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魔道探偵ナツメ事務所  作者: 吉田 晶
第0.5話 ―キタブ・アッカの箱―

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―キタブ・アッカの箱― ⑤

「んん? “開け方”とは、いったい何の話じゃ?」


 ユースケの問い掛けが理解できず、アルバートは目をしばたかせる。


「この紋章の下のところに書いてある『開け方』のことだけど……」


 アルバートは、ユースケが指さした箇所を見つめるが――


「いや、(わし)には何も見えんが?」


 横から覗き込んだナツメが驚きの声を上げる。


「え、すっごい堂々と書いてあるけど……これ、開け方だったの!? いやいやいやいや、あたしだって『なんか書いてあるなー』とは思ったけどさぁ!?」


 ナツメは、この世界の文字をまだ読むことができない。なので、意匠化された文字を飾り模様か何かと思ったらしい。


「ナツメ殿にも見えるのか。さすれば、箱に眩術の類が付与されておるわけだな!」


 アルバートは、文字が書いてある場所に手を触れ、いくつかの魔道を試みる。


【魔道相殺】 ……〈miss!〉

【識別】   ……〈miss!!〉

【解呪】   ……〈miss!!!〉


「だめじゃ、()()()すら生じぬ。なんと見事なわざよ!」

「アルバートさん、それなら僕が読み上げてみるってことでいい?」

「ああ、もちろんだとも。任せたぞ」


 ユースケは、少し緊張した面持ちで、箱に記された文面を読み上げる。


「我を開きし者に、尽くることなき富を授けん。追求者よ、二の指を鍵とし、富貴公の名を三度唱ふべし」





「……ちょっと、ヤダ、本気で財宝が入っているってコト!?」


 ナツメの声は弾んでいた。


「落ち着けぃ、落ち着けぃ、無事に箱を開けるまでがクエストじゃ」


 そう言うアルバートの声も、心なしか震えている。


「ふむ、『二の指』は人差し指のことじゃな。これを鍵とし……鍵穴に当てろということか? はて『富貴公』とは? いったい誰を指しておる?」


「ん、たぶん『マンモン』の尊号のことじゃないかな」


 もじゃもじゃの髪を掻き回しながら、ユースケが答える。


「マンモンじゃと? 神聖学上における貪欲の魔神の名ではないか」

「創世神話では、崇拝者に富を授ける財神の側面も与えられていますね。ウェスタンブルでは、今でも信仰している人が多いそうですよ」

「……なるほど。言われてみれば、まことあの街にふさわしい神格であったわ」


 アルバートは、微塵の敬意も表さずにそう言い放つ。現代の魔道士の多くは無神論者であり、アルバートも例外ではないのだ。



               § § §


 

 念のため、解読した手順にそってユースケが開錠を試みたが、反応は無かった。


「予想どおりではあるけれど、やっぱり、【絶対零魔力】の僕たちでは駄目みたい。最後の最後でお役に立てなくてごめんなさい……」

「なあに、これで十分よ。それより、欲しいもののリストでも作っておいたほうが

よいぞ。儂はとりあえず今の仕事を辞めて、吟遊詩人にでもなろうかのぅ!」


 アルバートは、早くもニヤニヤ笑いが止まらない。


「それでは、行くぞ!」


 かくして、アルバートは人差し指を鍵穴に当て、富貴公マンモンの名を三度みたび高らかに唱えたのであった。




  ――しかし、箱は開かなかった。


 それどころか、アルバートの体が指先から鍵穴に吸い込まれていくではないか。あっというまに上半身が飲み込まれ、ナツメとユースケが駆け寄るころには、もう足先だけしか残っていなかった。それでもユースケは右足を、ナツメは左足をそれぞれ必死に捕まえる。


 ……だが、現実は無情であった。


 「すぽん」という気の抜けた音とともに、アルバートの全身は箱に呑み込まれてしまったのである。


 二人の手には、掴んでいたアルバートの靴だけが残された。



               § § §


 

 河原にぴゅうと吹いた湿風が、ナツメとユースケを現実に引き戻す。


 先ほどまでのお祭り騒ぎが、まるで夢の中の出来事であったかのように、静寂が

辺りを満たしている。


「どうしようユウちゃん……」

「どどどどうしようナツメさん!」

「いっそ、この箱を壊しちゃおうか?」

「いや待って、それだと最悪、アルバートさんが箱ごと挽き肉になっちゃう!」

「どうしよう……」

「どうしよう……」


 二人が箱の前で右往左往しているうちに、日は傾き、だんだんと暗くなってきた。

 気ばかりが焦り、頭が正常に働かない悪循環。


 それを断ち切るように、ナツメの名を呼ぶ何者かの声が河原に響いた。

 日本語、それも公共放送のアナウンサーを彷彿とさせる落ち着いた発声。


「こんなところに隠れていたのか。君には【探知】の魔道も効かないのだから、あまり手間をかけさせないでほしい。今日が【ムゥ】と【フゥ】の定期メンテナンスの日であったこと、忘れたとは言わせない」


