主語がデカい
個室に入った俺は、まず状況の整理を始めた。
DVおじさんの仕事は分かりやすい。すぐ態度に出る。今日は天使女を守るため、そして俺を殺すため、発砲したんだろう。
だが二発目は?
これはまったく特定できない。
いや、特定できないのだが、それゆえ特定できたかもしれない。
この「特定できない」こそが落とし穴だったのだ。
DVおじさんに限らず、普通、発砲の前後はそわそわするものだ。
もし命中すれば、誰か死人が出る。命中しなくとも、緊張感が高まる。人が減れば減るほど、自分が疑われる可能性が高くなってくる。
ところが、そいつは平然と、淡々と他人事のように振る舞い続けている。
そいつはきっと普段から発砲しまくっている。
極めて冷酷に。
まずはターゲットを定め、居場所を特定できた場合は天井から撃ち、特定できなければ壁から撃っている。
俺の予想では、それは天使女だ。
あいつはなにが起きても絶対に動じない。
確証はないが、可能性はもっとも高いと思っている。
生き延びるためには、まっさきに彼女を始末すべきだろう。
だが、彼女を確実に殺すとなると、まずはDVおじさんをどうにかする必要が生じる。じゃないと所定の位置から動いてしまう。
現在パターンを把握できているのは、渋おじのみ。
それとて100パーセントではないが。
しかし渋おじを殺す動機がない。優先度も低い。
のみならず、俺はみんなが撃ってるときに便乗して撃ちたくない。
かといって、毎日のように撃つヤツがいる以上、俺がこのルールを守っている限り、発砲の機会は永遠に訪れない。
まあルールというか、勝手に自分で自分を縛っているだけなのだが。
いっそルールを変えるか?
変えるにしても、なにか言い訳が欲しい。
もっともらしい言い訳が。
そんな不合理なことを言っている場合じゃないのは分かっている。だがサルとして生きるより、人として死ぬほうがマシではないか?
いやそうでもないか。
とにかく理由が欲しい。
理由が……。
だが思いつかない。
よって、今日は寝ることとする!
こんな悠長なことをしていたら、遠からず死ぬかもしれんな……。
*
デイタイム。
この日は、渋おじが天井から撃ち抜かれて死んだ。
「そいつ」も法則を発見したのだ。
だから上からやった。
じつに興味深い。
「そいつ」はメガネも上から殺っている。
俺には法則を見つけられなかったが、「そいつ」は見つけたのだ。
認めたくないが、洞察力では俺を上回っている。
そして今日も人が死んだのに、ゲートは開かず。
確率は四分の一へ。
「ぴーっ、ぴーっ、こちら天使ちゃん。かくれんぼしましょう。かくれんぼしましょう。ぴーっ、ぴーっ」
こいつ……。
もしかして全部知っているんじゃないのか?
その上で俺を煽っているのでは?
俺は女の前に腰をおろした。
「なあ、サイコパス。次は誰を殺すんだ?」
「さいこぱす? もし私が誰かを殺すなら、動きが読めた人からやるかな」
本当に素直な女だ。
顔までかわいく見えてきた。
「で? どこまで把握してるんだ?」
「把握?」
「あんたは特別だ。みんなと違う。いろんなものが見えてるだろ。なにが見えてる?」
俺がそう尋ねると、彼女はやや哀しそうに笑った。
「それが、見えてないの。なにも。私は出来損ないだから」
「どこがどう出来損ないなんだ?」
「神さまが、ずっと私を無視するの」
「もしそれで出来損ないなら、俺だってそうだ。いや、俺だけじゃない。みんなだってそうだ」
フォローで言ったつもりだった。
そんなことでヤケになるなよ、と。
ところが彼女は、やはり哀しげな笑みを浮かべたまま、こう応じた。
「そうよ。出来損ないなの。出来損ないばっかり。みんな罰を受けたほうがいいの」
「……」
さすがに同意できないな。
誰しも、他人と比べて、足りない部分はある。
評価軸は無数にあるから、俺が生まれたばかりの赤ん坊にさえ勝てない点もあるだろう。かわいさとか、無邪気さとか。その証拠に、俺が泣きわめいても誰もおっぱいをくれない。
しかしみんな忘れている。人間であるというだけで、小型の動物よりは強いのだ。道具を使っていいなら、大型の動物よりも強い。
強さだけじゃない。
頭もいい。
かなり優秀だ。
これで出来損ないというのなら、地球上のあらゆる動物がそうだ。
いや、いい。
だからといって彼女の考えは変えられないだろう。
