普通の殺人
田舎は素晴らしい。
都合の悪いことに関しては、誰もが口をつぐむ。
事件当日の彼女の足取りは、誰にも分からなかった。彼女が普段どこでなにをしているのかも、警察にはつかめなかっただろう。
彼女の死は、事故として処理された。
*
寝不足のままデイタイムを迎えた。
もちろんリビングの死体は片付いている。
気のせいか、急に人が減ったように見えた。
いや、実際足りていない。
最初に集められたのは十三名。
ロリコンおじさんが死に、体育男が死に、酔っ払いが死んだ。残り十名いないとおかしい。なのに、八名しかいない。
特に理由もなくリビングに来なかった場合、射殺されることになっている。
時間ギリギリになって、一人が駆け込んで来た。
「違う! 聞いてくれ!」
その小太りの血まみれおじさんは、いきなり釈明を始めた。
元気がいいところを見ると、どうやら自分の血ではなく、他人の血を浴びたようだ。
特にノーマークだったおじさんだ。よく別のおじさんとヒソヒソ話をしていた。
そのおじさんの姿が見当たらない。
中年女とキャバ嬢が悲鳴を上げると、おじさんは「違う! 違う!」と繰り返した。
騒ぐのはあとでいいから、先に結論を述べて欲しい。
血まみれおじさんは言った。
「違うんだ! 先にあいつが襲ってきたんだ! せ、せ、正当防衛だ!」
「……」
この場にいないのは一人だけだから、あいつというのがどいつかは分かる。名前は知らないが。
メガネがかすかに溜め息をついた。
「トラブルですか?」
「だから、あいつが……」
「大丈夫です。呼吸を整えてから説明してください」
「ああ……ええと……そうだ……違う……」
ひたすらぜえはあしている。
走って疲れたわけではあるまい。
うまく呼吸できないのだ。
あるいは時間稼ぎも兼ねているだろう。
いま必死に都合のいいストーリーを構築しているはず。
俺は構わず冷蔵庫からメンチカツパンとミルクをとり、そこらに座って食い始めた。
待ってる時間がもったいない。
おじさんの尋問はメガネに任せておく。こういうのは得意そうだし。
「だから、その……裏切ったんだ」
「裏切る?」
「だから……あいつが……」
都合のいいストーリーは構築できないようだな。
中年女が、メガネを盾にしながら言った。
「きちんと説明してください!」
デカい声を出すなら、他人を盾にするのをやめて欲しいものだ。
おじさんはイラついたように彼女を睨みつけた。
「いま言うから!」
「言ってくださいよ!」
「うるせぇ! お前は黙ってろ! いつもいつもギャーギャー騒ぎやがって!」
ついには逆ギレである。
しんと静かになると、天使女がこうつぶやいた。
「この家具屋のおじさんは、居酒屋のおじさんと手を組んで、自分たちだけは生き残る計画を立ててたみたい。でも居酒屋おじさんが仲間を増やそうとして、家具屋がそれを拒絶して、このところ毎晩モメてた」
「な、なぜそれを……」
血まみれ家具屋おじさんは、動揺したのか発言を認めてしまった。
「私、聞こえるの」
「てめェ、盗み聞きしてたのか……?」
おじさんが詰め寄ろうとすると、メガネがその腕をつかんで地べたへねじ伏せた。
「あがぁッ」
「緊急避難のため、一時的に身体を拘束させてもらいます」
「待って! ちゃんと説明するから!」
説明するなら、最初からそうしろよ。
するとメガネはこちらを見て、不快そうな顔で「手伝ってもらえませんか?」などと言ってくる。傍観してんじゃねーぞということだ。
食事中だってのに。
「具体的にはなにを?」
「タオルとか、なにか縛れるようなものを……」
「ガムテープがあったかな」
俺はやむをえず、重い腰をあげた。
するとおじさんは「待って! お願いだから!」などと懇願し始めた。
それより説明しろよ、説明。
*
ガムテープでぐるぐる巻きにしても、彼は「説明」を始めなかった。「助けてください」の一点張りだ。
俺は遠慮なく、盛大な溜め息をついた。
「説明してくれたら解放する気になるかも」
「解放してくれたら説明するから」
「えっ? せっかく優しい条件を出したのに、それを拒否するんですか。次はもっと厳しい条件を提示しますよ?」
「いや、それは……」
状況を見る限り、こいつは人を一人殺したのだ。
なのに説明もせず、こちらに条件を提示してくるとは。
まあ俺も人を殺しておいて、誰にもなにも説明していないから、こいつと同レベルかもしれない……。そう考えると少しは同情的な気分に……いや、なれないな。
メガネもごく冷淡な目をしている。
「説明できないなら、ただの殺人鬼とみなしますが?」
「いや、違う! 違うんだ! こっちは正当防衛なの!」
「凶器は刃物ですか? 向こうが刃物を持ち出したと?」
「そうそう!」
「あなたはそれを奪い取って反撃した?」
