パラディオン
「え? 姉様……今なんて?」
マリアの弟――マリスは姉の着替えを手伝いながら、信じられない言葉を口にした為に思わず聞き返した。
「好きな人が出来たのです、マリス」
エルフの文化として結婚を前提として付き合いは存在せず、異性の告白は直で婚姻となる。
「……姉様、前に自分より強い人としか冠を交換しないって言ってたじゃん」
婚姻する者は故郷の森で編んだ”草の冠”を交換する事が習わしであった。
「嘘は言っていませんよ。理想の方と出会ったのです」
「里じゃ姉様には誰も勝てないのに?」
マリアは里でも天才と称される剣士だった。それは他の里でも類を見ない程に秀でており『エルドラドの聖剣士』と言う異名も新しくない。
そして、彼女は自身よりも強い男としか冠は交換しないと明言しており、シスコンのマリスにとってはいつまでも姉が傍に居ると安心していた。
「ふふ。里の人ではありませんよ」
「他の里でも姉様より強い人はいないと思うけど」
「外の方ですよ。それも『人族』です」
「はぁ?」
異種間の好意は理解しがたい感覚だった。例え、姿が似通っていても寿命や生活文化が違う為にどちらかが適応できずに破局となる場合が多い。あまり推奨されない。
「寿命も生き方も違うのに? 冠を交換するのは生涯において一回だけなんだよ?」
「解ってますよ。もし、必要であれば……私が彼に合わせます」
彼、と口にするマリアの表情はマリスが初めて見る恋する乙女ノモだった。
凛とした雰囲気が誰よりも頼もしい姉。それをこんなに腑抜けにするヤツは……許せない! と平静を装いつつマリスは内心燃える。
「……父上は何て?」
「一度会ってみたいと。とても嬉しそうに賛成してくれました」
母が流行り病で亡くなってから、父親は姉弟の事を何よりも気にかけていた。
特にマリアに関しては何人か腕の立つ者を紹介したものの、誰も彼女の冠候補にはなり得なかったのだ。マリスとしては嬉しい事である。
「……その人、今どこにいるの?」
「客屋で休んでもらっています。食事の準備が出来次第、迎えに行く予定です」
マリスが得意なのは変身魔法だった。
その腕前は里でも群を抜いており人物は勿論、動物や果てには鳥類までも変身可能だ。
『こちらです』
「降るのかね?」
部屋から父の衣を持ち出し、大人のエルフに魔法で変身したマリスはマリアよりも先に正十郎とローズの前に姿を現した。そして、本来とは違う所へ連れていく。
『今、里長は別の所で作業しておりまして、食事の方はそちらでと』
「仕事中だからそこで話そうってさ」
「そうか! それはすまないね!」
ローズの簡易翻訳。
声大きいなぁ。こんな騒がしい『人族』のどこが良いんだろう。と、マリスは思いつつある場所へ先導する。
「ふーん」
「どうかしたのかね? ローズ君」
「別に」
ローズはマリスの変身を見抜いていた。と言うか姿を初めて見た時に普通にわかった。そして、向かう際も自ずと検討がつく。
「コレじゃないか」
マリスには死相は見えない。これから向かう先には神さえも危険視する存在が待ち受けると言うのに。
『止まれ、止まれ』
下まで降りきり、小さな舟着き場まで来た所でそこを守護するエルフに止められた。
『ここから先は『パラディオン』の領域である。里長の許可が無ければ入ることは……マリス様?』
門番はマリスが度々変身して、ここに来ている為にこの状況は馴れた事案だった。
『駄目ですよ、マリス様。『パラディオン』を刺激すると里が滅ぶ可能性があります。三十年前の出来事をお忘れですか? それに里長の衣も持ち出して……怒られますよ?』
30年前。マリスは好奇心から、『パラディオン』の領域へと入った。そこで、“パラディオン”を刺激してしまい里が攻撃された事があったのだ。
その時は『命の神』によって『パラディオン』は説得されなんとか沈黙したが、以降は進入禁止区域としめ指定され通じる道には門番が配備されたのである。
マリスは門番に近づくと正十郎とローズの二人には聞こえない様に会話を始める。
『カナードさんいいでしょ~。お客さんなんだ。特に彼、姉様が冠を交換したい相手らしいんだよ』
『なんと。それは本当ですか?』
門番のカナードは正十郎を見る。彼はライン河の流れを見て、ナイヤガラを思い出すよ! と理解できない言葉を口にしていた。
『そうは見えませんが』
『でしょ? だから僕が見極める様に父上に言われててさ。『パラディオン』を見ても怯えなければ、素質は十分でしょ?』
マリスの父でもある里長は聡明な判断が出来る人物である。彼の命であるのなら無下に断る事もできない。
『……『パラディオン』の危険性は――』
『わかってるって! 何より僕が一番わかっているから』
『……わかりました。オールを貸し出します。くれぐれも敵対行動は控えるように』
『ありがとー』
ふふ。『パラディオン』を見て情けなくビビり散らすがいい。そのシーンを魔法水晶に記録して姉様に見せればきっと目を覚ますハズだ!
