最終話 竜の解放、竜の王国。
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その時、幾多の竜が空を見上げて、一斉に鳴いた。
「いずみ……。そうか、竜は解放されたのか」
呆然と空を見上げるのは、我らが副官ロバート様だ。珍しいことに、その顔には表情がない。
この王都に竜玉の力で留め置かれていた竜たちの一部は、遠くへと飛び去っていく。そして、残りの竜は、自分たちの相棒である竜騎士に擦り寄った。その数は、三分の一程度だろうか。
結局、竜騎士団の竜たちは、一匹も今までともに過ごし、戦ってきた仲間である竜騎士たちを置いて飛び立つことをしなかった。
「いずみ、お前は行かないのか?」
「キュイッ」
「わ! 痛いだろ、なんでつついてくるんだ?」
それは、女心を理解しない、ロバート様が悪いと思います。
空からその様子を眺めていた私は、ため息をつく。
「……これからも側に居てくれるのか?」
「キュ、キュイ」
一鳴きすると、いずみは、ロバート様に鼻先を擦り寄せた。ニカッと笑ったその笑顔からして、いつもの調子を取り戻したロバート様は、やるべきことをこなしてくれるだろう。
竜の多くを失った、この国の平和を守るため。
「ところで、あの色はライラか?」
そう、空を飛んでいるのは、私。
魔力の交換は、恋の証。
命より大切な竜玉の交換は、愛の証。
空をひと回りして「キュイイイッ」と呼べば、離れかけていた竜たちの一部が、バサバサと帰ってくる。アルベルト様の竜玉を手にした私は、夜の竜王様の妃と認められたらしい。
ただ、私の左目には、魔法陣が刻まれている。
それは、金の瞳に、金色の魔法陣だから、きっとよく見なければわからないだろうけれど。
そして、なぜか残念なことに、私の姿は小さいままだ。空は飛べるようになったけど。
ちらりと、視界の端に、グレーの髪に、紅の瞳をした狼みたいな人が、見えた気がした。
相変わらず、その身分にふさわしくない単独行動を繰り返して、周囲を苦労させているのだろう。
しばらく、陛下は私の姿を眺めていたが、興味を無くしたかのように踵を返し、もう振り返ることはなかった。
――――私の瞳に、この魔法陣がある限り、陛下は私のことを自由にできるはず。
でも、あの人は、自分の力で手に入れたものにしか、興味を持たないことも知っている。
たしかに、夜の竜王様を倒し、竜玉を手に入れた、過去の陛下。
でも、記憶をなくした私と、竜王様との子どもを、決して悪いようにはしなかったあの人。
もし、風に愛された姫が、竜に姿を変えていなければ、婚約者として幸せに暮らす未来が、あったのかもしれないと、今なら思う。
飛行を楽しんだ私は、もう一度竜騎士団の広い庭へと下り立つ。
この場所は、私の大好きで溢れている。でも、しばらくの間、さようならだ。
魔法陣が、瞳に刻まれている限り、陛下がどう思ったとしても、私の自由はこの国にはない。
私の姿は、もとの人間の姿に戻る。
今日は、ちゃんと用意しておいた、メイド服を身に着けて、愛しい人のそばへと走り寄る。
「行くのか……アルベルト」
「ああ、竜騎士団は、存続だな……。もう、竜玉に魔力を注ぐ役割はなくなったが」
「まさか、こんなにたくさん残ってくれるなんて、思わなかったけどな」
愛しい人は、こちらを振り返り、なぜかいまだに瞳を揺らしながら、私に問いかける。
「――――ライラ、本当にいいの」
「そもそも、私は外の世界を知らなかったんですよ? 私の安心できる場所は、アルベルト様のそばなんです。愛しているって言いましたよね?」
アルベルト様が、私のことを抱きしめてくれる。
その香りは、とても懐かしくて、やっと取り戻した愛しい夜の竜王様の竜玉は、胸の中で温かくて。
「――――そういえば、アルベルト様は、竜にならないんですか?」
「そうだな……。なってもいいけど、たぶん竜の姿になったら、いろいろ正直になってしまいそうだから」
たしかに、竜は自分の欲求に正直で、自由で、少しだけ子どもみたいだ。
だから、アルベルト様の言い分の半分は理解できる。
でも、アルベルト様は、もっと自由になってもいいと思う。
首をかしげる私を見つめて、なぜかアルベルト様が苦笑する。
「……ライラのこと、大事にしたいから。竜の姿は、もう少しお預けかな?」
その美しい、漆黒の瞳には、もう魔法陣は刻まれていない。
その代わり、アルベルト様が手にした剣には、空色の竜玉がはめ込まれている。
「あの、その竜玉をアルベルト様が、ちゃんと自分のものにしてくれないと、私は大人の竜に成れないようなのですが……」
「その姿は、かわいいよ。まだ、もう少しだけ、俺のかわいいライラでいて?」
にっこりと笑ったアルベルト様は、相変わらず神々しい。
神々しいけれど、私の手を握ったまま離すつもりはないようだ。
でも、まさか、愛しているではなくてペットとしてかわいいとでも言いたいのだろうか。
「えっと、私はアルベルト様を愛しているのですが、アルベルト様は……」
「――――誰よりも、何よりも、世界よりも、愛してる」
え、少しばかり重いのですが、アルベルト様?
そんな私の心中を、知ってか知らずか、アルベルト様が笑いながら、私に手を差し伸べた。
「さ、行こうか? 竜たちと暮らす国を作ろう」
「はい! アルベルト様」
この後、たくさんの竜が、空を飛んでいくのが、王国の各地で目撃される。
けれど、その竜たちは、遠い樹海の奥に消えていったのを最後に、しばらくの間、人々の目に触れることはなかった。
それでも、確かにその場所には、竜と人が幸せに暮らす場所がある。
そこには、黒い姿の竜王様と、空色の王妃様がいて、幸せに暮らしているのだ。
表舞台にその国が現れるまで、あと少しの時間が、必要なのだけれど。
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