妹と痛み止め
俺は一人でゼリードリンクを飲んでいる。大変美味しくないのだがそれにはただ単に味がしないので不味い以上の理由があった。
俺の向かいの席は誰も座っていない、つまりリリーがいないということだ。いつもならやかましく俺に日常の愚痴を言ってくる妹がいないのはなんとも味気ない感じがした。もちろん支給されたものが美味しいわけがないのではあるが……
ギュッと握って味のしないゼリードリンクのパウチを押さえて中身をまとめて口の中に突っ込む、味などと言う贅沢なものを求めるべきではない、しかし一緒に食事をするパートナーくらいは望んでもいいのではないかと愚痴りたくもなる。
そんな無味乾燥な食事をしているとリリーが部屋から出てきた。
「お兄ちゃん……うおぇっぷ……頭が痛いです」
「風邪か?」
「へ……ええっと……そうです」
何故か妙な間があってリリーは答えた。幸い配給日の翌日なので自販機で薬を買っておけば問題無いだろう。
「ほら、これで頭痛薬を買ってこい」
俺はテーブルに一枚のコインを置く。もうすでに通貨としての価値は無いが公共サービスを受けるときに建前上対価として支払われることがある。ちなみに硬貨は金属としては価値があるので高額の券面が描かれている紙幣の方が安く手に入る。
自動販売機はコイン一枚でほとんど全ての病気の治療薬を出してくれる。症状にあたるボタンを押して手をあてて簡易スキャンをするだけという楽な仕様だ。
しかし、薬物は大量に集めればいろいろな使い道があるため硬貨を対価として入れなければ薬は出てこない仕様になっている。もっとも、病院が無料なので自販機を使う人はほとんどいないのだが……
「はーい、じゃあちょっと買ってきますね」
そう言って頭を抑えながら家を出て行った。珍しいな、頭痛か……
残念ながら原始的な症状である頭痛だが、考え得る原因がたくさんあるため根治させることが難しかった。とはいえ強力な鎮痛剤が開発されたのでそれを飲めば一時的な頭痛程度ならそれでどうにかなってしまう。
まどから差し込む薄暗いライトを眺めながらなんだかリリーの様子が気まずそうだったことを思い出す。
「隠しごとか……」
それを追求する気は無いが、心のどこかで残念に思う気持ちは確かにあった。ただ、リリーの隠しごとというのは大変くだらないことが多いので気にもならない。好きにすればいいのだろう。
しばし待つとリリーが帰ってきた。勢いよくドアをバタンと開けてシンクにダッシュをして頭痛薬を水で飲み込んでいるようだ。今では胃に悪い痛み止めも少なくなっているが、念のためゼリードリンクをリリーに渡す。
「ほら、これを飲んでおけ、少しはマシになるぞ」
「あ゛……ありがとうございます」
かぷっと栓を開け一気にそれを飲み干した。なんだか顔色が悪い気がするのは何故だろうか?
「ふぅ……ちょっとマシになりましたね……」
「何かあったのか? なんかゲロを吐きそうになっているみたいだけど」
「ええ、ちょっと酔ってしまいまして……」
はて? 俺の聞き違えだろうか?
「酔うって……アルコールにか? 最近アルコールなんてレア中のレア物を手に入れた記憶は無いんだが」
「ふっ……アルコールは意外とそこら辺にあるんですよ!」
俺はリリーに顔を近づけて匂いを嗅ぐ、確かにいつか嗅いだ記憶のあるアルコールの匂いがした。
「え? マジでアルコール?」
「そうですよ、この前定期検診で歯磨きが足りないって言われたのは覚えてますか?」
「ああ、ただ配給食だけ食べるなら虫歯にはならないって聞いたんだが……」
「そこでそれをもらったのも覚えてますよね?」
そう言ってリリーは台所のシンクにおいてある歯磨きセットを指さす。そこには歯ブラシと歯磨き粉とマウスウォッシュがおいてあった。
「これがどうかしたのか?」
「その青いマウスウォッシュですがね、溶剤にアルコールが使ってあるんですよ」
俺はボトルを手に取って成分表の一覧を見る、確かにそこにはエタノールと表記されていた。
「よくこんなものを飲めたな……」
俺は呆れながら言う、普通はこんなものを飲もうなどと思わない、ついでに言うならアルコールの入手性の悪さからお酒の主成分がエタノールであると知らない人も多い。前時代の末期にはメタノールを飲んで死亡した人間が存在したらしい。
「飲まないとこの現実と向き合えなかったんですよ……」
「お前なぁ……もうちょっと健康に気を使えよ、こんな悪知恵ばかりつけてどうするんだ」
現実がクソなのは大いに理解するが、アルコールに逃げるとロクなことにならないぞ。
「うぅ……お兄ちゃんはもっと妹を心配してくださいよぅ……」
「というか洗口液を飲むなよ……飲用不可の文字をエタノールの前に読んで欲しかったな」
「運営から支給されたときに『飲むな』とは言われませんでしたからね」
開き直るリリーだった。まあ飲んだものはしょうがないので部屋で一日眠らせたのだった。
「ほら、薬を飲んだら部屋で寝てろ、二日酔いなら一日も寝れば良くなるだろ」
「じゃあお兄ちゃんが隣にいてくださいよぅ……」
「それに意味があるのか?」
「どうせ暇なんだからいいじゃないですか!」
「はぁ、分かったよ。分かったから水を多めに飲んでおけ」
「はい……」
こうしてなんとか寝付かせることに成功した。
俺はその晩、歯磨き後に洗口液を使用したのだが、とても飲めるような味ではなかった。これを飲んだのかと感心さえするほどの味だった。