「ほう! 舟かね? 河の流れは凄まじいが出しても大丈夫なのかい?」
「そのオールと船体に魔法がかかってるわね。進行方向を河の流れに左右されないわよ」
「便利な物だね! ワクワクが止まらないよ!」
「止めて頂戴」
準備が出来たマリアは正十郎とローズの客屋の前で足を止めて、近くの水桶に張った水面で自分の顔を確認する。
「エギル、問題はありませんか?」
「はい」
里長への客と言う事で案内にはエギルも同行している。
「本当に?」
「お綺麗ですよ」
マリアは普段、動きやすいと言う理由で男物の服を日常的に着ており女物を着るのは礼装や祭典以外では久しぶりだった。
普段は鎧と兜に隠れてしまっているがきちんと着飾れば里一の美貌を持つのである。
エギルは微笑ましく笑うと、もう行きますよ、と客屋の扉に手を伸ばす。
「私が開けます」
開けようとするエギルの肩に手を置いてマリアは告げると、失礼しました、とエギルは横に避けて道を譲る。
エギルに楽しまれていると自覚しつつも、初めての感覚にマリアも振り回されっぱなしだ。
「ふー、おしとやかに……おしとやかに……」
決闘の時よりも緊張する。これが……他を好きになると言うことなのだろうか。父と母も私のような気持ちを互いに抱いて冠を交換――
「姫様。このエギルめが開けましょうか?」
「い、いえ! お二方! 食事の準備が出来ましたよ!」
バァン、とおしとやかに扉を吹き飛ばさん勢いでマリアは扉を開ける。その拍子にドアノブと扉が外れた。
しかし、部屋の中には誰も居なかった。
「? エギル、ここでしたよね?」
「はい。確かにご案内したと聞いております」
「おや? 珍しい格好をした姪っ子がいるな」
そこへ、マリアの武芸の師でもある叔父のゼベックが通りかかった。
「ゼベック様」
「叔父様」
丁寧な礼をするエギルと声と視線を返すマリアの元へゼベックは近寄る。
「ブラットボーンは良くやってくれた。お前も失敗していたら俺の部隊が出る事になってたからな」
ゼベックが総隊長を勤める部隊は里を護る守護連隊である。基本的には過酷な雨林の中を勤務地として行動しており、その強さはエルドラドに一切の危機を感じさせない事が証明となっていた。
「ブラボの奴は商隊や他の里に出かける奴らを狙ってたからな。どうにも俺じゃ手が届かなかった。だから、よくやった」
「私一人では不可能でした。討伐隊の方々と、異国の『人族』の方のおかげで退ける事が出来たのです」
「ほう。お前がそこまで言うとはな。それは、変な服を着ていた『人族』の男とドレス少女の事か?」
ゼベックの口から出た正十郎とローズの情報にマリアは驚く。
「何故、叔父様が彼を?」
「さっき上に戻るときに、違う通路を降る彼らを見てね。マリスが変身して案内していたから空気を読んで声はかけなかったが」
「マリスが?」
わざわざ、彼を迎えに行ってくれたのだろうか? しかし、変身する意味がわからない。
「ヒイロの衣を着てたぞ? 何かあったのか?」
その時、夕闇が一瞬光った。ざわざわと皆が空の彼方にある、穴の空いた雲を見上げている。
里中に緊急を告げる鐘の音が鳴り響いた。それはエルフの聴力が聞き分ける事の出来る、情報も音色に乗せられている。
“パラディオン。攻撃態勢。全戦士、防戦準備”
時間は少し遡る。
変身したマリスの導きで舟に乗った正十郎とローズはライン大河の流れに逆らって真っ直ぐ進んでいた。
「対岸は1キロくらいあるな! 交代で漕ごうか!」
「別に対岸に行くのが目的じゃないと思うわよ」
ここまで来れば正十郎一人の力では引き返す事は出来ない。
