第33話 それぞれの世界に分かれるなら。
きっと、誰もが、王国の平和のためなら少しの犠牲は、仕方がないと言う。私の宝物を、簡単に壊そうとする。
しかも、その宝物ときたら、自分から誰かのために壊れてしまうことを厭わない。
浅くて速い息を繰り返す。走っても大して速くない、この体が恨めしくなる。
――――くっ、苦しい。ノシノシと恐竜みたいに歩いている竜をあまり見ない理由が分かるわ。
この、短い手足での移動は、ずいぶん負担が大きい。竜は自由に空を駆けるように出来ている。
そう、自由に空を駆けるのが竜なのだ。
ただし、私の場合、それをするには魔力が足りない。
「キュイ――――ッ」
物悲しい呼び声は、仲間を呼ぶときの竜の声。
ほら、遠くからかすかに聞こえるその声は……。
――――あっちだ!
吸い寄せられるように、そちらへと走り続ける。
闇に紛れて走る、王宮内の庭園を時々見張りの騎士が通り過ぎていく。
見つからないように、息を殺して、バラの花の陰に隠れながら、今だけは小さな自分の体に感謝した。
バラのとげのせいで、小さな傷がつくけれど、そんなことを気にしてもいられない。
ようやくたどり着いたその場所には、たくさんの竜がいる。
『……べリアの娘』
竜舎に転がり込むと、一番手前にアルベルト様の竜、いずみがいた。
『いずみ……アルベルト様を助けたいの』
『……それが、竜の自由を奪うとしても?』
その瞬間、数十匹の竜騎士団の竜がこちらを振り向く。
竜たちが、なぜ王宮にその住まいを持つのか不思議に思っていたけれど、たぶんディハルト陛下の影響下で、その自由を奪うためなのだろう。
『今のアルベルトは、人の血が濃いもの』
『――――私は』
お父様は、私を守るために竜騎士団長としての責務を果たしながら、そしてその職に縛り付けられながらもいつだって悩んでいたに違いない。
『……どちらにしても、もう少し上手く行動できなくてはいけないわ』
『え?』
ため息交じりのいずみの言葉。
その直後、浮遊感を感じて私の体は、宙に浮いていた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「――――おや、ずいぶん小さな竜が、紛れ込んだものだな」
恐る恐る振り返る。
深紅の瞳が、暗闇の中でも赤く輝いて私のことを映しこんでいる。
「キュイイ……」
「手足も短い。竜の子どもは初めて見たが、こんなものか」
キュウと私の短い手足は握り込まれた。
どうしてこんなところに、ディハルト陛下がいるのだろうか。
いくら、王宮の敷地内とはいっても、供もつれずにあまりに不用心だ。
「……だが、さぞや大人になれば美しいだろう」
「キュ?」
「――――なあ?」
そのまま、ディハルト殿下は、私の首元に鼻を擦り寄せた。
「どこから紛れた?」
「キュキュ?」
「……冗談だ。こんな香りの持ち主が、他にいるはずもないな? ライラ」
――――冗談?!
竜のふりをして全力で誤魔化そうとしたが、ディハルト陛下の目は誤魔化せなかったらしい。
私は、ガックリと首を垂れる。
「竜の血が強いとは知っていたが、まさか竜の姿になることができるとはな。これでは、まるで本当に」
「キュ……」
「空のようなその色合いに焦がれても、俺は」
陛下が続けようとした言葉は、だが竜たちの甲高い鳴き声に遮られた。
何かが、割れる音が鼓膜の奥深くに響き渡る。
私の大事なものが、壊れていく。
あの人との、思い出。
その瞬間、いずみが私の首元を咥えて、ディハルト陛下から奪い取る。
その手が延ばされた瞬間、遠い日の思い出と重なり私は思わず手を伸ばそうとした。
けれど、その手は空を切って私はそのまま大空へと連れ去られていた。
バサバサと大きな羽音を立てて、竜たちが暗闇の空へと次から次へと羽ばたく。
その光景を見たものは、その力に恐れおののくだろう。
だが、遥か下に立つディハルト陛下は、その瞳を逸らすことなく、毅然と立ち続ける。
「――――ライラ、あの時みたいに俺を選べ……お前は人間だから」
ディハルト陛下の声が聞こえた。
(あの男の言葉を、聞いてはいけないわ)
いずみの声が直接脳内に響き、いつの間にか、元の人の体に戻っていたことを私は知る。
今なら出来ると思った通りに、風の魔法が私の体を包み込み、淡い水色のドレスになる。
耳元で分厚い氷がひび割れていくような音は続く。
完全に壊れてしまう前に、あなたのもとに行かなくては。
「アルベルト様……」
すべての力を使い果たしかける前に、私は夢の中へと手を伸ばす。
アルベルト様がしようとしていることは、きっとあの時の贖罪。
そして、その結末は、私の最も望まないことだから。
✳︎ ✳︎ ✳︎
夢の中に降り立つ。
今日のアルベルト様は、あの剣を抱きしめるように抱えてこちらを振り返った。相変わらず憔悴した様子でも、今日はしっかりと私の瞳を見つめ微笑んでくれた。
「ライラ……。会えてうれしいけれど、決意が鈍りそうだ」
「鈍るくらいなら、やめてください」
「それは、出来ない。だって、すべて思い出してしまった。そのまま自分だけ幸せになることなんて出来ない」
豪奢な装飾に彩られた剣にはめ込まれた、黒い石。
夜の竜王が残した竜玉。小さなひび割れがいくつも入って、今にも粉々になりそうだ。
繰り返し、竜の血を受け継いだ竜騎士たちの魔力を吸い取った竜玉は、終わりを迎えようとしている。
「アルベルト様……。竜玉が砕けたら、どうなるのですか」
「――――竜は自由に羽ばたく。そうでなくても、今日までの長い時間、仲間たちを巻き込んでしまった」
「……竜玉が割れてしまったら、アルベルト様は?」
「そうだな。たぶん、竜と人の世界は分たれる。一緒に過ごそう」
――――嘘つき。
「私の住む世界を守るって」
「竜の世界にいれば、人との争いに巻き込まれることもない。人の世界ならば、竜騎士たちが守ってくれるだろう」
「竜がいないのに」
「我らが竜騎士団は、竜がいないとしても、どの国よりも強いさ」
どこにアルベルト様はいるんですか?
思わず詰め寄り、叫びそうになった言葉を飲み込む。
だって、私には竜の血も、人の血も等分に流れているのだもの。
それに、今はあなたにだって人の血が流れている。
「それなら、好きなほうを選んでください。私は、アルベルト様さえいれば、竜にだって、人にだってなってみせる! あなたが選んだ世界を私も選びます」
「そうか……じゃあ、もし、もう一度会えたら」
「もう一度、会えますよ」
――――すぐに会いに行くから。
その言葉を、伝えられないままに、私は目を覚ました。
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