 声がした方に振り向くと、そこには一人の少年が立っていた。


 十代前半くらいだろうか、整った顔立ちをしているが、その表情からは感情というものがまったく読み取れず、どこか作り物めいた印象を受ける。



               § § §


 

 魔道士の道衣を身にまとったその少年は「アガク」と呼ばれる存在である。

 それが姓名なのか、あるいはあざななのか、今やそれすらもはっきりしない。

 伝承に曰く、遥か古に「魔道規範」の草案を作成したのは彼であると。

 一方、とある文献には「魔道規範」に背いて不死の秘術を極めた「外道三師」の

一人として彼の名が記されている。

 先ほど話題に上がった「魔道十三階梯」の制定にも関わっているし、魔道の名門「ナワール魔道大学」の創立者も彼である。

 その他、世界に散らばる業績を集めれば、いったい何巻の本になるのだろう。


 アガクとは、今なお刻まれ続ける伝説である。



               § § §


 

「おや、ユースケも一緒とは、何かあったのか」


 そう尋ねるアガクの足元に、ユースケが縋りつく。


「アルバートさんが、アルバートさんが箱に、箱にぃぃぃぃ!」

「箱とは、ここに置いてある箱のことだね。アルバートとは、『グアン兄弟社』のアルバートのことで間違いないか」

「そう、そのアルバートさんが、この宝箱の中身を取り出そうとしたら、逆に吸い込まれてしまったんだよぉぉ。鍵穴から、こう、延ばした巻尺を巻き戻すみたいにスルスルスル~って!」

「最低限の状況は理解した。それはアルバートにとって災難だったな」


「――それにしてもナイスタイミング! 助かった、地獄に仏たぁこのことよ」


 ナツメがホッとした様子で語りかけるが、


「まだ助けるとは言っていないし、助かるかどうかもこの情報だけではわからない」


 そう言って、アガクはそちらを見ようともしない。


「そんなことを言っている場合じゃないでしょうが! ……何? まさかあたしがメンテナンスをバックレたことを根に持っているわけ!?」


 一拍置いて、アガクは答えた。


「まさか、そんなささいなことを気にしてはいない。ただ、君が今後【ムゥ】と【フゥ】の定期メンテナンスに()()()()協力してくれると言うなら、相談くらいには乗ってもいいかもしれないな」

「この人でなしッ!」

「人の身はずいぶん前に卒業した」

「ぬぬぬ……わかったよ! 今後は必ず協力します、だから助けて!」



               § § §

 


 アガクの指示で、ナツメとユースケは箱を探偵事務所に持ち帰った。

 そして事情聴取が始まり、ユースケが事の経緯を説明する。

 

 アルバートが、怪しい露天市で未開封の宝箱を買ったこと――

 その宝箱は、古の魔道士が手掛けた逸品である可能性が高いこと――

 【絶対零魔力の存在】(ナツメとユースケ)だけが、宝箱に記された文字を認識できたこと――

 正しい手順を踏んだにも関わらず、アルバートが箱に呑まれてしまったこと――


 アガクは、ユースケの話が終わるまで、静かに耳を傾けていた。

 それから、おもむろに箱の方に向き直ると、


 「この箱を調べてみるから、少し待っていてくれ」


 そう言って両手を箱に添え、魔道の術式を展開する。


 箱が青白い光に包まれた。しかし、それはすぐにあざやかな紅色に変化する。

 おそらくは警戒色であったのだろう。

 パチンと音がして、アガクの手が小さくはじかれた。

 

 あたりに微かなオゾンの臭いが立ち込める。


「小癪なまねをするじゃないか」


 アガクは、ナツメとユースケに聞こえないように小さな声でそう呟くと、ふところからゴーグルと手袋を取り出し、装着した。



               § § §

 


 5分ほどして、アガクが再び口を開いた。


「アルバートはいい鑑定眼をしている。これは、キタブ=アッカの箱に相違ない」

「あんなキテレツな光景を見たら、疑う気も起きないけどね」


 ナツメが、うんざりとした口調で答えた。


「悪意のある仕掛けが無いことも確認した。アルバートは無事だ」


「よかった……」とユースケが、安堵の溜息をつく。


「箱に構築された法則を無視して、鍵を使わずに直接こじ開けることもできるが、それでは【箱に憑かれた男(キタブ=アッカ)】の面子を潰してしまうことになる。私はこれからこの箱に入って、様子を見てこようと思う」

「僕たちは、ここで待っていればいいかな?」

「それで良い。長くても3時間以内には戻る」


 こうして大魔道士もまた、箱の中に消えていったのであった――

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