所詮は価値の問題だ。
信じたいことを、信じたい人間だけが信じていればいい。
「なあ、俺とサシで勝負しないか?」
「はい?」
「決闘だよ。あんたは俺を狙う。俺はあんたを狙う。それで勝負するんだ」
この提案に、彼女は首をかしげた。
「いままでとなにが違うの?」
「気持ちの問題だよ。応じてもらえるかな?」
ついでに俺自身に対する言い訳の問題でもある。
新ルールでの戦闘となるから、古いルールは破棄される。
彼女はよく分からないといった顔でふっと笑った。
「好きにすれば?」
「合意と受け止める」
この話を、DV男は自分とは無関係みたいなツラで眺めていた。
だが残念だな。
俺の最初のターゲットはこいつだ。
初期位置がどこになるかは予想つかないが、途中の行動には傾向が見えている。
だから明日、一人減る。
いや、二人かもな。
天使女が俺の傾向を見つけていれば、俺は死ぬことになる。
*
翌日、天使女はいつもと違う場所に陣取っていた。
DVおじさんも俺の予想と違う場所。
俺とキャバ嬢もランダムだ。
まあ初期位置はどうでもいい。
あとは互いのツラを確認しながら、ちまちました情報戦をするのみ。
おそらくDVおじさんも仕掛けてくるはず。
かと思うと、朝も早くから一発来た。
壁から射出され、よく分からない場所へ。
この拙速なあてずっぽうの攻撃……。DVおじさんであろう。じつに悔しそうな顔をしている。もっとちゃんと作戦を立てて撃てと言いたい。
だが、俺も人のことを言えなかった。
このあと壁から発射された俺の弾丸は、誰にも当たらずに対面の壁へぶち当たったからだ。
こんなショボいのがデビュー戦とは……。
さて、最後は天使女の攻撃だ。
俺の心臓をぶち抜くことができるかな?
あるいは脳天か?
俺は冷蔵庫からハンバーグ弁当をとり、電子レンジで温め始めた。
せめて死ぬ前に好きなものを食っておきたかった。
ハンバーグ、最高じゃないか。
電子レンジのチーンとほぼ同時に、パァンと発砲があった。
どこから出て、どこへ飛んだのか。
それを確認しようと目をこらしたまま、思わず固まってしまった。
DVおじさんと、キャバ嬢が、急所を撃ち抜かれてぶっ倒れていた。
一発で二人……。
まさか、すでに全員の行動傾向を把握しているのか?
天使女はほほえんでいる。
「これでやっと一対一だね」
ゲートは開かない。
となると、俺か、こいつか、どちらかが『重大な罪をおかした人間』ということになる。
俺はあったまった弁当を手に、テーブルについた。
「なあ、もう最後になると思うから、ホントのことを話さないか?」
「ホントのことって?」
「俺の罪を教える。俺が殺したのは、じつはイヌじゃない。人間だ。それも小学生の女の子だ」
*
詳細に説明しても、彼女は「ふーん」としか返事してくれなかった。
相手の事情など、どうでもよかったらしい。
「で、あんたは? どうなんだ? まだ存在が罪とか言うのか?」
「だってそれが事実だから」
怒られた女の子みたいに、彼女はしょんぼりと応じた。
本音なのかもしれない。
俺はつい笑ってしまった。
彼女は無罪だ。
あのゲートは、俺が死ぬまで開かないのだろう。
それでもハンバーグ弁当は、うまかった。
なんていうか……たぶん、味なんて分からないのに、思い出補正だけでうまいと思えている。ガキのころ、母親の作ったハンバーグが好きだった。いや、買ってきたハンバーグも好きだった。ファミレスのハンバーグも好きだった。とにかくハンバーグならなんでも好きだった。
「はぁ、幸せだな。好きなものを、腹いっぱい食えた。あんたもいまのうち、好きなのを食っといたほうがいいぜ。最後になるかもしれないからな」
「うん。ありがとう。でも、いい」
俺にとっては最後だが、彼女にとってはそうではない、ということか。
*
デイタイムの終わりに、俺は冷蔵庫からワインをもらった。
明日は決闘だってのに、酒なんて……。
いや、違う。
あいつは俺の行動パターンを把握しているかもしれないのだ。酒を飲むことで、そこにランダム要素を加えたかった。
人はランダムに動いているつもりでも、意外とパターン化しているものだ。
個室のパネルで天使女の動線を確認する。
初期位置から動かない。
退屈な情報。
こんなのを眺めていても、頭がおかしくなるだけだ。
明日、あいつはどこにいるだろう?