「そ……そう! そういう……ことになる。ああ。まあ、隙をついて……」
信用できない。
死体は喋らないのだ。
メガネはひとつ呼吸をして、みんなを見回した。
「ここには警察を呼ぶ手段がありませんから、やむをえず多数決で処遇を決定しましょう。彼を解放するか、このままにするか」
このまま――。
デイタイムを終えてもリビングに残り続けた場合、壁と天井から銃弾が発射され、蜂の巣にされる。
おじさんは自力で動ける状態ではない。
ひたすらに「助けてくれ!」と懇願される中、メガネによる多数決がとられた。
「では希望するほうに挙手をおねがいします。彼をこのままにすべきと思う人……? はい結構です。では次、解放すべきと思う人……? 結構です。5対0で、このままということに」
五名しか手を挙げていない。
天使女と、あと二人のおじさんたちが、どちらにも挙げず棄権してしまった。どういう意図で棄権したのかは疑問だが……。
「待ってくれ! 人権侵害だぞ! 弁護士呼ぶぞ!」
「……」
結果が出てしまえば、もう血まみれおじさんに同情する人はいなかった。
話を聞こうともしない。
「ぴーっ、ぴーっ、こちら天使ちゃん。人類はまた醜い争いをしています。彼らに罰をあたえてください。ぴーっ、ぴーっ」
*
ナイトタイムに入ってしばらくすると、リビングからけたたましい銃声が聞こえた。
本当に一斉射撃したのだろう。
弾のムダという気もするが。
これで残りは八名。
明日、ゲートが開いていればいいのだが。
ただ、彼らの自白を信用するのなら、彼らの罪は女癖の悪さに由来するものだ。誰も殺してはいない。いや家具屋は人を殺めているが、それはここへ来てからの話だ。
*
翌日、家具屋おじさんの姿はなくなっていた。
ゲートも閉じたまま。
俺の罪は、家具屋のおじさんより重い、というわけか。
なんだか本当に、俺が一番の悪人という気がしてきた。
先日の自白によれば、メガネは職場でのパワハラ、中年女は万引きや転売、キャバ嬢は男をNTR、渋い表情のおじさんは不倫、もう一人のおじさんは家族へのDV、もう一人のおじさんはネットでの誹謗中傷、天使女は存在が罪……ということになっている。
俺は友人のイヌを殺したことになっているが、実際はイヌではなく人間。
うーん。
俺か?
まあ俺……だろうな。
それにしても静かだ。
みんな疲れているらしく、誰もなにも言葉を発しなかった。挨拶もしたりしなかったり。ようやく常識人をやめ始めた感じか。
「ぴーっ、ぴーっ、こちら天使ちゃん。聞こえますか? 聞こえたらお返事ください。ぴーっ、ぴーっ」
天使女はまだ生きている。
まっさきに殺されると思っていたのに。
そういえば、昨日はタイマーによる発砲がなかった。
あったのは施設による処刑だけ。
なにげに快挙なのでは?
そろそろ俺も発砲を解禁するか? いや、ここで解禁して、誰かとかぶったらダサい。せっかくここまでもったいぶったんだ。もう少し様子を見よう。
「ぴーっ、ぴーっ、こちら天使ちゃん。見えてますか? 見えてたらお返事ください。ぴーっ、ぴーっ」
会話がなくなると、途端にこいつの独り言が耳障りに感じられる。
ずっとこれを聞かされたら、いつか頭がどうにかなりそうだ。
「ぴーっ、ぴーっ、こちら天使ちゃん。どうして隠れているのですか? かくれんぼですか? ぴーっ、ぴーっ」
このとき完全に気を抜いていた俺は、つい舌打ちをしてしまった。
みんなの注目が集まった。
俺は慌てて目をそらし、なんでもないといった顔でやり過ごした。かくれんぼに反応したと思われたくない。あくまで「うるさいから舌打ちした」かのように見せかけねば。
すると中年女が、聞こえよがしに盛大な溜め息をついた。
「あのー、あなた、自分が場の空気悪くしてるの自覚してます? うるさいんですけど。それ、やめられないの?」
「やめない」
彼女が苦情を投げた相手は、俺ではなく、天使女だった。
この二人は本当に相性が悪い。
「やめないってナニ? 今後もみんなに迷惑をかけ続けるってこと?」
「迷惑なら耳をふさいでいて」
「なんでこっちが配慮しないといけないの?」
「やめない」
「頭おかしいんじゃないの? ねえ? みんなもそう思いません?」
明日は天使女の命日になるかもしれない。
中年女が実行する可能性もあるし、他の誰かが便乗する可能性もある。もし明日やれば、誰がやろうと中年女のせいになる。
となると、俺がタイマーをセットすると、他の誰かとかぶる可能性が高い。
クソだな……。
早く一発くらいカマしたい。
本当に自分が悪人なのか、そうじゃないのか、確認したいのだ。
いや、そうは言っても天の定めた基準じゃない。この施設の人間が勝手に決めた基準だ。同じ人間のクセに、神のように振る舞いやがって。
なんならそいつらを殺してやりたい。
(続く)




