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おいしい食事、おいしくない食事

「腹が減ったなあ……」


「お兄ちゃん、さっきお昼ご飯は食べましたよね? 今は記憶障害も治療できますし検査してきますか?」


 しれっと人を記憶障害扱いする妹。そういう事じゃないんだよなあ……


「そうじゃない、『まともな』食事が食べたいんだよ……固形食料がどうにも味気なくてな」


 俺の舌は本物の肉の味をすっかり覚えてしまった。舌が肥えるというのだろうか? 今ではほとんどの人が体験したことの無い感覚だ。


 贅沢病と言ってもいいだろう。ついつい美味しいものを食べてしまうと無味無臭の固形食料はあまりにも味気ない。


「お兄ちゃん、アレはイレギュラーで特別な物ですよ? 日常的にそんなものが食べられるはず無いでしょう?」


「わかってるって……わかってるんだけどなあ……」


 さっき口の中の水分を吸い取った固形食料が憎かった、ゼリードリンクにしても水分量くらいしか違いが無いのでどうあがいても美味しいものは当面食べられそうに無い。何か味のあるものがとてもとても愛おしかった。


「まったくもう……この時代の普通に慣れましょうよ、そうそうお肉なんて買えるわけないでしょう」


 わかっているが、それが悲しいんじゃないか、一度上がった生活レベルを落とすのは非常に苦しい。動物を飼っていた時代では良いものを食べさせると、家畜が普通の食事に満足しないので、いつもの食事を食べなくなってしまうことがあったらしい。人間も動物だとよく思い知らされてしまう。


「なあリリー、今晩も合成食料だよな?」


「もちろんじゃないですか、甘えは許されませんよ?」


 俺は諦めて夕食まで退屈な時間を過ごすことにした。妹の方は何やら誰かと会話をしているようだ。おおかた隠し回線でも使って遠隔地と通信をしているのだろう。どのみち実際に会うことは敵わないような相手に血道を上げる気は無いだろうから、俺もそれにとやかく言う気は無い。


「俺も交換を上手いことやれば肉が食えるのかなあ……」


 そんな疑問が浮かんでは消えた。俺は妹相手の交渉でさえ上手くできないのに赤の他人との交渉など出来るはずがない。益体もない考えをやめて俺は個人用端末で読書を始めた。


 そして少しして……


「つまんね……」


 何しろ登場人物の誰も彼もが仲良しで、悪人は出てこず争いも起こらず、ただただ人が生まれてから死ぬまでを描いている。誰だこの本でいけると思ったのは。


 行間に何か深い意味があるのかもしれないと考え読み込んでみることにする。


 主人公の行動はどこまでも一般的なもので、あえて不思議な点を上げるなら世界が運営という一組織に管理されていることにまったく疑問を覚えていないところだろう。


 誰もが不満を持っているが口にはしない、そんな世界だというのに、この本は世界を統治する機関を絶賛している。


 もしかしたらそこに実は深い意味があるのかもしれない。序盤もラストも運営の礼賛で終わっている、間でそれに疑問を持つ場面があっただろうか? 端末の容量を消費しない程度にはページ数の少ない本を二三回読んでもさっぱり伏線らしきものは分からなかった。


 アレだな……ご都合主義の情報、検閲対応品、処理済みのデータ、何度呼んでもその程度の感想しか出てこないし、面白くもなかった。


 リリーに借りた本は面白かったなと思いだした。序盤で人が死に、悪役が世界的なプロジェクトを始め、それを正義の主人公たちが犠牲を出しながら倒す、そんな話だった。


 今の時代ではどこを切り取ってもアウトとなる表現しかないのだが、それが面白い理由だと思う。誰も彼も仲良くと、そう目標を立てても上手くいかない、結局、人類が選んだのは敵対しないほどに人と人の距離を離すという施策だった。


 しかしそんなことをおくびにも出すわけにはいかない、あらすじを外で読み上げたら思想矯正施設行き間違い無しの内容だった。


 俺は端末でいろいろな本を眺めてみる。幸い時代が時代なので皆趣味で書き、そのデータを入稿して検閲されたものが無償公開されている。


 無料というのはありがたいのだが、どうにも検閲がひどいような気がする。本にはよくストーリーが繋がっていない点の有る物語がある、それらは検閲で必要な描写までバッサリ切り取られた結果だと聞いたことがある。原著が読みたくてしょうがなかった。


 リリーのやつは紙の本でさえ持っている。そちらは検閲が大変なので大丈夫とのことだが、当然そういうものは値上がりしている。前時代のものなら良いレートで交換できる。


 俺は端末からアクセスできる限界ギリギリの表現を検索してみる。どうやらエロ系に関しては激甘だが、暴力や戦争に関しては匂わせるのもアウトらしい。その基準で良いのかという気もしないでもないのだがこれが戦後というものなのだろう。


 そんなことを考えているといい匂いが漂ってきた。何かが焼ける匂いだ、肉や野菜の匂いとはまったく違う。


 よく耳に集中すると何かが焼けている匂いもした。キッチンにダッシュしなくては!


 キッチンではリリーが何かを焼いていた。


「ああ……ワガママなお兄ちゃん、ちゃんと作ってあげますからもうちょっと待ってくださいね?」


「え……!? だって肉なんて手に入らないんじゃ……」


「だから合成肉ですよ、このくらいはストックがありますからね」


「そうだったのか……」


 合成肉なら手に入ってもおかしくない、どこか物好きがほぼ腐らない合成肉を取り引き材料にしたのだろう。


「とはいえ、ちゃんと調味料も用意してますから普通にやくよりは美味しいですよ?」


「よく調味料なんて手に入ったな」


 リリーは軽い感じで答えた。


「この前の唐揚げのあまりですよ、交換する人が『肉がないなら要らない』とおまけで付けてくれたんですよ」


 気前のいい話だな……確かに肉もないのに調味料だけ残していると未練がましいという気持ちは理解できるのだが……


「じゃあお醤油をかけますね」


 そう言って小さなパックに入った真っ黒な醤油を開けて合成肉の上にかける、ジュウジュウと音を立て香ばしい香りが部屋の中に広がる。


「いい匂いだな」


「人によってはこの香りだけで固形食料が美味しく感じるとか言われてますよ」


 固形食料は無味無臭なので香りを感じるだけでも食欲が違うのだろう。その気持ちはよく分かる。


「さて、このくらいでいいですかね、お兄ちゃん、お皿を二つお願いします」


「はいよ」


 滅多に使われることのない食器を短期間でいくつも使ったことに感慨を覚えながら、俺は皿を二つ用意した。


「はい、合成肉醤油焼きの完成です! 食べましょう!」


「ああ、食べよう!」


 そうして二人で食事をしたのだが、その肉自体には味がなかった、しかしどこか醤油の力が働いたのだろう、いい感じの味になっていた。


「お兄ちゃん、満足しましたか?」


「ああ、とっても」


「ではしばらく固形食料で我慢してくださいね?」


 俺もそこまでのワガママは言えない。


「わかったよ、一緒にまた食べようか」


「はい!」


 気持ちの良い笑顔でリリーは俺に微笑んだのだった。

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