―キタブ・アッカの箱― ②
「なあ、ナツメ殿、アガク大師はな、それはそれは貴いお方でな。そんなお方を捕まえてアイツとはいささか——」
そんなアルバートの抗議を気にも留めず、ナツメは続ける。
「でもさあ、アイツ、ちょっとこだわりが強すぎる!」
「なんと……!」
「だってね、この魔道具を作ってから、3日にいっぺんは呼び出されて質問攻めにされるんだよ。『バージョンアップのためだ』とか言ってたけど、あれは作っているうちに楽しくなってきちゃったに違いない。オタクな趣味に夢中なときのユウちゃんと同じような顔をしているんだもん」
「さ、さようで……」
そこでナツメは、ぐっと身を乗り出し――
「ちょっと聞いてほしい! さっき、【ムゥ】が野郎の声だと違和感ありすぎるって
言ったでしょ。だから、そのことをアガクに伝えたわけさ。そうしたらアイツ、『ならば君の声音で再生されるように改良しよう』って言いだして、わざわざあたしの声を録音することになったワケよ」
「ふむ……」
「それで、まずは共通語のそれぞれの音、あたしたちの世界で言うところの『あいうえお』を一音一音録音していったんだけど……」
「なるほど、それを組み合わせて単語にしているわけじゃな」
「だけど、だけどね、日本語には、『じゅ』と『ぢゅ』の音の違いなんか無いわけ!それを何度も何度もリテイク出しやがって! そんなこだわりは要らないから!」
「だが、『じゅ』と『ぢゅ』の音の違いで、意味が全く別の単語になるからの」
アルバートは、ナツメの愚痴を受け流しつつ客観的な意見を述べる。
しかし、我らがナツメ所長はどうにも納得がいっていないご様子。
「そんなの、話の流れで理解すればいいじゃない」
「すまないが、そりゃあ儂の美学的には“アウト”じゃな」
「アルバートのとっつぁんまでそういうこと言うわけ!? じゃあ『もょ』はどうよ!? あんな珍妙な音、耳の方がおかしくなりそう」
「もょ。そんなに難しいかのう? もょ、もょ、もょ……それに、正しく意味が伝わらなければ困るのはお前さん自身だろうが」
「うーん、まあね、そりゃそうなんだけどさ。結局、何度やっても『もょ』が出来なくて、また後日に収録ってことになったのよ」
「ああ、それは大変だったのう」
「でね、メンドクサイから、バックレたわけよ」
「ちょ!?」
「そしたらさ、アガクがここまで迎えに来るわけ。小学校のセンセーかよ、まったく……」
「あぁぁあン!? アンタ、大師様にいったい何をさせておるんじゃ!?」
とうとう大声を上げたアルバート。
ナツメは耳に両手をあてて見せると、舌をぺろりと出して――
「そんなに怒らないでよ。あたしだって珍しく反省したんだから。それに、アガクの個人レッスンを真面目に受けて発音できるようになったんだし、勘弁してもょ~」
「そ、そんなに軽々しく……あのアガク大師の個人授業じゃぞ!? そんなもの……儂だって受けられるものだったら受けたかったもょ!」
どうみても反省しているようには見えないナツメの態度に、アルバートは呆れるやら腹が立つやら、ついつい本音を露わにしてしまう。
「ふーん、そういうものなんだ。ま、確かにアイツは教えるの上手だったよ。あんなセンセーが学校にいたら、授業はもっと楽しかったろうなあって思った」
「……それにしても、アガク大師はお前さんたちにちょいと甘すぎやしないか? この【フゥ】と【ムゥ】にだって、一体どれほどのリソースがつぎ込まれていることやら」
「連邦政府の年間予算と同じくらいの額が掛かっているそうですもょ」
アルバートの疑問に答えたのはユースケであった。手には、台所から運んできた3人分のティーセットを持っている。
「値が張るだろうなあとは思っておったが、それほどか……」
アルバートとナツメの前にお茶をセットしたユースケは、自分の茶菓子を多めに取ってから、「助手」と記された自らのデスクに着席する。
そして、小学生が「猫ふんじゃった」を速弾きするような勢いで語り始めた。
「まず、僕たちのような【絶対零魔力】の人間でも使えるようにマイクとスピーカーを魔力ではなく空気の振動で受信送信するように設計するのが思ったよりも大変で従来の技術を一から見直し(中略)なんでも動力源に【賢者の石】を搭載しているそうでその力により半永久機関と自己修復機能を実現(中略)その骨格には真銀と昴宿銅の合金を用いることにより強度と軽さを両立させ(中略)さらには学習機能を備え(中略)このあとさらに各種機能を追加拡張していくつもりで(中略)今はとりあえず疑似人格の付与を優先的に開発中だそうです!」
