終末において技術は対数的に進化していく
緑の草原を夢に見た。あまりにも現実感のない夢だったのに青空や陽光はやたらとリアルだった、現実を知らないのでリアルっぽかったというのが正直なところであるが。
「はぁ……眠い……」
気怠げな朝、相変わらずの窓の外はトンネルだ。気が重くなる現実と、知らないはずの青空を夢に見るというのはなんとも不思議な感覚だった。見たことの無いものでも平気で現れてくる人間の想像力はすごいなと思う。
朝ご飯の合成食料を食べながら、どうせなら美味しい食事の夢でも見たいものだと思った。
「お兄ちゃん、いくら夜でも明るいからって夜更かしは良くないですよ?」
リリーに注意されてしまった。それはまあごもっとも、太陽が見えようと見えまいと規則正しい生活は必要だ。
誰かに注意されないとやるべきことでもやらないのが俺の信条だ。無理をするのはあまりいいことではない。人間だらだらしている方が好きなはずだ。
「善処するよ……」
「それは絶対にやらない返答ですね、お兄ちゃんってルール違反でなければ何をやってもいいって思ってませんか?」
何を言ってるんだ?
「当たり前だろう? 明文化していない方が悪いんじゃん、俺はできる限りルールの中で生きてるぞ」
「私が闇市に行くのはいい顔しない割には家庭内のルールについては結構ガバガバですよね」
そりゃあ闇市はルール違反だからな。俺も時々は行くがリリーほどのヘビーユーザーではない。まあ五十歩百歩ではあることは否定しない、それでもルール違反は少ない方がいいんじゃないだろうか。
「ごちそうさま」
「ごちそうさまって言うほど美味しいですかね?」
「ただのルーチンワークだよ、特に味とは関係ない」
しかしまあ……戦場で効率的に栄養補給が出来るようにと作られた食料で戦後の世界を生きているとはなんとも皮肉な話だ。
「お兄ちゃん、神も悪魔も信じないのにそういうことはするんですよね、前時代から信仰も薄れたっていうのに思い出したようにそういうことをするんですから……」
頂きますなんて概念は生き物を食べていた頃の概念ではある。合成食料に命はないので一々そんなことを言う人ももうほとんど居なくなった。
しかも、ほとんど全てが自動化された機械生産なので感謝する相手がいない。勝手に作られ自動運転で配送されているだけだ。
「まあたまには感謝をしたくなる時だってあるだろ?」
「わっかんないですねえ……」
リリーはそれでも不満そうだった。コイツは現実主義者なのでそういったものを信じては居ない、怪談で怖がることはあるが、それは様式美みたいなもので、別に幽霊を信じているわけではないはずだ。
「気分だよ、気分。人間は理由の無い行動をするものだよ」
「じゃあ突然妹を愛して止まない人間になってしまう可能性もあるんじゃないですか?」
「今のままでも結構好きだがな」
「えっ!?」
嫌いだったら話しかけもしないだろう。この生活は嫌いではない。運営への不満はたっぷりとあるが妹への不満など無かった。
「じゃあ私のことを愛しているって言ってください!」
「あいしてるよー」
「心がこもってないですね……」
だってなあ……
「俺はそもそも思ってないようなことは口にすらしないからな?」
リリーは少し驚いた様子だったが澄ました顔にすぐ戻った。何事も無かったようにしているが久しぶりにリリーが思いきり取り乱した様を見たのは少し面白かった。
「お兄ちゃんは突然そういうことを言うから妹の私が苦労するんですよ?」
「そりゃあ悪かったな、俺はそういう性格なんだよ」
リリーはため息をついてから諦めたような顔をする。
「お兄ちゃん、私がいなかったら絶対に生活が破綻してますよ……」
「でもお前は居てくれるじゃん?」
「そういうのズルいです……」
俺は妹と軽口をたたき合ったあとでスピーカーから音楽を流す。現代で流しても問題の無い平和的で善良な人が歌った歌だ。善良の定義なんて時代によって変わるだろうとは思うのだがそう言ったことを疑問に思ってはいけない、それが平和な生活をするためのコツだ。
「この曲って好きなんですか? 私には道徳の教科書の朗読かなとしか思えないんですが……」
「別に好きってわけじゃないがな、運営が公式配信してる曲なんて驚くほど少ないじゃん」
お世辞にも聞いていて楽しくなるような曲ではないけれど、聞いていても白い目で見られることの無いような曲だ、選択肢は多くない。
「つまんないですよねえ……私が持ってる曲をオフラインで流しませんか?」
「突然オフラインにしたら睨まれないか?」
「闇市に一体何人居ると思ってるんですか? いちいち全員を監視していたりしませんよ」
というわけでリリーの持っている曲データを再生することになった。本来なら再生できないのが運営のりそうなのだろうが、技術者がおらず、既存の設備で作り上げるしかないという性質上、外部入力はどうしても出来る。運営もこれを取り去るために生産ラインを改変しようなどという労力をかける気は無いのだろう。
スピーカーの通信機能をオフにしてリリーが持ってきたデータをケーブルで流し込む。途端にアップチューンのノリのいい曲が始まった。
「いい曲でしょう? 私のお気に入りですよ!」
「そうだな、いい曲だ」
「じゃあお兄ちゃんも、もうちょっとルールに寛容にしようという気になりませんか?」
「それはそれ、これはこれ」
こうして俺たちは前時代の遺物を使って生活をしている。前時代の技術で人類がほとんど滅び、その技術で生き延びている。矛盾をはらんだ生活を送りながら、こんな日常も悪くないと思った。




