3話
狩った鹿の下処理を終えれば午後になる。
少女を攫った日に方舟に乗り一日かけてこの小屋へと帰った。
攫われた次の日に獣狩りで森に出ることになったが、残念ながら午後は午後で戦闘訓練がある。
「ナイフを持て」
十二、三の少女の手には少し大きいかもしれない。
持たせているのはとある国の宝剣であり売れば五年は暮らしに困らないだろう。
売ろうとした時点で身元が特定されることもあるが。
とにかく切れ味は保証されている。
「斬ってみろ」
買い溜めた馬鈴薯を一つ与える。
それほど大きくない小屋だが調理場くらいはある。
珍しいものでもないだろうに、馬鈴薯を持ち見つめる少女。
そして一刀。
皮がついたまま真っ二つにした。
「アホかお前は。皮を剥け皮を」
料理をしたことがないにしてもどういう食べ物かはわかりそうなものだが。
この金銀白金の豪奢な髪色といい、かなりのお嬢様なのは想像に難くないが。
「まあいい。とにかく、この家にある刀剣はどれも狂ったようによく斬れる。
ナイフの握り方すら知らないお前には少し贅沢かもしれないが」
野菜を五種類調理台に置く。
世情の都合かどれも昔より値が張っているが金を腐らせている俺にはあまり関係が無い。
「物を斬る感触、どこにどう力を入れれば刃が入るのかを掴め。
止まっている相手すら殺せない暗殺者などいらん」
言うが早く少女は野菜にナイフを入れ始める。
切れ味の悪いナイフであれば怪我をしていたであろう雑な刃の入れ方だが、いかんせん名剣の類を渡してしまったためにスパスパと両断していく。
全部斬り終わるのにそう時間はかからなかった。
「まあまあだな。あっちで休んでていいぞ」
今日は野菜のスープだ。
先程斬らせた野菜を水を張った鍋に硬い順に入れ煮込む。
高価な調味料、自家製の香辛料に香草を加え、塩で味を調える。
「…………おい、まだできんぞ。
あっちで休んでろ」
少女がじっと見つめてくる。
腹が減ったのか?昨日の夜に一応パンを与えたし、今日の朝も値の張る携帯食を三つも与えたが。
「…………」
「なんだその顔は。暇なら外で薪割りでもしてろ」
スープの調理は終わったが他の料理の仕込みをしなければいけない。
遊んでやる暇は無いのだ。
「……」
少女はすごすごと下がっていた。
駄々をこね始めたらどうすればいいのかわからなかったから助かった。
「よし、次は肉を……」
夕餉の支度はまだまだこれからだ。
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━━━
日が暮れ始める頃。
ようやく調理が終わった。
後片付けを済ませリビングに戻るが少女の姿が見えない。
「逃げたかな」
言ってはみたが、あの態度で今更逃亡を図るだろうか。
こんな僻地で着の身着のまま旅に出た所であの生活能力では餓死は免れない。
薪でも割っていろとは言ったがまさかこの時間までやっているわけが……、
「…………」
やっていた。
正座のまま薪をナイフで等分に斬っている。
野菜じゃないんだぞそれは。
「おい、もうすぐ夕飯だぞ」
「……!」
今、少し喜んだか?
顔立ちは整っているが表情の変化に乏しくよくわからない。
腹が減っていたのだろうか。
「…………なんだこれは」
外の鉄カゴに入れてあった薪が全て指の長さほどに寸断されている……。
ご丁寧に揃えて積まれているが、谷から流れ込む風で飛んでいきそうだ。
カゴに戻すのも手間だろう。
「……」
どこか自慢気だ。
一仕事終えた顔をしている。
どのみち暖を取る時期ではないし、薪が必要になることはあまりないからどうでもいいか。
「まあいい。飯にするぞ」
片付けは夕飯後でいいか。
風が涼しくなってきた、いつまでも外に放り出して風邪でも引かれたら困る。
感応石の照明を点ければ室内を穏やかな光が包む。
暗がりは落ち着くが明るみも悪くない。
「座ってろ」
都で流行っているらしい調度品専門店から買った木の椅子を引く。
じっとこちらを見てくるが額を指で突いて座らせる。
皿を引っくり返されでもしたらたまらん。
調理場で温めていた鍋から料理をよそい運ぶ。
高い調味料はやはり香りが良い。
「…………!」
「お、おう。先に食ってろ」
昨日見た死にかけの目はどこへやら。少女の目は並ぶ料理を見て輝いている。
空になった鍋を先に洗いたいので俺はまだ席にはつかない。
少しして片付けが終わりようやく飯にありつけると思いながら席に座れば、少女は並んだ料理をまだ一つとして口にしていなかった
「あ? 不味かったか?」
「……」
小さく首を横に振る。
そのまま少女は待っていましたと言わんばかりに料理にありつく。
俺が来るまで待ってたのか?
