中編
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「我慢ならん!!もう限界だ!!!」
「まぁまぁ、気持ちはわかりますが殿下……」
髪を乱暴にかき乱して唸る、ディナン殿下。
最早私室と化した生徒会室で、幼馴染兼側近兼副会長のローガンへ、盛大な愚痴をこぼす。
「何だぁ!あの女は!!俺のティティに毎回毎回……!聖女だから我慢しろなどと血迷いやがってあの狸じじいめっ!!!あの女の所為で、昨日ティティに避けられてしまったではないか!」
「あーー……まあ、そうですねぇ…」
僕も同席した、ニヤニヤ顔の国王陛下との会議を思い出しつつ、殿下へ相槌を打つと、人間を百人殺しそうなほど鋭い目で、殿下がこちらを睨みつけてきた。
いや、僕を睨まれても困るよ。
どうどう、と殿下をなだめるも、その勢いは止まらない。
「大体、なんであんな女が聖女なんだ!!おかしいだろ!聖女ならティティだろ!」
「はいはい、そうですねーー」
不満と惚気が同時に来た。
神官長の息子として幼い頃から修行してきた僕だって、密かにではあるがそう思っている。
マリニア・ディブラン男爵令嬢。彼女が聖女だと判明する前から、殿下へおかしな言動で付きまとって、おまけに僕が一人きりのときにも「貴方の孤独、私が癒せるわ!」と自信満々に言ってきたし。
……僕、そんなにぼっちに見える……?
清らかで優しいと伝えられてきた聖女様へ憧れを持っていたのに、あの欲にまみれた顔は……現実は厳しいな。
聖女になるにあたって当人の性格や気質など考慮されないのだと、憧れが崩れ去って僕は大人に近づいたのだ。
「ただ、証明、されちゃってますからねぇ、法具で」
「それが間違っているんだ。そうに違いない、そうだよなぁ?ローガン」
断言する殿下に、思わず同意と頷きそうになるも堪える。
女神様からのご神託で、該当する子女を秘密裏に法具で確認したのは、神殿だ。
それが、マリニア・ディブラン嬢に反応を示したときは、嘘だろうとその場にいた神官全員で何度も確認したのだ。
だから、神殿側が報告した結果に、神官長の息子がその結果を否定はできない。悲しいことに。
「当人にも秘密って無理があると思いましたけど、結果よかったですね」
「あぁ、あの女が知ったら、全世界に知れ渡るだろうよ。ティティへの態度ももっと…!」
ぎりりと歯軋りする殿下に、それは同意できると力強く頷く。
聖女が顕現する、つまり世界に何かしらの災害が迫っていると同義なのだ。
が、続いてあるはずの災害への神託が、まだない。故の情報統制であるのだが。
「彼女が鈍くてよかったですよ。王家も神殿も、未だに来ない神託に混乱してますからね、余計な荷物は抱えたくないですし」
「だとしても!!!ティティには教えたっていいだろう!あの女と違って、ペラペラしゃべるようなティティではない!」
「いやまぁ、それはそうなんですが……」
殿下の言葉に、眼鏡をせわしなくいじる。
反論できる理由を僕は持っていない。だって、未来の王太子妃であれば知っていてもおかしくはないし、それだけの信頼をファニティ嬢は得ているはずだ。
煮え切らない僕の態度に、殿下が机を激しく叩く。……あー学園の備品なんで、壊さないでくださいよ?
