インスタント麺をそのまま食べる
俺たちは空っぽのお椀を前に決断を迫られていた。インスタント麺の入った袋とお椀、これについてリリーと議論をしていた。
「正しい食べ方の方がいいって! ちゃんと説明にもそう書かれてるじゃん!」
「私はイレギュラーな食べ方もやってみるべきだと思いますがね? やってみないと分からない事って多いんですよ?」
俺たちはインスタント麺を『お湯に入れて食べる』か『そのままかじるか』で議論をしていた。
運営が生産に成功したインスタント麺を試験的に配布した。生産の都合でスープを別で生産すると難易度が上がるため、出汁に浸した麺を揚げて作ったものだ。
さてこの麺だが、『そのまま囓ってもいける』と昔の資料に書いてあったのを見たような気がした。リリーも知っていたらしく、俺とどうやって食べるべきか議論になっていた。
「そのまま食べるなんて身体に悪いって!」
「やってみなくちゃ分かんないでしょう! 私は身体に悪いものを食べてみたいんですよ、味気ない食事はもうたくさんなんですよ!」
リリーは食事に不満がありすぎて冷静な判断を出来ないようだ。
確かに昔はインスタント麺をそのまま食べる文化というか悪癖があったことは知っている、これについては隠されている情報では無い。しかし……
「やめとけよ、どれを読んでも身体に悪いって書いてあったぞ」
理由までは書いていなかったが、どれを読んでも身体に悪いのでお勧めはしないと書いてあった。多分昔はそんなことをやった人が多かったのだろう。そもそもお湯をかけて食べるものを生でバリバリ食べるというのがなんとも不自然だと思う。
味の濃いものが欲しいからって食材を生のまま食べるなんて非常識だという俺に対してリリーは『常識を疑え』と昔の誰かが言ったことを引き合いに出して譲らない。
コイツは先人の知恵という言葉を知らないのだろうか? もっとも、その先人が大戦争をやって現代がこの有様であることを考えると先人に逆らいたくなる気も分からなくはない。
「分かったよ……半分な、残りは普通に食べような?」
「分かりましたよ、人間なんてそうそう死なないというのに細かいことを気にしますねえ……」
「わざわざ自分から危険を冒すのはまた別の話なんだよ」
そう言ってリリーのインスタント麺を半分に割った。スープとして出てくるはずの出汁の香りが漂ってきた。気持ちは分かるんだよなあ……実際美味しそうだしさ。
健康の値が悪くなると嫌みの一つも言われるかもしれないし、引き離されるようなことは無いだろうけれどお小言くらいは我慢しなければならないかもしれない。
そう言った面倒くさいのが嫌だから正しい用法用量を守るのが基本だ。麺をパリパリかじるなど用法を明らかに守っていないだろう。
パリパリとリリーは固い麺をかじりながら恍惚とした表情を浮かべている。
「お兄ちゃん! これめっちゃ美味しいですよ!」
「そ、そうか」
俺もやってみたくなかったと言えば嘘になる。そういったルールに違反することに憧れることもある。俺の場合は憧れるだけであって実際に行動に移さないところが妹と兄の違いだ。
コイツは多少のルール違反は平気で行う、バレなければセーフという理論を振りかざしているし、実際にバレたことが無いのだからそれが正しいのかもしれない。
「お兄ちゃんもやってみませんか?」
俺に水を向けてくるリリー。
「悪いが俺はルール違反をする趣味は無い」
「でもほら、いい匂いでしょう?」
麺のひとかたまりを俺の鼻に突きつけてくる。それからはなんとも言えない現代では滅多に嗅ぐことの無い動物の肉の香りが漂っている。人としての本能がそれに食いつきたがっているがそれを我慢して自分のラーメンをお椀に入れ、お湯を注ごうとした時点で躊躇ってしまった。
リリーが後ろから抱きついて俺に囁く。
「お兄ちゃんだってこういう不健康なことをやってみたいんでしょう……? 素直に私と一緒に食べましょうよ……大丈夫、誰も見てませんから」
俺は……俺は……結局お湯を注ぐことが出来なかった。味の濃いものがどうしようも無く恋しくて、その誘惑に耐えきることが出来なかった。
「誰にも言うなよ? ここだけの秘密だぞ?」
リリーはニヤリと微笑んだ。
「ええ、二人だけの秘密です」
そうして二人でインスタント麺をポリポリと囓っていった。大変美味しかったのでリリーがそうしていたのがよく分かった。俺からすればこの罪悪的な味に魅力を感じるのも理解は出来た。
「ふぅ……美味しかったです」
「そうだな、美味かったよ」
「ねえお兄ちゃん……」
「なんだ?」
「これで共犯ですからね?」
「くっ……分かったよ」
その事についてはだんまりを決め込んだのだが、この食べ方を思いついたのはリリーだけではなかったらしく、その次の配給日には念のためにと言うことで血圧の薬を支給されたのだった。