いや、そんな奴隷根性が染み付いた奴はこんなに飯にがっつかないだろ。
肝が据わっているのは高評価だ。
「さて、今日のスープは……」
うん、美味い。
都で食う飯には具材の鮮度や調理技術で劣るが家庭で食う分には十分な味だ。
「そう言えば、お前の名前を聞いていなかったな」
「?」
名前の概念を知らない?
ヤバイ奴を拾ってきたか?
「いや流石にあるだろ名前」
「……」
こくりと頷くが、咀嚼が優先され一向に言葉が出てこない。
奴隷というものは基本的に最低限の栄養状態は担保されているものだ。
死に損ないなど売り物にならない。
故に空腹で倒れかけていたなんてことはないはずだが、それにしても見事な食いっぷりだ。
「……じゅういちばん」
「十一番? なんだ、住所か?」
「なまえ」
んなわけあるか。
「やっと喋ったと思ったら適当なことを言いやがる」
「本当」
「だとしても呼びにくいから却下だ」
まあ世間的に忌避される赤眼の一族の考えることなんざわからん。
産ませた子供に適当に番号を振って管理していた可能性も普通にある。
あるいは相当イカれた美的感覚を持っていたか。
いずれにせよ十一番じゃ名前とは言えない。
「………………レア」
「れあ?」
「古い神様の名前だ。悪神だがな。
知ってる奴の方が少ない神殺しの神だ」
いつか俺の全てを受け継ぎ完全な神殺しを体現する予定のこいつにはぴったりの名だろう。
「レア、わたし」
「拒否権は無いぞ」
頷くが否や再び飯をかき込む。
どんだけ食う気だこいつは。
自分の名前が再定義されたことなど些末な出来事としか思っていない。
「飯が終わったら座学だ。寝たら明日の飯は無しだ」
「…………」
飯抜きの発言に目を大きく見開き、遂には涙まで流し始めた。
なんなんだこいつは……。
「いや、まだ確定したわけじゃないから……」
五、六歳ならわかるがどう見ても十歳は超えててこの情緒の不安定さはどうなんだ?
「……おい、泣くなよ。
ほら、次のよそってきてやるから」
「……」
首が折れるんじゃないかと思うくらい強く頷くレア。
元々赤い眼なのだが泣いたせいか充血して余計に赤くなっている。
「ああ……、三日分はあったはずなのに」
もう無い。食いすぎだ。
しかし食わないよりは良い。
究極の暗殺者を育てるというのに育ち盛りに栄養不足などあってはならない。
取り込んだ大量の栄養素がいつか神すら殺すのだ。
「ああ、そうだ。お前にこれをやる」
「?」
都からこの小屋に来る道中で買ったブツがある。
無駄な装飾が施された麻袋から取り出したのは、
「美容液だ」
肌の乾燥を防ぐ乳液やら何やらを値段が高い順に上から買い漁ってきた。
一般的な家庭なら一月は食える金額だが、金など売るほどある。
「これを適切な時間に適切な量を使用すること。
夜ふかしなど許さんぞ」
この小娘にあって俺には無いもの。
それは美だ。
それは何よりも口元を緩ませ油断を生み判断を鈍らせる究極の武力。
唯一俺に足りなかったものをこいつなら手にできる。
「レア、お前は強く美しくなれ。
神も振り向くくらいにな」
頷くが理解できているのかは不明。
まあいい、従順であるのなら特に躾ける必要も無くて助かる。
この調子で育てていこう。