妹と薄い本
何気ない普通の朝、俺は一人で朝食を食べていた。リリーが部屋から出てきていないのだ。アイツの部屋に行ったところ、『作業中』のドアプレートがぶら下げてあり、入室は躊躇われた。
たまには一人で過ごしたい日だってあるだろう。リリーが一人で思索に耽りたいというのならそれを邪魔するのも野暮だろう。俺は黙ってリビングで固形食料を食べていた。
朝食が済んだのでアイツもそろそろ出てくるかなと思っていても出てくることは無かった。
朝食後しばらく経ってから、俺はリリーに何か悪いことをして機嫌が悪いのではないだろうかと心配になってきた。
沈黙を守るドアの前に立ってノックをしようか悩んでしまう。リリーに嫌われていたなら俺は一体どうなってしまうのだろう? アイツが突然消えたら心にぽっかり穴が空くことは十分にあり得た。
しょうがないので意を決してノックする。
コンコン
「リリー、食事はいいのか?」
「私は部屋で食べるので気にしないでください、それと絶対に覗かないでくださいね?」
ファルの言葉は威圧感を覚えるほどの迫力で、絶対に覗くなという硬い意志を感じる。寓話の鶴の恩返しを思い出すほどの状況になったな……
幸いトイレは全室完備なので部屋の中で処理するということもないだろう。だったらもう好きにすればいいんじゃないかとも思えるのだが、やはり兄としては心配だった。
なんとリリーは夕食時にさえも出てこなかった。部屋に食べ物ならたくさんあるのだろうがそこまで意地を張るような悪いことをリリーにしただろうか?
全く思い至るものが無い。あるいはアイツの気まぐれなのだろうか? それにしても部屋の中から聞こえた声は真剣なものであり、俺に入ってくるなとは言ったものの、俺に対する敵意のようなものは感じなかった。
結局、その日はなすすべもなく寝ることになってしまった。夜に廊下を通ったときにリリーの部屋から明かりが漏れていたので、おそらくまだ起きているのであろう事は確定だ。
モヤモヤするものがあるものの、決定的な証拠や根拠があるわけではないので俺は黙っていた。
翌朝、隣の部屋からの『ガッチャン、ガッチャン』という音で目が覚めた。何か機械が動いているような音だが、こんなに大きな音を出せる機械がまだあったのか? 騒音規制で旧世代の製品はドンドン静かになっていった。だからこんな大音量で動く機械があることが奇妙だった。
考えていてもしょうがないのでリリーの部屋に行ってみた。そこには新しいドアプレートがかかっており。
「『お兄ちゃん』絶対入室禁止」と名指しで俺が入らないように注意書きをされていた。
朝ご飯も食べたのだが、いつもの固形食料で、リリーがいないとただでさえ不味いものがなお不味く感じてしまう。美味しい食事のためにもリリーのご機嫌とりをするべきだろうか? 媚びるというと聞こえが悪いが、妹と仲良くしたいというだけのことだ。そこにやましい気持ちはないのでセーフだろう。
「お兄ちゃん! ちょっと出かけてきますね!」
嵐のごとくリリーは部屋から出てきて、その手に持ったビニール袋を揺らしながら家から出て行った。家出なら『ちょっと出かけて』などとは言わないだろうからアイツにはアイツの事情があるのだろう。それを詮索してもしょうがないので駆け足で出て行くリリーを見守るしかなかった。
そして今日も一人で昼食を食べることになった。しかし俺は少し期待をしている。何しろリリーが一日がかりになっていた資産だろう。さぞ高級なものとトレードが成立するに違いない。
そう期待して昼食を済ませ、ぼんやりと公式が最近追加した音楽ストリーミングにスピーカーのラインを合わせた。
甘ったるいメロディの愛と平和を賛美する歌が始まった。生憎この歌にいいところは感じられないのだが時間つぶしという点では十分な役割を果たしてくれた。
そして地上では太陽が沈みつつあるころにリリーはようやく帰ってきた。手には持っていったのと同じビニール袋、それがパンパンに詰まっている。もしや美味しい料理か?
「おかえり」
「はいただいまです! お兄ちゃん、ちょっとこれの保管があるので部屋に戻りますね! 夕食時にはちゃんと来ますから大丈夫。それと絶対に覗かないでください!」
「そこまで言われて覗いたら完全にゲスムーブじゃん、しないよ」
リリーはホッとした様子で部屋に袋ごと戻っていった。いつもなら食料のいくつかをドヤ顔で取り出すのに、恥ずかしそうに部屋にダッシュしている。
トレードに失敗したのだろうか? しかし持って言ったものの量と持ち帰った袋の膨らみからして失敗はしていないはずだ。
結局、事情は夕食のときに聞けばいいやと思って俺は白湯を飲んだ。できればリリーが味のある飲み物を交換してきてくれていると嬉しいなと思う。
そして地上では日かすっかり隠れているであろう時間にリリーは出てきた。
「やっと出てきたか、何か買ったのか?」
「ええっと!? その!? 企業秘密です!」
「企業なんてこの時代に無いだろうが……」
「と、とにかくお兄ちゃんには秘密なんです!」
とりあえず俺が嫌われていないことだけ分かれば十分だ。夕食にしよう。
「美味しいですね……」
リリーが固形食料を美味しいと言い始めた、いよいよ精神面が不安定になってしまったのでは無いかと不安になる。
「大丈夫か? なんか昨日からずっと変だぞ?」
しかしそれに動揺はしたもののちゃんと答えた。
「大丈夫です! ちょっと資産運用に失敗しまして……」
「ああ、そういうことか、俺は気にしないからそんな気に病むような事じゃないぞ」
「へ!? ああそうですね」
こうしてぎこちない夕食は終わり、お風呂に入って後は寝るだけだった。しかし隣の部屋からガサゴソと妙に音がした、それについてはおそらく買いすぎたものでもあったのだろうと思い、ミスを追求するような真似はしまいと黙って寝た。
一方妹の部屋で……
「ひゃっほうい! 兄×妹本! たくさんありますね! やっぱり同人誌のバザーに行ったのは正解でした!」
「ああ……ついでにお兄ちゃんと私の妄想を具現化した本が皆さんに広く読まれるわけですね! 興奮しますね……」
昨日一日まとめて作った甲斐があったというものです! 私はその日、ベッドの下に同人誌を押し込んで眠りました。しかしベッドの下に兄妹モノの本が大量にあるかと思うと心安らかに眠ることはできませんでした。