ここまでおよそ10分くらい、ユースケはひとりで喋り続けている。それでも話が終わる様子はみじんも感じられない。アルバートは、いったん区切りをつけようとむりやり合いの手を入れた。
「まて、ちょっと待った! 疑似人格とな? それは絶対に必要な機能なのか?」
「逆に、どうして不要だと思うのか、僕にはまったく理解ができない!主人のボケにツッコミを入れてくれる使い魔とか、ロマンじゃないですか!」
「あ、うん……ロマンだね……」
アルバートは、ユースケが淹れてくれたお茶をすすった。
(すっかりさめてしまっておる……せっかくの良い茶葉が台無しじゃわい……)
ちょうどそのタイミングで、窓の外を眺めていたナツメが口を開いた。
「ユウちゃん、お喋りはほどほどにしたまえよ。アルバートは何か相談があって
来たんじゃないの?」
「おっと、そうじゃった、そうじゃった」
アルバートは大げさに膝を叩くと、目の前の卓上に、自らが持ってきた包みを
置いた。――ドン、と重量感のある音がする。
「ちと、こいつを見てほしかったのじゃ」
アルバートが包みを開くと、そこには金属製の箱が鎮座していた。よくあるみかん箱くらいの大きさで、赤地に金縁、その武骨なフォルムが、「拙者、宝箱にて御座候」と全身を使って自己主張しているのであった。
「すげえ……なんか、海賊が出てくる映画にありがちな宝箱だぁ。ふふ、なんかいいね、これ」
そうナツメがユースケにささやく。ところがユースケは、そんなナツメの声も聞こえていない様子で――
「素晴らしい……素晴らしいんだよ……こういうのがいいんだよ……あ、でもこの大きさじゃ『しゅりけん』は入っても、『むらまさ』と『せいなるよろい』はどう考えても入らないよなあ……そこだけは減点だね……」
そんなことをぶつぶつと唱えながら、目を輝かせて箱に見入っている。
ナツメが、ユースケの耳元で大声を上げた。
「またゲームの話かよ!」
「わあ、びっくりした。突然大声を出さないでよ」
「何だっけ? 『うぃざーどりぃ』とか言うゲームだっけ?」
途端、ユースケが稲妻に打たれたような目でナツメを見返す。
「お? おお! おおお!? とうとう、とうとうナツメさんから『ウィザードリィ』という単語を耳にするとは、僕、生きていて今日ほどうれしい日は無いよ! そう、そうなんだ! ウィザードリィの素晴らしさはね――」
話を続けようとしたユースケをぴしゃりと制し、ナツメは冷たく言い放つ。
「ユウちゃん、その話は100回以上聞いた。ウサギに首をはねられることも、忍者が全裸であることも、A社のアレンジが素晴らしいことも、地下5階から地下8階はクリアするだけなら探索する必要がないことも、何度も何度も何度も何度も何度も何度も聞いたから、今はアルバートの話を聞こう、いいね」
「あっ……はい……」
アルバートは、二人の間に横たわる深くて暗い溝を垣間見た気がした。
「えー、ゴホン、話を始めるぞ? 先日、建国記念の日に、近所の公園で骨董市が開かれておった。儂は骨董品が好きでな、特に目当てのものはないが、ぶらぶらと見て回っておったわけよ。そんな中、ちょいと珍しい店を見つけた。なんでも“曰く付き”の品を専門に扱っているという。例えばな、どうみても酸化鉄の塊にしか見えぬものが、店主曰く『それは、聖騎士ベニーの剣のなれの果てにごじゃるぅぅぅ』であったり、どう見てもただの骨の切れ端にしか見えぬものが、店主曰く『それは、世界制覇を目論んだ凶王ロバートの尾骶骨にごじゃるぅぅぅ』であったりするような、そういう店なわけよ」
どこかで聞いたような話だとユースケは思った。ただ、それを口にすればまたナツメの機嫌を損ねてしまうだろう。だから黙っていることにした。
そんなことは露知らず、アルバートの話は続く。
「どれもこれも、魔道士の儂から見てみればたわい無いものばかりであったが、その中に一つだけ、どうにも気になる品があってな。店主曰く『それは、決して開かずの宝箱にごじゃるぅぅぅ』——とどのつまり、単に鍵が失われただけの保管箱なのだが、これがどうにもひっかかる」
アルバートはそこで、ユースケに尋ねた。
「ところでおぬし『キタブ=アッカ』と言う名に聞き憶えはないか?」
ユースケは、目を閉じ、頭をコンコンと指でノックする。これは、彼が何かを思い出すときのクセであった。
「……んん、もしかして『箱御殿の一夜』のモデルになった魔道士のことかな?」
「お見事! 大した記憶力よ。他に知っていることがあれば教えてはくれないか」
「了解です。でも、僕の知識は『魔道奇人列伝』って言う下世話な本が元になって
いるから、根も葉も無い噂話だとか、後世の創り話だとかも多分に含まれていると
思うけど、そこは勘弁してね」




