿頭の老人が姿を現したではないか。


 道衣を身に着けていることから、彼もまた魔道士であることが見て取れる。

 老人は、胡散臭そうにアルバートを眺めると、こう言うのであった。


「ここから入って来たということは、おぬしがドライアン殿か。なるほどなるほど、話には聞いておったが、想像以上にかぶいた装いよのぉ」

「いや、儂は――」


 アルバートの反論を待たずに、老人は言葉を続ける。


「まあよい、宝を求めて来たのであろう。そのためには、【本鍵の試練】を受けていただく必要がある。それが、この箱に課せられた使命ゆえ――」

「御老体、御老体、ちょっと待ってくださらんか」

「なんじゃ、怖気づいたか」

「いえ、そうではなく……儂は、あなたの言うところの“ドライアン”という者ではないのです」


 老人は眉根に深い皺をよせた。


「おかしなことを言う。この箱は、アタラヌ家のドライアン殿以外には【鍵に至る手順】が分からぬようになっておるのだ。……まさか、ドライアン殿は宝の所有権を放棄されたのか!?」

 

老人の剣幕に気圧されながらも、アルバートはなんとか口を開く。


「いえ、そもそも、ドライアンという名前を今初めて耳にしたのですが」

「では、どうやって【鍵に至る手順】を知った?」

「その手順とは、箱に刻印されたアタラヌ家の紋章の下に書いてあった言葉、『我を開きし者に、尽くることなき富を授けん。追求者よ、二の指を鍵とし、富貴公の名を三度唱ふべし』――これで間違いないでしょうか」

「……そのとおりだ、文言も一致しておる」


 老人は、何やらブツブツとつぶやきながら石柱に触れた。

 何らかの魔道を行使しているようで、石柱が低い振動音を上げる。


 しばらくして、老人は頭を振りながらアルバートの元にやってきた。


「わからぬ。機能は正常に作動しておるし、付与した術式が損なわれた形跡も無い。おぬし、一体何者だ? どうやって箱の仕掛を見破った?」


 老人が、猛禽類を彷彿とさせる鋭い視線をアルバートに送る。

 その迫力は、歴戦の魔道士ですら()()()()()()ものだった。


「あ、いや、実は、それを発見したのは儂ではないのです」

「では、誰だ」


 老人が一歩前に踏み出す。それ応じてアルバートが無意識に一歩下がったその時、彼のすぐそばで声がした。


「土足で失礼。ほんの少しだけ、割って入らせてもらうぞ」


 声の出所に目をやると、そこには一人の少年が立っていた。

 アルバートは、とある奇縁によって、彼のことを見知っている。


「な、アガク大師!? どうしてかようなところに!?」

「ユースケとナツメに頼まれたのだ。アルバートよ、最近は苦労続きだな」


 アガクはそう言って、アルバートに靴を投げて寄こす。


 老人は、新たな闖入者ちんにゅうしゃを訝しげに見ていたが、すぐに何かに気付いたように目を見開いた。


「これはこれはアガク大師、いれものが変わっておったので気付くのが遅れましたぞ」

「久しいな、キタブ=アッカ。おおよそ200年ぶりになるか」


 アルバートはそこで気が付いた。


(この老人がキタブ=アッカじゃと!? まさか存命であったのか……)


 老人――キタブ=アッカはアガクに尋ねる。


「おや、外界ではもうそんなに時が流れましたか。その200年の間で、何か面白い

ことはございましたかな」

「天秤の番人が代替わりをしたことくらいだ」

「なんとまあ……それは前代未聞のこと、人類の半分程度は死に絶えましたか」

「そうなってもおかしくはなかったが、どうにか穏やかに決着した」

「それはまことに重畳……おっと、折角の再会を立ち話で済ますのはもったいない。どうぞこちらへ――」


 アガクとアルバートは、キタブ=アッカに導かれるまま、奥の間へと進んだ。

 そこはやはり立方体の殺風景な部屋であったが、石柱のあった最初の部屋と

比べれば、いくらか生活感が感じられる場所であった。


 三人が腰を下ろすと、それぞれの目の前には箱が置かれていた。


 その箱からは、カチカチカチカチと歯車がかみ合うような音がしている。やがて鈴の音が一つ鳴ると、自動的に蓋が開き、中では紅茶と蒸し菓子がホカホカと湯気を立てていた。


(え、得体が知れぬ……)


 どうやら箱は、電子レンジのようなものだったのだろう。しかし、この世界の常識からしてみれば、かなりユニークな魔道具であった。

 アルバートは、蒸し菓子を手に取り、覚悟を決めて口に入れる。


(だが、うまい……)


 そのしっかりとした甘味は、緊張の続いた心に染みわたった。

 自然と表情が緩む。


「お気に召されたようで何より」


 キタブ=アッカが穏やかに語りかける。アルバートは、その言葉に礼を述べると、どうしたものかとアガクに視線を送った。すると――


「キタブ=アッカよ。こちらはアルバート、私の友人だ。なかなか面白い男なので、今後ともよろしく頼む。そしてアルバートよ、キタブ=アッカのことは聞いているな。噂に勝る箱狂いだが、真に優秀な魔道士だ」


(儂がアガク大師の“友人”とは……いやはやなんとも……)


 アルバートは「はあ、よろしくお願いします」と答えることしかできなかった。

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