「どうせ、あの国王陛下の嫌がらせだろうがな!俺がティティに誤解されるのをニヤニヤと楽しんで居るに違いない……!」
「うーん、どちらかと言えば、ファニティ嬢への試験じゃないですか?」
あの優しすぎる性格の彼女を思い浮かべる。
彼女の問題行動を収める一番手っ取り早いのは、何も知らない未来の王太子妃から聖女サマ(疑)へ忠告してもらうことだし。
「必要ない!!ティティには必要ない!!百万歩譲って試験をするにしてもコレじゃない!百億が一、俺がティティに嫌われるようなことがあったらどうするんだ!」
「別に愛情表現は制限されていないのですから、殿下のあの癖をお止めになれば」
「癖とはなんだ!癖とは!かわいいんだよ!悪いか!」
顔を真っ赤にして反論する殿下。
殿下の、『好きな子の好きなものを取る振りで意地悪して涙目にして楽しむ』という大変趣味の悪い癖のことだ。
アレの所為でファニティ嬢との信頼関係が築けていないのでは??
胡乱気な視線を送ると、行儀の悪い舌打ちが殿下から返ってきた。
「と・も・か・く!真実を告げれないこの状況では、今まで以上に!ティティへ愛を伝えねば!」
「……結婚前の不埒な真似は、止めてくださいよ?」
「くっ!断言できん!」「そこはしろよ!!」
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震える足で、門へと向かう。
いつもの通り、ディナン様が待っていてくださる、馬車が見えた。
休日があってよかった、心の準備はできた、はず。
あと少し……ふぅ…い、息を整えて……!
「ティティ!おはよう!」
「お、おお、おはようございますっ、ディナン様」
勢いよく現れたディナン様に、びっくりして反射的に返答する。
今、わたし声、変じゃなかったかしら……。
そっと手をとられて、馬車の中に入る。
座ったと同時に、ディナン様がぎゅっと私の両手を握った。
「この前は、不快な思いをさせてしまって済まなかった……ティティの婚約者として、守るべきだったのに」
「い、いえ!ディナン様は十分、守ってくださいましたっ、わ、私が、弱いから……」
俯きそうになる私に、ディナン様は握る手を強くした。
「そんなことはない!ティティは優しいだけだ!」
「ち、違います!私が、弱いから、ちゃんと、言えないから!」
大きな声を、出してしまった。あぁ、心の準備をしてきたはずなのに。
少しの沈黙の後、ディナン様の落ち着いた声が、静かな車内に響いた。
「……言ってくれ。ティティの言いたいことを」
「言いたい、こと」
「あぁ、そうだ。ティティの言葉が、聞きたいんだ」
「わ、わたしは、ずっと、ディナン様に頼りきりでした。欲しい物だって嫌な事だって、いつだって聞いてもらえることを待ってしまって……」
何か言おうとしたディナン様だけれど、ぐっと口を噤んで促すように静かに頷く。
「頭の中で声がするんです。どうしたらいいのか、迷ったときに、困ったときに。ずっとその声に勇気をもらって行動してきました……。でも、最近、聞こえないんです、声が」
そこまで話して、内容のあまりの荒唐無稽さに、ディナン様と目が合わせられず俯いた。
ぎゅっと握りしめてくれる、その両手をじっと見つめることしかできない。
「わかってるんです、よくわからない声に頼るなんて。ディナン様のことを信じればいいだけ、単純なことなんです。それなのに、私は答えを出せなくて、何も決めることができなくて」
あぁ、言っていることが正しいのか、上手く伝えられているか、頭がぐちゃぐちゃでわからない。
でも、彼が、ディナン様が聞いてくれるから、話すことができるの。
「あぁ、どうしよう、わたしいずれは王妃になるのに、国を背負うのに、いや、違うのです。そうじゃなくて、彼女のことだって理解しなくちゃ、ちがう、こんなことを言いたいわけじゃ」
「―――ティティ」
知らずに流れていた涙を、ディナン様がそっと拭ってくれる。
頬に添えられた手に従って、顔をあげると、彼の宝石みたいな碧の目が、私を映していた。
途端に、頭が真っ白になって、もうディナン様のことしか考えられなくなって。
「………………好き、なんです」
「えっ」
「ディナン様が、好きなんです。誰にも、渡したくない、私のディナン様なんです」
「ティ、ティティっ」
心が、燃えるように熱い。
狼狽えるディナン様に、ぎゅっと抱き着いた。……私から抱き着くなんて、初めてじゃないかしら。
「お願いです。我儘はもう言いませんから。だから、ディナン様、私だけのディナン様になってください」
「――――っ!!!あた、当たり前だ!!あぁ、ティティ!!ティティ!!」
力強く、抱きしめ返してくれる。
二人の身体がぴったり隙間なくくっつき合って、彼の体温も、心臓の鼓動も、心地よくて満たされた。
「そんなもの、我儘なんかじゃない!……ねぇ、ティティも、俺の物だからね?他の誰にも渡すことなんてありえない、俺の側にずっといるんだからね?」
「えへへ……うれしい、です……」「――――――っ、あぁぁぁ、かわいいかわいいなにこの生き物かわいすぎる」
思わず笑みが零れてしまったら、ディナン様が私の頬をこね始めた。
へ、変な顔になってしまうの!そんなの、ディナン様に見られたくない!
