道具の要らないASMR
年末、俺は寝て過ごそうと思っている。大半の施設が休暇を取るので取り立ててやることも無い。なのでこのくらいのダラダラは許してもらえるだろう、そもそもあくせく働いている人など皆無なのだが……
「お兄ちゃん、朝ご飯を食べますよ」
「ふぁあ……はいよ」
俺はソファから起きてテーブルに向かう。年末というのはめでたいものではなかったのだろうか? そこには無慈悲にもいつもの保存食が置かれている。
「年末だって言うのに食べるのはこれか……」
「しょうがないでしょう、配給所だって休むんですからまともな食品がでるわけないじゃないですか」
それはまあごもっともな意見ではある。正論であることと納得できるかと言うことにまったく関係は無いのであるが……
しかし固形食料というのは味がない。公平性の担保などと言うもっともらしい理由を付けているが不味いものでもいいから欲しいと思ってしまう。
「わかったよ、昼飯にするか」
「ええ、食べましょうか」
ポリポリ固形食料を囓っていく。口の中が乾くので水を飲む。味のない物同士が組み合わさってもやはり味は無く口の中がどろっとして不愉快な感じになってしまう。
これを作ったやつはこれで受け入れられると思ったのだろうか? まあこの手の食料は軍用が元になったという説もあるので味より栄養という考えに至ったのはその説を補強するものになる。
「ふぁ……俺、寝るわ」
「お兄ちゃんもだらしないですねえ……」
「だってこの時期はどこも何もやってないじゃん、暇なんだよ」
「まったく、お兄ちゃんときたら……膝枕でもしてあげましょうか?」
「いや、いい。なんか変な夢を見そうだ」
「ちぇ……」
なんだかリリーは残念そうだ。膝枕なんてソフトなボディタッチを今時やる奴は少ないぞ。
「じゃあ寝る今年は人間生活をサボる年にするよ」
「今年って……もう数日じゃないですか、宣言するようなことですかね?」
「言葉尻をあげつらうんじゃない、とにかく、皆休んでいる時にあくせくする趣味はないんだよ」
そしてソファに寝転んでうとうとしながら意識が途切れていく……
「好きです……大好きです……」
なんだかそんな声が聞こえてくる。聞き慣れた気がする声なのに何故か相手が見えない。ああ、夢か。
俺は滅多に夢を見ている時に夢だと自覚することはないのだがその日の夢は年末の力か、なんだか夢であると理解できる夢だった。
俺の前に少女が立っている。
「大好き!」
俺は少女に飛びつかれる。誰かに抱きつかれていて、それが少女であることは理解できているのにその相手が誰なのかは何故か判別できない。顔の部分が真っ暗闇になっており、こんな記憶があったかどうかも不明だ。昔のことは覚えていないような気がするのだが、この夢については荒唐無稽な夢だと思えてもうどうでもいいような気がしてくる。
「愛しています……は……を……愛しています」
ぼやける声に肝心の部分が聞き取れない。だれかの聞き覚えのある声だとは分かるのだが、それが誰であるかは分からない。
「……は……が……大好き……大好き……」
この少女が言っていることは理解できる、俺にひどく懐いているようだ。
「ふぁあああ……まだ眠いな……」
「あらら、お兄ちゃん、お目覚めですか? もうちょっと寝ていてもよかったんですよ?」
「人間が二十四時間ぶっ続けで眠れるような生き物じゃないことは知ってるだろう?」
「それにしてもまだ眠そうですけどね」
実際眠かった。しかしなんだか変な夢のせいで落ち着かなかった。
「どうかしたんですか?」
「ああ……いや、妙な夢を見ただけだよ」
ガタッ
リリーが急に立ち上がった。顔は驚きに染まっている。
「ええっと……夢、ですか?」
「ああ、中途半端に寝たせいかな」
リリーは俺の返答を聞いてゆっくり優雅に座り直した。立ち上げる時に慌てていたので今更取り繕ってもしょうがないような気がするのだが……
「お兄ちゃん、良い夢でしたか?」
「いや、変な夢だったよ」
「そうですか……」
リリーはなんだか残念そうにしていたが、俺は何故夢のことをそんなに気にするのか不思議だった。
その日はそれだけだったのだが、中途半端に寝たせいで夜眠るのに随分と難儀した。いや、それ自体は構わないのだが――どうせやることはないのだから――しかし隣のリリーの部屋から呪詛のようなぼそぼそ声が聞こえてくるせいで夜になって寝るのに随分と苦労したのだった。




