妹と隠し通信回線
朝、ここ最近ロクなことが無いので起きるのが憂鬱になっていた。昔の人間達も学業や仕事に行きたくないと気分が落ち込んでしまったらしいが、現代においてはやることが無さ過ぎるという悲しい話だった。
毎日朝起きる度に朝食に固形もしくはゼリー状の栄養食を食べさせられるのを考えると、いっそ何も食べないという選択肢があってもいいんじゃないかと思えてくる。昔は朝食に何を食べるかで悩んでいたらしい。羨ましい限りだと思う。
朝食の選択肢がほぼ無いことにうんざりしながらいつも通り国民服に着替えてリビングに向かう。ダイニングキッチンというものが全家庭に存在しているというのにそれが活躍する機会は全くと言っていいほどない。調理用の電力は無限に補給できるが、残念ながら食材の方はそうもいかない。太ることも痩せることもなく、ただただ平坦な人生を歩むことを強制されている、しょうがない、食べなきゃ死ぬもんな。
渋々リビングに行くとリリーが電話を使用していた。はて、電話は確かに利用できるが、回線は全部監視されているのでアイツの好むような話は出来なかったはずだが。
「おい、何を話してるんだ?」
どうせ重要なことではないのだから気軽に話しかける。通信先は限られていて大した通信先は無いからな。
「ひゃう!? お兄ちゃん! いきなり話しかけないでくださいよ! 今は密造マーガリンをもらえるか交渉中なんですよ!!」
「え? いや、普通にそんな回線使って話してたら運営のお世話になるんじゃないか? マジで手が後ろに回る様なことだけはするなよ? バレなきゃいいけどバレたら完全アウトなんだからな」
リリーはドヤ顔をして電話機に繋がっている青い箱を指して言う。
「コイツを使えばどんな会話だってやりたい放題! 魔法の箱を買ったんですよ!」
「えぇ……そんなものどこで買ったんだよ? というかそれが信用できるのか?」
「ふっふっふ、ディーラーのかたがその場で公衆電話回線を使って知り合いと爆薬の製造計画について話し合ってくれましたよ! それが安全な証拠でしょう!」
「それは……安全なのか……?」
リリーは胸を張る。
「そんなこと公衆回線で言えば即呼び出しからの思想矯正行きですよ、冗談であってもそうなるんですからアウトなのは当然でしょう」
そうか……まあ安全なら好きにすればいいんだけどさ、俺は密造マーガリンっていうものはかつてはとんでもなく安かったという話を聞くが、あいにくこのご時世だとマーガリンでさえ高級品だ。
「ところでその機械、相手の方も使ってるのか?」
「そりゃそうですよ! 末端まで両方暗号化が必要ですからね」
「結構な商売だな……」
運営に目をつけられたら危険極まりないような気がするがある程度行き渡っていて安全と確認されているなら好きにすればいいだろう。前時代の遺物でなんとか通信回線を保たせているだけなので多分運営もこの手のチートを一々追いかけられないだろう。一応の所安全と言えば安全だ、少なくともコイツの持っている書籍が見つかるよりはマシだろう。勧善懲悪でも人との争いはいけない、それに比べて平和的な会話をしている分にはいちいち怪しい通信に目をつけないだろう。
「あ、すみません、それで交換品ですが……」
リリーは回線の向こうと話を始めた。俺は密造マーガリンとやらの味がどんなものなのか気になるが、それはリリーのお仕事だ。現代のトレーダーに俺がとやかく言ってもしょうがない。コイツはなんだかんだで取り引きの上手いところがある、わらしべ長者といった昔話があったらしいが、その内容に似たようなものだなと思った。
何やら交渉が進んでいってリリーは部屋の唐辛子を一瓶持って言った。
「交渉成立です! マーガリンと七味唐辛子でレートが成立しました!」
「お、おぅ……」
レートがさっぱり分からないがどちらも単品では使い道がないという点では似たようなものだ。調味料が単品で食べられるわけではないだろうし、好きに使えばいいんじゃないだろうか。
「さて、バイヤーに預けて取り引き成立ですね」
「バイヤーまでいるのかよ……」
「この電話機で秘匿通信が手軽になりましたからね。中間地点に住んでいる人が取り引きの仲立ちをしてくれるそうです」
「その人にも報酬が必要なんじゃないか?」
ただでリスキーなことをする人も居ないだろう。反政府活動でも目的にしていない限りわざわざそんなことをするとは思えない、そして反政府活動をしようにも相手にする政府と呼べるものが成立していない以上そんなことをする奴もいないだろう。
「その人へは固形食料一個で足りますからね。もうちょっと貴重なものの交換だと少し高くつきますがね」
急ごしらえした割には気遣いの入ったシステムだった。普通は急ごしらえだともっと雑になるものだが、現代の無法地帯に介入するやつもいないしな。
「お兄ちゃんは私にもっと期待するべきだと思いますよ? 私が経済活動をしているんですからね」
「違法でなければ立派だとは思うよ……」
そう、運営を介さない交換行為は違法となっている。そもそも交換するものが乏しいので交換するという発想がほとんど無いため文句を言われないだけだ。
「私の天才的取り引きを甘く見ないでいただきたいのですが……」
「はいはい、経済を回してるな」
回す経済が存在しないことには突っ込まないでおいた。多分何を言ってもしょうがないのだろう。本人が満足しているなら俺はとやかく言うべきでは無いのだ。
そうしてリリーは唐辛子の瓶をそっとポケットにしまって家を出て行った。その日、ホクホク顔でマーガリンをもらって帰ってきた。
そして翌日『不正な使用が見受けられたため一時的に通信回線を遮断します』とスピーカーから流れてきた。リリーは涙目で『パンをもらおうと思ってたのに……』とグズったので頭を撫でて『そんなもんだよ』と言っておいた。




