一杯のコーヒー
『本日は地上で生産されたものを試験的に支給することが決定しました。一週間の間に配給を受けるかたには追加で支給されるので是非お越しください』
朝の放送はそんなものだった。地上……人類がドーム外においてまともに暮らすのが困難になってから、僅かな高給取りが地上に生態系を復元しているところだ。
地上の浄化チームは毎日美味しいものを食べられるらしいと噂で聞いた。もっとも、美味しい食事のために余命数年になるほどの過酷な環境に出ていこうとは思わないが……
白湯を飲みながら固形食料を口に押し込む。地上で生産されたものということはおそらく食料だろう。生活用品は地下でも生産できるし、いつでももらえるものをもらって喜ぶ人は少ないだろう。
「お兄ちゃん、楽しみですね!」
「そうだな」
味というものが貴重になった時代だ。苦くても甘くても酸っぱくても塩っぱくても、この味のしない食料たちよりはずっとマシだ。
一週間、要するに配給を受ける家庭が一週間のローテーションで一周するので、全家庭へのプレゼントということだ。そして本日は俺たちの配給日だった。
「さて、準備をしていくか」
「意外とお兄ちゃんも浮かれてますね?」
「なんだよ、俺はいつも通りだろ?」
リリーはクスリと笑って俺の足を見る。
「寝ている間はそれでいいんでしょうけどね、パジャマで配給をもらいにいくのはどうかと思いますよ?」
そういえば着替えていなかったな……
「ちょっと着替えてくる」
部屋に戻って国民服を着る。一応服飾品も存在はしているが実際これが一番頑丈で着心地のいい服だ。
それに着替えて家のドアまで行く。リリーは俺を待っていた。
「じゃあ行きましょうか!」
そうして二人でドアを開けた。配給所への道を行く、心なしかすれ違った幾人かはとても嬉しそうにしていたので俺も期待を煽られる。
「絶対美味しいやつですよね?」
「だろうな」
工業製品には困っていないが、前時代の人間も生命の神秘を暴くことは出来ず、誰にでも美味しいと言われる食料生産は出来なかった。そこでもう少しがんばっていたら俺たちの世代がとても恵まれていた可能性もあるかと思うと少し腹が立った。
現在の食料は水耕栽培に紫外線ライトで育てた植物くらいしかない。完全栄養食といえば聞こえはいいが味の方は無かった。
「お兄ちゃんは何を希望しますか? 私はミカンが食べたいですね!」
「何故ミカン?」
「昔はこの時期にミカンを食べていたらしいって噂ですから」
現在は冬と呼ばれる時代だ、季節的なものなのかもしれないが、季節の概念が無くなっているためただ単にカレンダーに日付以上の意味は無い。
「で、お兄ちゃんは何が欲しいんですか?」
「そうだな、お茶か何かが欲しいよ。味のある液体を飲んでみたいからな」
「そういえばずっと水しか飲んでませんもんね……」
水に困らないというのは決して悪いことではない。濾過と消毒を繰り返して水を循環させている。足りなくなれば海水から真水を精製する技術も存在している。喉の渇きを癒やすのは水ばかりで物足りなかった。
そうこうしているうちに配給所に着いた。
「初めまして、昴さんとリリーさんですね」
「初めまして」
「初めまして」
いつも『初めまして』だ、滅多に二度同じ配給担当者に当たることは無い。癒着の禁止などもっともらしい理由はあるが一番の理由は『労働が嫌い』の一言に尽きる。
前時代は働けば報酬がもらえて社会的に成長できたらしい。現代に社会なんてものは崩壊しているし、報酬は無尽蔵に生成できるようなものでしかない。だから当然みんな面倒事を嫌って家で腐るような生活をしている。
「ではお二人とも身体スキャンをお願いします」
いつも通り個室に入って光が身体を包んで全身をスキャンする。結果は『良好』だった。きっとこの機械では身体の健康は判断できても精神面には考えがおよばないのだろう。
機械には感情というものを計測するのは結局成功しなかった。死ななければそれでいいと言う考え方が主流の時代にはそれで十分なのだろう。
「はい、お二人とも良好ですね。ではこれが配給になります」
そう言って袋を一つ渡してくる。これといって重くなかったのでミカンという線はないだろうな。
「お兄ちゃん、私にも持たせてください!」
「ほら」
密度の低い袋をリリーに渡す。重さがいつもとほとんど変わらないのを感じて露骨に不機嫌になった。
「むぅ……外れっぽいですね」
「そう言うな、軽くても美味しいものはたくさんある」
「そういうもんですかね、まあ帰って開けるのを楽しみにしましょう」
今から配給所に向かう数組と出会いながら帰宅した。
「じゃあ開けますよ!」
ドサリと置いた袋を開ける。
「はぁ……お兄ちゃんの勝ちみたいですね」
「何が入ってたんだ?」
俺が覗くと瓶に入ったコーヒー豆が入っていた。いつもはこんなものは支給されないのでこれが地上で生産されたものなのだろう。
「コーヒーが育つ程度には地上もまともになったんだな……」
「どうですかね……相変わらず地上担当者は寿命が短いらしいですよ」
人間を消費して地上の環境を改善する。現代では最優先される人間を使い潰すというとても重いコストを払ってでもそれを行っているのだろう。
「暗い話はやめて一杯飲もうか」
「そうですね」
普通の日にはまず使うことのないコーヒーミルで豆を挽きながら地上の環境に思いを馳せた。
ドリッパーをマグにセットして粉を入れてお湯を注いでいく。フワッと香ばしい香りが広がった。
黒い液体をカップ二つ、テーブルに二つ置く。
「じゃあ飲もうか」
「ええ……そうですね」
砂糖は貴重品なのでもちろん使えない。昔はミルクをコーヒーに入れていたというのだから驚きだ。そんな貴重品を気軽に使えた時代は何処までも羨ましい。
「お兄ちゃん……苦いですね」
「コーヒーだからな」
そしてリリーは微笑んで言った。
「それさえ心地いいんですから時代ですねえ……」
「迷惑な時代だよ」
光も差し込まない、人工物に囲まれたなかで飲む植物由来の液体は非常に美味しいのだった。




