5話
奴隷購入から一月が経った。
経過は順調、ではない。
異常なまでにレアの成長速度は速い。
同年代の頃の俺など軽く凌駕している。
「シュラ様、終わりました」
「ああ、ナイフ無しでの狩りはどうだった」
「はい。鹿の首は細く折るのは容易かったです。
猪の場合は罠での足止めがやはり有効でした」
今、レアの背後には異なる十種類の獣が横たわっている。
それら全てがナイフを用いず仕留められた。
無理難題を押し付けたような気もしたが、目の前の少女は難無くやり遂げた。
その才覚は英雄と呼ばれる者たちの域に達している。
奴隷にならず俺に拾われなければきっと正道を歩んでいたことだろう。
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奴隷購入から半年が経った。
レアにはやはり魔法の才能があった。
出力の調整法を教えた時点で都で魔法教室を開けるほどに自在に火水風を操れるようになった。
記憶力にも優れ、座学では教えたことはほぼ全て覚えているようだ。
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奴隷購入から一年が経った。
もはやどれだけ巨大な獣でもレアの相手にはならない。
そうなったところでやっと俺の出番だ。
「対人戦闘は獣相手とは勝手が違う。
悪辣に奇抜にこちらが嫌がることを徹底してくる。
経験が物を言う駆け引き、一度限りの初見殺し、多対一。
お前がいくら優れていようと、たった一つ間違えた時点でその首は簡単に落ちる」
「はい」
「暗殺とは容易だ。だが、もし失敗した時。
正面からの戦闘を避けられないことがままある。
俺がこの一年、暗殺の作法より実践的な戦闘を優先した理由がこれだ」
状況を落とし込めれば暗殺自体はすんなりと終わることが多い。
どれだけ相手が警戒していようと、生物である以上隙を晒す瞬間はある。
だがそれが失敗すれど成功すれど、刃をぶつけ合う展開になることは少なくない。
結局は殺し合いに発展する。
「いつか俺すら殺せるように、俺がお前を鍛えてやる」
「はい」
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奴隷購入から三年が経った。
「はぁ……、はぁ」
滝のような汗を流すレア。
その右手には神々しい刻印が施されたナイフが、左手には禍々しい文様が入ったナイフがそれぞれ握られている。
相対している俺の右手にはもうナイフは無い。
たった今弾き飛ばされた。
「見事だ」
笑みを殺しきれない。
ここまで早くこの段階まで登り詰めるとは。
基本は全て叩き込んだ、後は実戦の経験と素質の先鋭くらいだ。
まさか三年目にして教えることが無くなるとは予想していなかった。
「……私は、勝ったのですか」
「ああ」
「………………片手の、貴方に」
レアは三年の月日を経て内外共に大きく成長した。
背も伸び体付きも年相応のものになった。
まだ幼さがあった昔と比べ、大人びた雰囲気を纏っている。
顔立ちは美しく、苦労して教えた笑みや憂いの表情は老若男女問わず目を離せないものとなった。
比べて俺は、左腕の機能を失った。
神の血が体を蝕み自由を奪う。
足でなくてよかったと喜ぶべきだろう。
まあそう遠くない内にその足も動かなくなるのだが。
「少し予定を前倒しにしよう」
「……?」
「引っ越すぞ。ベイル共和国第一都市『オリア』だ」
みだりに表情を崩すなと教えているためにレアの顔に変化はないが、驚いているのは三年も共にいればわかる。
「学園都市オリアで選ばれた者のみが集うとされる名門校に通ってもらう」
「今の私は発展的な学問分野を除けば基礎修了課程までを学習済みです」
「学問のためではない。
『オリア討滅候補者群』、旧名『撃剣技能科上級校』は一般的な上級校相当の学問に加えて実戦的な戦闘訓練を必須過程としている」
旧名である撃剣技能科上級校はいわば士官学校であった。
時代錯誤な軍隊学校とも、不良学生の更生施設だとも揶揄されていたが、輩出した英雄の数も多くオリアでは賛否のある名門という扱いだった。
だが、国策により近年その名を変えた。
「なぜ名が変わったか。
それは、俺たちがここで暮らす三年の間にカレイド大陸全域で『魔神』が確認されるようになったからだ」
初めは奇妙な報告だったという。
辺境の測量を行っていた測量員が遠くの山に蛇を見たと言い、その次には別の者から人の手が見えたと言う。
疑心のままに調査隊が派兵され、彼らは件の山に入ったところで消息を絶った。
一人の英雄が遂には駆り出され、その英雄は見事帰還しとあるものを持ち帰ってきた。
大きな指、それは人のものでも獣のものでもない、超越者である神々の類のものだった。
だが神の持つ神聖な力は感じられず、代わりに禍々しい邪悪な力を放っていたそうだ。
やがてカレイド大陸全域で似たような事例が発生し、各国は緊急会談の末に対象を『魔神』と呼称し、各々で対策を練り定期的に情報交換をする運びとなった。
「現『オリア討滅候補者群』はその名の通り魔神殺しのための育成機関だ。
その栄誉のために入学倍率は跳ね上がっているが、まあお前には関係無いだろう」
「実戦的な戦闘訓練とのことでしたが、それは学問以上に今の私に必要なものなのでしょうか」
「お前の戦闘技能は確かに一定の水準に至った。
だが、お前は俺の色の殺しに偏りすぎている。
それが通じなくなった時、別の殺しの引き出しを開ける必要がある」
「それがこの半年、私に親衛剣術を教授された理由でしょうか」
「ああ。弓、槍、槌、盾。色々と教えてきたが、やはり剣はわかりやすく王道を意識させる。
使える武器の種類を増やせと言っているわけではない。
同じ武器であろうと異なる色を出せるようになってこいと言う話だ」
俺一人の教えでは、戦闘力を高めることはできても万物を殺す兵器には至らない。
人も魔も神もなく刃を通せる力を求めるならば、その道の果ての到達者たちに直接師事するのが手っ取り早いだろう。
「それともう一つ。お前には親しみが足りない」
「……? 私の態度がお気に召さなかったでしょうか」
「違う。確かにお前には無闇に表情を崩すなと言って育ててきたが、同年代の学生の中ではいささか浮いてしまう。
暗殺者であるのならば、集団の中で目立つことはあっても浮いていてはならない」
レアの顔立ちや雰囲気は飛び抜けて良くできている。
今まで様々な美男美女の類をこの目で見てきたが、この域にあった者はほとんどいない。
それが無意識に他者の目を引くのは悪いことではないが、暴力的なまでの美は威圧に近い。
この抜き身の剣のような雰囲気を少し和らげるためにも同年代と接し、心から変わらずとも世間一般の立ち居振る舞いに近付けばそれでいい。
「異存は無いな」
「はい」
初め、こいつを買った頃はただ俺の持つ力そのものが失われることに対する恐れや悔いから、何とかこれを世界に残そうと考えていた。
だが今では少し違う。
人はどこまで到達できるのか、レアを見ているとそんな幻想を追いかけてみたくなる。
ああ、楽しみだ。
たとえそれが叶う日に俺がこの世界にいなくとも。