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The Doctor's Diary-003

二〇七一年 十一月 ●日


 今日もウッドデッキで、潮風と波の音を感じながら日記を書いている。

 不思議だ。今までちっとも、潮の香りも海の息吹も感じなかった。今は意識せずとも、ささやかなウミネコの羽音や波打ち際で遊ぶ幼子の笑い声が感じられる。

 ベンジャミンが生まれてから、世界の色彩が一変した。

 灰色のひと続きに見えていたウッドデッキからの景色は、鮮やかなスカイブルーと深いマリンブルーとの境目がクッキリと浮かび上がる。その水平線に、カラフルな小船がおもちゃのそれのように、ポツリポツリと現れたり消えたりしている。

 

 昨夜アルに、よく笑うようになったと言われた。

 寝室は別々にあったが、ベンジャミンはまだ一人で夜を過ごす事を怖がり、私の寝室に簡易ベッドを入れて眠っている。ベッドはダブルサイズだったから、一緒に眠ることもあった。

 そのベンジャミンが、寝入って間もなく飛び付いてきた。怖い夢を見たのだという。

 私がついていると言い含めたが、くだんの夢はアルが獣に引き裂かれるもので、彼が心配だから三人で眠ろうと泣きながら乞う。

 ベンジャミンが泣き止まないので仕方なく、昨夜はアルの寝室で彼とベンジャミンがダブルベッドで、簡易ベッドで私が眠ったのだった。


 アルが小さな子どもにするように背中をゆっくりとしたリズムで叩くと、ベンジャミンは瞬く間に眠りに落ちた。呑気なものだ。残ったのは、彼に起こされた大人が二人。

 そこでアルと声を潜めて話す内に、囁かれたのが先の言葉だった。


 私は、よく笑うようになったらしい。確かに、この十年は『笑う事』そのものを忘れていた。『笑う』という選択肢がなかった。

 頭のどこかでもう二度と、笑う事はないだろうとも思っていた。

 その私が。アルにしっかり抱き着いて眠るベンジャミンを、微笑ましく眺めている。


 自覚したら、急に羞恥心がわいてきた。

 私は眠気がきた事を装って彼に背を向け、ぶっきらぼうにおやすみと呟く。それを見透かしたように、アルは微かに笑いながらおやすみと応える。

 本当に眠りにつくまでの間、ベンジャミンの背中を叩くポンポンというリズムが聞こえていた。


 これは……聞いた事のあるリズムだ。そう思いながら眠ったら、懐かしい夢を見た。かつて、愛する事を恐れていなかった頃の夢を。

 ベンジャミン……お前は私を、本当に愛してくれるだろうか? もしそうたずねたら、お前はかけ値なしに「イエス」と答えるだろう。

 その言葉が、いつか消えてしまう『愛』という感情が、こんなにも怖いだなんて。どうかしている。

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