アドバイスしてくれる親切なおじさんはもういない。
なら定位置か?
だが決闘となれば、位置を変えて来るかもしれない。
分からない。
もう寝るしかない。
*
おそらく最後のデイタイム。
俺と彼女は、互いに挨拶もなく顔を合わせた。
予想通りだ。
彼女は定位置に腰をおろした。
「ぴーっ、ぴーっ、こちら天使ちゃん。聞こえますか? 聞こえたらお返事ください。ぴーっ、ぴーっ」
その頭上には、すでにタイマーがセット済み。
時間になれば彼女は死ぬ。
俺が把握できたのはそこまで。
どちらが勝つかまでは分からない。
いや、違うな。
俺は、真の勝利を勝ち取ることはできない。
もし彼女が弾を外した場合、彼女は死に、俺だけが生き残るだろう。だが、それでもゲートは開くまい。
ゲートが開くのは、俺が死んだときだけだ。
「ぴーっ、ぴーっ、こちら天使ちゃん。見えてますか? 見えてたらお返事ください。ぴーっ、ぴーっ」
俺の弾が発射されるより先に、彼女のタイマーが作動すれば、彼女は生き延びることができる。
こんなことなら、とっとと死んでおくんだった。
生き延びた分だけ、余計な苦しみが増えた。
「なあ、天使ちゃんよ。あんたのタイマーはいつ作動するんだ? あんまりもったいぶられても、心臓がもたないんだが」
「内緒」
哀しそうな笑みだ。
なにか躊躇するようなことでもあるのか?
「あんたも意固地にならなくていいんだぜ。俺はその頭上にタイマーをセットした。ちょっと横にどけば助かる」
「知ってる」
「見てたのか?」
「ううん。たぶんそうすると思ってたから」
まあそうだ。
彼女は、誰かになにか言われない限り、いつもそこにいた。
今回だってそうなんだろう。
テレビをつけた。
ニュース番組だ。しかしなぜかスポーツの話題ばかりで、政治のニュースを流さない。この数年ずっとそうだ。
俺はつい鼻で笑った。
「人間って、ホントにコントロールしやすいよな。デカくて強いヤツがなんか言えば、だいたいその通りになるんだ」
「デカくて強いヤツ?」
「大メディア。つまり愚民にとっての神だ」
「神さま……」
そこだけ反応するなよ。
俺は冷蔵庫からワインをとり、キャップをとって瓶のままやった。最近のワインはコルクじゃないから楽でいい。
「つまりニュースだ。どいつもこいつも、ニュースで感情を操作される。だから金を持ってるヤツらは、みんなプラットフォーマーになろうとする。ニュースを配信して、民衆を操作するんだ」
「難しい話?」
「神さまについて知りたいなら、理解しておいたほうがいい」
「うん」
「スマホの無料アプリに、なぜかニュース機能がくっついてるだろ? あれは親切でつけてるんじゃない。感情をコントロールするためのトラップだ。誰かを好きになりなさい。誰かを嫌いになりなさい。そういうのを刷り込むツールだ。人々はそれを無邪気に受け入れてしまうからな」
「神さまの言葉なら疑わないもの」
この会話、噛み合ってそうで、噛み合っていない。
いや、噛み合っているのか?
分からない。
「そうして人々は、同じものに憧れ、同じものに怒るようになる。おっと『主語がデカい』などと言ってくれるなよ。大メディアの話なんだから、主語もデカくなろうってもんだ」
「言ってない」
「なら俺の被害妄想か……」
ニュースが終わると、次は刑事ドラマが始まった。
どのシーンも聞き込みばかり。
本当に、刑事ドラマは銃を撃たなくなった。
カーチェイスもないし、自動車もひっくり返らない。
謎の断崖絶壁に犯人を追い詰めない。
そうこうしているうちに、昼が過ぎ、夕方になった。
発砲はない。
「なあ、天使ちゃんよ。あんた、ホントにタイマーをセットしたんだろうな?」
「うん」
「いつ出るんだ?」
「そろそろ」
パァンと音が響いた。
射出された弾丸は、キッチンのコップをぶち抜き、壁に弾かれて床へ。
以上。
俺は無傷。
「どういうつもりだ?」
「外れちゃった」
「ちゃんと狙ったんだろうな?」
「うん」
「ホントかよ? けど、このままじゃ終わるぜ。そっちも避けたらどうだ?」
「うーん」
なぜそこで悩む?
本当に死ぬぞ?
(続く)