『ここです』
と、マリスはライン大河の真ん中辺りで舟を止めた。
「エルフ達の文化は変わっているね! 河の上で食事とは! 想像していなかったよ!」
状況を理解していないのか、それとも本気でそう信じているのか。正十郎のこれからのリアクションに楽しみなローズは、ふふ、と笑う。
すると、
「ん?」
『き、来た……』
目の前に透明な何かが浮いている事に正十郎は気がつく。そして、レーザーサイトが彼の額に当てられた。
「ローズ君。これは私がロックオンされているのかな?」
「そうみたいね」
ソレは正十郎とローズとマリスを一斉にスキャンして、生態を確認していた。
人族。男。武器、魔力無し。脈拍『正常』。敵対意志無し。新規登録。
神族。女。死の女神。手出し厳禁。
エルフ。男。変身形態。脈拍『緊張状態』。敵対意志無し。登録名『マリス』。
そして、ソレは姿を現す。
色が着くように目の前で不可視迷彩を解除し、現れたのは宙に浮く機械の球体と、その回りに停滞する三角と四角のユニットであった。
無限形態『パラディオン』。
『戦いと機械の神』エクスに創られ、彼と共に【天地戦争】で数多の神を屠ったとされる“神の遺産”である。
「――――」
パラディオンは生きているかのようにパーツが動いている。そして、マリスにもロックをすると、ユニットの一つから魔法解除の陣が撃ち込まれた。
『うわ!?』
パンッ! と言う衝撃を受けてマリスは舟へ尻餅を突く様に転ける。その姿は本来の少年の姿に戻っていた。
『わ……わわ』
それでもロックを外さない『パラディオン』はマリスの戦意が全くない事を判断すると、彼へのレーザーサイトを消す。
少し漏らしそうになったマリスであったが、ほっと胸を撫で下ろす。
「ローズ君! コレは何だい!?」
正十郎は腕を組み、仁王立ちで『パラディオン』と正面から見据えていた。
「神の遺産『パラディオン』よ。自我を持つ無機生命体」
「ほう!」
『パラディオン』の状態を示す度合いは、中央球体にある宝石の放つ光で知ることができる。
緑は無警戒。黄は警戒。赤は敵対。
現在は黄色。正十郎を観察するかのようにユニットが舟を囲む。
「ふむ。どうやら、敵対の意志は無いようだね。ローズ君! 彼はどうやって浮いているのかな!?」
「知らないわよ」
その時、止まった舟を狙ってライン大河の上空から、鳥系の魔物リバーバードが滑空してくる。
体長は舟をそのまま持ち上げる事が出来る程に巨大で、三人を餌としか見ていない。
ピュン。
そんな音が『パラディオン』のユニットから聞こえると同時に、蔦ほどの太さをしたビームがリバーバードの身体を蒸発させた。
夕闇を照らす閃光。射線先の彼方にある雲を撃ち抜き、残ったリバーバードの翼と脚だけがライン大河に落ちる。
『はわわ……』
マリスは素直に腰が抜けていた。魔法ではない未知の攻撃は自分達を容易く消し飛ばす威力がある。
「まだ一万年は動けそうね」
ローズは『パラディオン』の状態はまだまだ現役であると見る。
「ふっはっは! なんと言う事だ! 驚きの連続だよ!」
不敵、不遜、唯我独尊。そんな言葉しか知らないか如く、正十郎は腕を組んで『パラディオン』と向かい合っていた。
『パラディオン』の核とユニットは正十郎を観る。
「私は黒船正十郎! 君の名はパラディオンと聞いているよ! 会話は可能かな!?」
『パラディオン』の表層を光が流れる。何か考えている様な沈黙。
するとユニットの一つが折り畳む様に小さく変形するとインカムとなって正十郎の前に浮いた。
「ふーん」