「ら、らめれすっ!手を、はなしてくらはい!」
「……………………………………………」
無言だ。
いつも見る、鋭い目つき。瞳孔が開いていて、心なしか息が荒いような……?
どんどんと顔を近づけるディナン様に、いつものように頬にキスされるのかしら?と待っていたら。
――――コンコン。
「……お邪魔をいたしまして、そのう、誠に申し訳ございません。そろそろ降りませんと、始業に間に合わなくなりまして……………」
御者からだった。―――そうだわ。私たち、登校の途中だったわ。
「…………俺たちはまだ結婚前で学生で婚前はよくなくて我慢が必要で俺は王子だから我慢できる―――わかった、今、降りる」
「????手、はなしてくらはい、でぃにゃんさま」
「―――ちょっと、だけなら?よくない?ね、いいよな、ティティ?」
「らめです、はなしてくらはい」
「ぐっ、主語違いだけど、ティティが言うならしょうがない……」
非常に残念そうに、私の頬からようやく手を離すディナン様。……そんなに面白かったのかしら?
扉を開けてよいと、ディナン様が御者へコンコンと合図をする。
「あの、ディナン様。後で、二人っきりなら、その……いいですよ?」
「ぐぅぅ!ダ、ダメだぞ、ティティ!男に付け入る隙を与えるなんて、後で二人っきりで会おうな!」
「ふふふ!楽しみです!」
「(殿下の欲望、抑えきれてない)……足元に、お気を付けくださいませ」
いつの間にか開いていた馬車の扉から、降りるために踏み台へ足を延ばした途端、ふわりと宙に浮く。
「わわっ、ディ、ディナン様?!」
「ティティ、俺と一緒に居るのに、踏み台なんて使ったらだめだろう?」
満面の笑みを浮かべたディナン様が私を抱えたまま、軽やかに馬車から降りる。
と、まばらにいた生徒たちが、一斉にこちらへぎょっとした顔を向けてきた。
それにひるんで、いつものように遠慮しようとディナン様から離れようとして……止める。
だって、だって!わ、私の、ディナン様になったんだもの!
頬が熱くなるのを感じながら、ディナン様の襟元へぎゅっと頬を寄せた。
上から、ぐぅぅという唸り声が聞こえる。やだ、服を引っ張ってしまったかしら。
心配になってちらりとディナン様を見上げると、笑顔なのに目が血走っていた。……充血?お疲れ、なのかしら?
