―キタブ・アッカの箱― ①
今回の話は、世界観の描写に主力を置いたため、「魔道探偵ナツメ事務所」があまり活躍しない。そのため、第1話の半歩前、第0.5話とさせていただく。
どうか御容赦あれ。
7月某日、初夏。
新大陸連邦政府、通称「龍国」の首都「新東京」
その地理的中心を統領府に置くならば、そこから2kmほど北東に行った
住宅街を、一人の男が荷物を抱えて歩いている。
年は壮年に足を踏み入れたくらいだろうか。その装いから、どうやら魔道士であるらしいことが見て取れる。
魔道士が身に着ける道衣は、機能を優先するため、基本は質素である。
だが、この男のそれには、旧大陸の古代貴族様式がアレンジされていた。
彼自身のダンディズムの吐露はそれにとどまらず、伸ばした波毛を背中で結び、独特のカイゼル髭に片眼鏡。見様によっては「なかなかの伊達男」とも言えようが、果たしてその感性が、この新大陸で一般的かどうかには若干の疑問が残る……。
男の名はアルバート。家名は捨てたと言う。現在は「グアン兄弟社」という「荒事専門の何でも屋」に所属し、そこで数人の部下を抱える立場にあった。
§ § §
しばらくして、アルバートは、2階建てのオフィスの前で足を止めた。
入り口の脇に見える看板には、気取った書体でこう記されている。
魔道探偵ナツメ事務所
魔道にかかわる難問を迅速に解決!
秘密を守ること厳のごとし!
心安らぐ料金設定!
悩むのは、もうやめにしませんか?
営業時間 9:00~Ⅰ5:ОО(12:00~13:00は除く)
看板に目をやり、うんうん、と二度 頷く伊達男。
(うむ、ほどよく枯れた筆遣い! 儂が書いたのだから当然よ! 謳い文句が陳腐なのが残念だが、それは依頼主が考案したこと、当方に責任はございませ……むむ!?)
見れば、営業時間の箇所が、へたくそな字で修正されているではないか。
(最初は9:00~17:00だったではないか。つい1週間の話じゃぞ? ああ、それより、汚い字で調和を乱しおって! 後で直しておかないと……)
アルバートが呼び鈴を鳴らすと、ばたばたと足音がして、ドアが開いた。
どこか頼りなさそうな小柄の青年が顔をのぞかせる。
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青年の名前は、ユースケ・サイトー。
漢字では、「斉藤雄介」と書く。
平成生まれの日本人で、年は二十歳。
もちろん、この世界、この時空の出身ではない。
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分厚い眼鏡に、もじゃもじゃの癖っ毛が特徴的なユースケは、アルバートと決して視線を合わせようとせず、早口で一気にまくし立てる。
「よっ、ようこそいらっしゃいませナツメ探偵社にようこそっ!」
そこで初めて来客の顔を確認すると、たちまち表情が緩む。
「——って、アルバートさんかぁ。ああ、緊張した! お客さんかと思っちゃいましたよ。いらっしゃい、どうぞ上がってくださいな。あれ、今日は一人?」
「ああ、今日は私事で来た。相談したいことがあってのう。つまりは、儂個人が依頼主というわけよ。今、少し時間をいただけるだろうか」
「あ、そういうこと。了解です。ということは、お客さん第1号ってことだね!」
「やはり、閑古鳥が鳴いとったか」
「取り扱う内容が内容ですからね。それにこの看板だもの、ご近所からも腫れ物扱いされている気がするんですよ」
そう言ってユースケは溜息をつく。
アルバートは、ユースケの肩に手を置くと、
「まあ、なんだ、この仕事だが、儂はそれなりに需要があると思っているのだ。ただ、まずはその名を世に知らしめることが第一だろうな。知り合いにも宣伝しておくから、ここが踏ん張りどころじゃぞ」
「うう、人の優しさって、温かいなあ……ごめんなさい、最近涙腺が緩くて……」
「なぁに、こういうことはお互い様よ」
§ § §
階段を登るとすぐに、両開きのドアが見えた。
この部屋が応接室であることを、アルバートは既に知っている。
ユースケがドアをノックして中に呼びかける。
「ナツメさん。お客さんだよ。お客さんが来たんだよ」
すると、中でドタバタと音がして、
それから、ひとつ咳払いがあって、
それから、それから、やたら芝居がかったアルトの声で
「どうぞ、お入りください」
と答えが返ってくるのであった。
アルバートが部屋に足を踏み入れると、先ほどの声の主はなぜか入口側に背を
向けて立っていた。
すらりとした長身に、腰まではあろうかという黒髪が印象的だが、それより、
両肩にそれぞれ留まっているカラスによく似た鳥の方が気になるかもしれない。
アルバートが声をかけようとするが、彼女はそれを遮るようにこう言った。
「あなた、旧大陸の出身ですね、そして、煙草を嗜まれる――」
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彼女の名前は、ナツメ・カナワ。
魔道探偵ナツメ事務所の主。
日本語では「鉄輪ナツメ」と表記する。
ユースケより4つ年上らしい。
彼女もまた、異世界からの稀人である。
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「確かに、儂は旧大陸の出身だし、煙草も好物じゃが……」
その声を聞いて、ナツメは振り返る。
そして、露骨にがっかりとした顔をする。
「なんだ、アルバートのとっつぁんか。せっかく名探偵っぽく頑張ったのに損した」
(相変わらず眼光が鋭いのぅ。せっかくの美人がもったいない……)
アルバートは、そんな思いをおくびにも出さず、
「まあまあ、そんなに邪見にされるなナツメ殿。今日は客として来たのだぞ」
「ん?そうなんだ。ならば大歓迎、座って適当にくつろいでね」
ここまでやり取りをして、アルバートは驚嘆する。
「それにしても、その魔道具、まことに途方もないシロモノじゃのう」
「同感。まさかとっつぁんと、こんなに簡単におしゃべりできるようになるとは
思わなかったよ」
ナツメ自身は、この世界の一般的な言語である「共通語」を喋ることができない。もちろん、アルバートも日本語はちんぷんかんぷんだ。
なのに、今こうして会話が成立しているのは、ナツメの両肩に留まっている鳥型の魔道具の機能によるものであった。
ナツメの左肩にとまっている鳥は、周りの共通語を日本語に翻訳してナツメの耳に届け、右肩の鳥は、ナツメの日本語を共通語に翻訳して発声するものである。
アルバートが、来客用のソファーに腰を沈めて言った。
「前に来たときはもっとぎこちなくて不自然だったが、今ではほとんど気にならん」
ナツメも、「所長」と書かれたネームプレートが置かれている机の上に直接あぐらをかいて答える。
「あの時の状態でも、最初に比べれば結構マシになっていたんだよ」
ナツメは、左肩に留まっている鳥を指し示し、
「そもそも最初はさ、こいつ、【フゥ】って名前なんだけど、複数の人が一斉にものを言うと上手く変換されなかったり、日本語の語彙が少なくて翻訳が止まったりしていたんだ」
それから、右肩に留まっている鳥に触れ、
「それで、こいつは【ムゥ】って言うんだけど、こっちもこっちでタイムラグが
すごかったし、何より音声がさ、抑揚の無い野郎の声で違和感がありすぎて……」
「まあまあ、そのレベルでも、一般水準をはるかに超えた魔道具なんじゃよ」
「らしいね。こうみえてもアガクのお手製だからね。アイツの凄さを実感したよ」
その言葉を聞いて、アルバートは渋い顔をする。世の魔道士にとって「アガク」とは、半ば神に等しい伝説的な人物であるからだ。