会話に応じる『パラディオン』にローズは意外性を感じていた。
「ふむ」
正十郎はインカムを耳に着ける。
『こんにちは。黒船正十郎』
声ではなく目の前に日本語の文字が浮かぶ。
「安心するよ。日本語を見るのはね!」
『貴方の記憶回路より最適な言語を選びました。意志疎通が出来ている様で何よりです』
「ご丁寧にどうも!」
『私と話がしたいとの事ですが。何を?』
「手を貸して欲しいのだ!」
正十郎は『パラディオン』の能力を見て、この世界においても規格外であることを理解していた。
「私は放浪者の様なモノでね。この世界の知識はおろか、言語もままならない。時をかければ不可能ではないが……その間が惜しいのだ!」
『貴方の側近である、轟甘奈と言う女性の事ですか?』
「ほう! 記憶も読めるのかね?」
『会話を円滑にするためです。不快であれば止めますが』
「別にいいよ!」
何だか楽しそうに会話する正十郎に、ローズは暇そうに待ち、マリスは何が起こっているのか理解できない様子だった。
『私には貴方の考えは理解出来ません』
「それは当然だろう! 自我を持つ存在は全て唯一無二だ! 全てを理解する事など神にも出来んよ!」
『その無謀で恐れを知らぬ感覚を理解できないと言う事です』
ユニットが一斉に狙いを定める様にレーザーサイトを正十郎に向ける。
「ならば理解して欲しい! 私の存在は君にとって利となると約束しよう!」
正十郎は怯まず、ズバッと言い切る。
『…………恐ろしくはないのですか?』
「言葉が話せる。会話が通じる。こうして意見を言い合える。そこに何故恐れが出る?」
『私は貴方達とは違います』
「確かに見た目はだいぶ個性的だが、それは恐れる理由ではないよ!」
正十郎のその言葉に『パラディオン』は創造者であるエクスの事を思い出す。
“パラディオン。やっぱり前の話は無理かい?”
“私は貴方に創られました。故に対等にはなり得ません。エクス様”
“友達欲しくないの?”
“私を見て“友達”と言い出す存在は精神的な欠陥を抱えていると思います”
“はは。なら君が判断するといい。きっとそんなことは些細だと思うくらいに素敵な存在が現れるよ”
エクス様。やはり、私は貴方の様な崇高な存在には成り得ません。
黒船正十郎。この者の言葉は強く、惹き付けられる。この存在感を持つ者達を私は知っている。それは私が戦った――
『パラディオン』は正十郎の記憶を深くまで読み取る。彼の生まれ、見てきたモノ、その果てに何にたどり着いたのかを――
『――貴方は』
「ふっはっは! 金品や利益が目的かと思ったかね? 君が読み取った記憶の果て。それが私の理想の全てだ」
揺るぎない意思と強い瞳で語る正十郎は己を絶対とする神々と同等の存在感を放っていた。
……不思議なものです、エクス様。
『手を貸しましょう正十郎。貴方の目的を果たすまで』
「堅苦しいのは無しにしよう! よろしく頼むよ!」
彼と向き合っていると、貴方と過ごした日々を間近に感じてしまうのですから。
パラディオンのユニットはあらゆる形態に変形する事が可能であり、その全てが現地民では破壊する事は不可能。
弱点らしい弱点は存在せずエネルギーも無尽蔵であり、創造主であるエクスと共に戦争では人を護りつつ何体もの神を始末した。
神側からも破壊できる存在は限られており、死の神はその内の一人。
しかし、エクスがローズとは交流があった為に、彼女とは相対する事はなく戦争は終了。代わりに創造主を失って、誰にも干渉されない所でひっそりと暮らしていたが、そこにエルフ達が住み着き、一応は共存していた。
と言う設定。