―キタブ・アッカの箱― ④
しばしの余韻を味わった後、アルバートからささやかな拍手があった。
「いやいや、さすがはユースケ。無茶振りであったのにもかかわらず、実に見事な講演であったよ。ありがとうな」
「い、いやあ、見事だなんて、へへ、えへへ……」
褒められ慣れていないユースケは、顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。ナツメは、相棒のそんな様子を横目に眺めつつ、箱の表面をしなやかな指先でなぞった。
「つまりアルバートは、この箱がキタブ=アッカの作品だって言いたいわけ?」
「左様。そう判ずる理由もそれなりに揃っておるのだよ」
アルバートは、右手の親指を立てて見せると――
「まず第一の理由。こうした箱には、大なり小なり【守護】の類の魔道が付与されておる。素人目には同じ【守護】の魔道であっても、魔道士から見ればピンキリなわけだが、この箱に込められたそれは、常軌を逸しておるほど強力と言ってもよい」
「そこらへんはあたし達にはわからないけれど、専門家がそう言うんだったら、疑ったりはしないよ」
ナツメの言葉に目礼を返してから、アルバートは、人差し指を立てる。
「続いて第二の理由。それはこの箱が備える高い芸術性にある。先ほどこの箱を見せたとき、二人ともたいそう感じ入っておったではないか。キタブ=アッカが若年の身で『名工』の称号を手にしたのは、魔道あってのことではなく、その卓越した表現力によるものであったことを忘れてはおるまい? その彼の実力が、はるか遠くから来た異邦人の心にすら訴えかけたと考えるのは、あながち的外れとは言えないと思うのだが、如何?」
「確かに、心にグッとくるものがあった!」
ユースケが、箱に熱い視線を注いで即答する。その反応に、アルバートは満足そうにひとつ頷いて、三本目の指を立てた。
「さらに第三の理由、その蓋の部分を見ておくれ。『鍵を咥えた鹿』の紋章が見えるじゃろう。ざっと調べてみたのじゃが、これはウェスタンブルの大富豪であった『アタラヌ家』の家紋であった。アタラヌ家は断絶して今には伝わらぬが、キタブ=アッカがウェスタンブルに拠点を置いていたころには、彼の地における相当な有力者であったそうでな。つまりだ、アタラヌ家がキタブ=アッカのパトロンであった可能性も、決して低くはない――どうじゃ、なかなか説得力があると思わんか?」
「悔しいけど、なかなか説得力がある……」
あのナツメが珍しく素直に肯定したので、アルバートは、我が意を得たりとばかりに膝を打って、
「では、仮にこれがキタブ=アッカの箱だとして話を進めよう。すると、儂にとって嬉しいことが二つある。一つ、この箱そのものがそれなりの財産的価値を持つということ。二つ、キタブ=アッカの箱に入っているということは、中身もまた重要なものであるということ……お宝が眠っておるかもしれんということじゃよ!」
アルバートの口調には、隠しきれぬ熱が籠もっていた。
ナツメもそれに当てられたか、少し興奮した様子で答える。
「OKOK、話は理解した。つまり、あたしとユウちゃんの力で、なんとかこの箱を無事に開けられないかってことだね!」
「そのとおりじゃ。箱が開けば中身の1割を報酬として支払おう。もし箱が開かないということがあれば、箱そのものを競売に出そうと考えておる。その場合は、箱を売って得た利益の1割を報酬として支払うつもりでおるが、その条件でよいか?」
「あたしはそれでいいよ。ユウちゃんもそれでいい?」
ユースケは、顔を真っ赤にして手でOKのサインを出している。アルバートの話に興奮しすぎて過呼吸をおこしているのだ。
「契約書は必要かの?」
「うーん、お互いメンドクサイからいいでしょ。それよりさっそくお宝拝見……」
ナツメはまず、箱に直接手を触れて、材質を確かめた。
それから、まるで内科医のように指でトントンと箱を打診する。
「最悪、手段を選ばないならこの箱を開けることはできるよ」
「破壊は可能――ということか?」
アルバートの問いに、ナツメは頷いて、
「それとね、空っぽではない。多分金属製の板か棒みたいなのが入っている」
「なるほど。【守護】の魔道が強力すぎての、儂では中身が入っているかどうかも分らんかった」
「あとは、ちょっと鍵穴をいじってみようかな」
「危なくはないか?」
「あたしとユウちゃんは大丈夫だけど、そうだね、大切な事務所が大丈夫じゃないかもしれないから、続きは外でやろうか」
§ § §
三人は事務所を出ると、近所の河原へと向かった。
周りに人がいないことを念入りに確認してから、ナツメは地面に腰かけ、事務所から持ってきた工具をずらりと並べる。
「ここなら、何があっても周りに迷惑をかけるようなことはないでしょ。様子を見る程度だから問題ないと思うけど、アルバートはちょっと離れていてね。もし罠が発動したら大声を上げるから、すぐに逃げること」
「わかった。無理はするなよ」
アルバートが十分な距離を取ったのを見計らって、ナツメは鍵穴に錐のようなものを差し込んだ。
ようやく過呼吸から回復したユースケが、ナツメの背中に声をかける。
「手ごたえはどう?」
「ちょっと難しいかも。魔道抜きで、鍵それ自体が複雑な作りをしているから……」
§ § §
ナツメは20分ほど鍵と格闘していたが、突然、天を仰いで大きな溜息をついた。
「だめだぁ。これは専用のピックじゃないと、とても歯が立ちそうにないや! シリンダー錠のシンプルなやつくらいなら開ける自信があったんだけどなぁ」
「道具があったら開錠可能なんだ……って、どこでピッキングなんて勉強したのさ!?」
ナツメは、わずかに肩を竦めて言った。
「表向きでない方の家伝に、こういうのもある」
彼女の実家は、武道「鉄輪流」の宗家である。その“表向き”については、総合格闘技として世間に認知されているが、“表向きでない方”には、諜報や火薬の技術、挙句の果てには毒物の取り扱い方まで含まれているのだ。
それはさておき――
ユースケは、ナツメがこれ以上作業を続ける気がないことを感じ取り、彼女のすぐ隣に座った。
「それにしても、この世界に来てから鉄輪流の裏技が大活躍だね。『芸は身を助く』とはよく言ったものだよ」
「こんな外道の技を褒められても嬉しくねえよぉ。それを言うならさ、ユウちゃんのオタクな知識だってなぜか役に立ってるじゃん」
「……確かに。元の世界じゃ馬鹿にされるだけだったのに、こっちだと意外と尊敬
されている気がする」
「……お互い、ままならないものだねえ」
なんとなく苦笑を交わす二人のもとに、アルバートが恐る恐る近づいてきた。
「どうじゃ? 開きそうか?」
「ごめん、あたしじゃちょっと難しいみたい」
「……いや、これでよかったのかもしれん。最悪、開錠に失敗して箱も中身も爆裂四散なんて可能性もあったわけだからの」
「あとはどうしようか、力技を試してみる?」
「ハイリスク・ハイリターンの大博打よなぁ。それに、中身の方が二束三文で、箱の値段のほうが高かったりしたら、精神的ダメージが大きすぎるわい」
「まあ、最終的な判断は依頼主であるとっつぁんにお任せするけどね」
「これは悩むのぅ……」
そんな悩めるアルバートに、箱を見ていたユースケが声をかけた。
「アルバートさん、念のために聞くけど、ここに書いてある“開け方”では
箱は開かなかったってことでいいんだよね?」