頭上から彼が呪文のようにぼそぼそと呟く声を聞きながら、ディナン様の仕事量について考えていると、苛立った声が響く。
「ちょっと!本当に、なんなのよ!あなたは!!!」
腰に回された腕に、ぐっと力がこもる。
マリニア・ディブランさんが、憎らし気に目を吊り上げてこちらを睨んでいた。
「嫌がらせなの?!そうやって、ディ様がお優しいからって、無理強いするなんてっ!!」
「はぁ?何をいって「ディナン様、こ、ここは私に」―――ティ、ティティっ!」
キラキラとした目をしたディナン様へ力強く頷くと、マリニアさんへ対峙する。……ディナン様がぴったり後ろからハグされていて、ちょっとだけ情けない姿だけれど。
わなわなと、今にも噴火してしまいそうなほど顔を赤くしたマリニアさん。
少し前の私だったら、怒らせるなんてよくない、彼女にも何か事情があるのだと、当たり障りのない言葉で彼女を躱していただろう。
それは、私の自信のなさの表れだ。―――もしかしたら、彼女が正しいのかもと間違えることを恐れて言葉を殺して、本当はディナン様を渡したくない私の気持ちを殺して。
でも、そんなことは、今日で終わり、なの。
「マリニアさん」
「な、なによっ!いくら、あなたが今はまだ婚約者だとしても、私は――!!」
「今は、ではありません!これからも、ずっと!私はディナン様の婚約者ですっ!!」
普段大きな声を出し慣れていないせいか、少し声がかすれてしまった。
が、今まで言い返さなかった私が反論したことに、驚いたようで口を開閉するマリニアさん。
少し喉を休めてから、私が言いたかったことを、声に出す。
「ディナン様は、私のディナン様なんです。髪の毛一本たりとも誰かと共有するつもりなど、毛頭ございません。私はディナン様のもので、ディナン様は私のものですから。だから」
呼吸を整えて、私の気持ちを、言葉にする。
「婚約破棄など、絶対にいたしません。何があろうとも、私の持てる権力全てを使ってでも、ディナン様との婚約を、邪魔などさせはしませんっ!」
「ティ、ティティィィィィ!!!私も同じ気持ちだよっ!!!」
威嚇できるよう、出来るだけ居丈高に言ったつもりだったけれど、ディナン様が後ろから私を抱きしめ、更に私の頭に頬擦りをされるものだから、ちょっと間が抜けてしまってはいないかしら……??
よぎる不安をぐっと押し込める。
ここで揺らいだ姿勢を見せてしまっては、私の言葉が弱くなってしまうわ!
ぐっと口を結んで胸を張る。と、頭の上の頬擦りが激しくなり、唸り声まで聞こえた。ディナン様……?
「―――っ、なんなのなんなの、なんなのよっ!!前までは言い返しもしなかったくせにっ!!それに、そんなはしたない行為をディ様におねだりするなんてっ!!」
「………はしたない、かしら???」
私のどの部分を言われているのかしら?今朝確認した時は、身だしなみはきちんとしていたはずだけれど……。
マリニアさんが指をこちらに振り回すのも、淑女としてはしたない気が……?
こてり、と首を傾げると、マリニアさんの顔が更に赤くなっていく。まぁ!こんなに赤くなるなんて!体調は大丈夫かしら?
彼女の顔色について尋ねようと口を開いたけれど、ディナン様の方が早かった。
「では、我々は失礼するよ」
私に回ったディナン様の腕がいつの間にかほどかれ、ぎゅっと手を握られる。
その仕草に私がきゅんとしている間に、さっさと、という形容詞がぴったりなほど、速やかにこの場を二人で離れていく。
私たちの背中を追いかけるように、マリニアさんの叫び声が聞こえた。
「認めない、認めないんだからっ!!絶対に、私が、ヒロインなんだからっ!!!私が、ディ様の婚約者になるんだからっ!!!」
振り向いてマリニアさんに反論したくとも、ディナン様はぐいぐいと彼女から離れていく。
彼女のように叫び声を出す……のは、まだちょっと勇気が足りないわ。
―――それでも、絶対に、ディナン様は渡さないわ。
たとえ、お父様やお母様に言われたとしても。陛下だとしても。……それが、ディナン様自身が望んだことだとしても。
少しだけほの暗い気持ちで、ディナン様を見る。
嬉しそうで、底の見えない熱い視線で、笑みを浮かべて私を見返すディナン様。
なんだかほっとして、私もぎゅっとディナン様へ手を握り返した。
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