第5話 この場所は安全で、いい香りがします。
あれれ? なんだか随分、すっぽりと包み込まれるみたいに抱きしめられているわ?
まるで、体がとても小さくなってしまったみたい。
「ライラ、何があっても守るから」
アルベルト様の声が、耳元で聞こえて、私の無事を確認するみたいに、頬がすり寄せられる。
構築された魔法陣は、一瞬で描かれたことが信じられないほど複雑で優美で。
思いのほか柔らかい髪の毛が触れてくすぐったい。
触れ合う体に感じる規則正しい振動は、たぶんアルベルト様の心臓がひどく高鳴っているからなのだろう。
落ちるスピードが緩まった後、何かに落ちたような軽い衝撃を感じたけれど、完全に抱きしめられている私は、痛みなんてほんの少しも感じることがなかった。
不思議なことに、あんなに高いところから落ちたのに、ほんの一瞬浮遊感を感じただけで、それ以上落ちていく様子はない。
何が起こったのか、いまいち理解できないけれど、アルベルト様の腕の中が温かすぎて、どんどん眠くなってしまう。体の中から、何か大事なものがごっそり抜け落ちてしまったみたいな脱力感も原因なのかもしれない。
それでも、現状が気になってしまい、何とかアルベルト様の肩越しに状況を確認しようと体をひねると、上へよじ登る。
――――おかしい、手のあったはずの場所に、手がない。
平均よりもかなり小さな、私の白い手の代わりに、視線の先にあるのは、ずんぐりと太くて、小さくて、先のとがったかぎ爪の付いた、そしてなんだか見慣れた色彩の鱗に覆われた何かの手だった。
――――空色。何の手だろう? ううん、それよりアルベルト様を守らなくちゃ。
酸欠みたいにぼんやりする思考の中、一番優先順位が高いことだけに注意が向かう。
そのまま、力の入らない体を叱咤して、何とかアルベルト様の肩よりも上までよじ登った。
その広い肩越しから顔を少し出して、後方に視線を向ける。
なぜか、追ってきていたはずの竜たちは、私たちに背を向けて、反対方向に飛び立つところだった。
竜騎士たちが、ひどく慌てながら、何とか制御しようとしているみたいだけれど、竜たちは言うことを聞かないようだ。
「キュイッ」
なぜか、竜みたいな鳴き声が自分の口から出た。
その鳴き声が聞こえた瞬間、竜たちがちらり、ちらりとこちらに目線を向ける。
キュイイイイッと、竜たちが発した少し低い音は、仲間のことを呼び寄せる時の鳴き声だ。
私には、なぜかそれがわかる。竜の鳴き声のままなのに、その意味が理解できるなんて、初めての経験だった。
行かなくちゃ。仲間が呼んでる……。
一緒に帰らなくては、みんなが行ってしまう……。
よじ登った私の体を、アルベルト様が脇を抱えて持ち上げる。
本能は帰らなければと思うのに、温かい居場所から急に引き離されてしまえば、どうしようもなく寂しくなる。
その後すぐ、「行かないで」と声がして、すべてから隠されるみたいに、もう一度すっぽりとその腕で抱きしめ直される。
寂しさなんて一瞬で消えて、満たされたような感覚に全部がどうでもよくなった。
温かいこの場所が、私の帰るべき場所だと、その時の私は認識していた。
だって、いつもほのかに感じていただけの大好きなにおいが、今日はとても鮮やかに香ってくるのだもの。
爽やかなのに、蜂を誘う蜜のような甘い香りに誘われる。私は、この香りのそばにいたいの。
大好きな香りがもっと嗅いでみたくなって、思わずそこに鼻先をすり寄せる。
私はこの行動を知っている、それは強い親愛を感じた相手にだけ、思わずしてしまう本能なのだ。
少し笑ったような気配がした。その優しい気配の持ち主が、「ライラ」ともう一度私の名前を呼ぶ。
そして、鼻先を私の頬にこすりつけてきた。
やっぱり、それと同時に頬に揺れる柔らかな毛先がくすぐったい。
そんな暢気なことを考えながら、私は午睡前の微睡みたいな心地よさを感じて、そっと目を閉じる。
ここは、幸せで安全な場所に違いない。それにとっても、温かい。
「いくら王族でも、竜騎士団相手に、直接手が出せるのは今のタイミングだけだ。……安心してお休み」
「キュイ」
優しい声に、返事をしたつもりが、喉が震えて出た音は、やっぱり竜の鳴き声みたいだった。
でもそれも、あとで考えることにしよう。眠くて眠くて……。
急速に強くなった眠気に抗えず、そのまま私は夢の中へと落ちていった。
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