第32話 竜とか人とか関係なく、ただ。
――――この人のそばでなら、私は竜であることなんて忘れて、人間として過ごすことができる。
紅の瞳を見つめながら、漠然とそんな思いが浮かんで、泡みたいに弾けて消えていく。
アルベルト様に、もしも出会う前に陛下に出会っていたら、私の選択は変わっていただろうか。
だって、魔法が使えなかった私は、竜人としても、人間としても半端な存在だったから。
人として過ごすことを許してもらえることを、望んで止まなかったから。
でも、今の私は、そうやってぬるま湯の中で守られながら生きていくより、どんなに厳しい極寒の世界だとしても、アルベルト様の傍にいることを選ぶだろう。迷うことなく。
「――――気配を追ってきたが、まさか空から降ってくるなんて。しかも、メイド服? 本当に、予想を覆す面白い女だな」
体重なんて、なくなってしまったのではないかというくらい、私を横抱きにしたまま颯爽と陛下は歩んでいく。
たしかに、陛下は竜騎士と共闘する際にも、最前線で戦うことを好むと聞いたことがある。細身に見えるのに、鍛えられていることが、よくわかる。
――――それにしても、まさかここで、陛下からの面白い女認定を賜るとは、思ってもみなかった。もしも、ゲームの世界でその言葉を賜ったら、悶えて喜べたのかもしれないけれど。
甘くてスパイシーな香りのせいか、それとも、魔力を使い切ってしまったせいか、まとまらない思考。急速に微睡の足音が近づいてくるのを感じる。
「眠いなら、このまま眠っているといい」
「陛下……さすがに不敬です。この状態で眠るなんて」
それに、何をされるかわからないまま、連れていかれるのは不安です。
さすがに、その言葉を口にするほど、能天気にはいられないけれど。
「はっ、そんなことを気にするタイプには、見えなかったが。心配せずとも、寝ているうちに何かするほど堕ちてはいないつもりだ。……命令だ、眠れ。」
その言葉は、私に配慮したものだったのだろうか。
その真意がわからないままなのに、一気に眠気が抗いがたいほど強くなる。
「――――ずっと、探していた」
その言葉だけが、耳に残ったまま、魔力切れを起こした際の眠気に、抵抗も空しく私は夢の世界へと、落下していくのだった。
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「アルベルト様っ!」
アルベルト様は、相変わらず竜玉の埋め込まれた宝剣の部屋にいた。
ぼんやりと立ちすくみ、やつれてしまったその姿。今すぐ抱きしめたいのに、ここは夢の中だから。
私は気が付いていた。
これは、母が使ったのと同じ。夢の中でだけ愛しい人に出会える、竜の魔法。
私は、なぜかわからないのに、猛烈な怒りを感じる。
「――――っ、どうして夢の中でまで、こんな場所にいるんですか!」
私が、大きな声をあげた瞬間、夢の世界は急激に形を変えて、深い森の中へと背景を変えていく。
「ライラ……」
黒い髪、黒い軍服。
その姿は、夜の竜王そのもの。
おとぎ話で、王族の魔法に倒れ、竜玉だけを残した竜の王。
……私の、大好きな人。
「アルベルト様が、私の幸せのために自分を犠牲にするという選択肢を選ぶなら、私にも考えがありますから」
「えっ、ライラ?!」
その言葉に、焦点が定まらないままこちらを見つめていたアルベルト様が、焦りとともにようやく私の顔を真剣に見つめた。
愛しているからこそ、私もこんなに怒りを感じるのだろう。
もし、夜の竜王のように、あなたが倒れてしまうのだとしたら、私はその竜玉を胸に、永遠に誰とも関わらず、あなただけを思い出して生きたい。それができないならいっそ、永遠にあなたと一緒に眠りたい。
すべてを忘れて、王族に迎えられ、偽りの幸せの中で生きていたくなんてなかった。
「……どんなに悲しくたって、私の宝物は、誰にも奪わせない」
夢の中で、キラキラと七色の光が降り注ぐ。
まるでそれは、あの日の砂糖菓子を通してみた、鮮やかな世界のようだ。
夢の中だから、キスをしたって温かさも、その香りも、唇の柔らかさも伝わることはない。
――――それでも、この気持ちだけは、どうか伝わってほしい。
お互いの魔力が、流れ込んで、混ざっていく感触。
それは、夢の中だから、幻でしかないのだとわかっている。
それなのに……。
アルベルト様のそばなら、私はどんな姿でも、受け入れてもらえる。
私が、竜でいることも、人でいることも、きっと受け入れてもらえる。
もちろん、私だって、あなたが竜でも人でも構わない。
それは、遠い昔から変わることがない。
「キュイ、キュイイッ」
あなたが好きです。
竜だとか、人だとか関係ないの。
あなたが竜ならば私も竜になる。
あなたが人として生きるなら、私だって人として生きるの。
竜でいる時は、自由を求めて羽ばたきたい衝動に駆られるけれど、それでも、アルベルト様のことが一番の関心ごとなのだから。
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「キュイ、キュイイッ……キュッ?!」
そして、目が覚めたら、最近見慣れた水色の丸々した竜の姿になっていた。
上質な肌触りのカバー。そして、陛下の残り香。
クラクラするほど、好みの香りだ。
でも、目が覚めるときに一番に嗅ぎたいのは、あのハーブみたいな爽やかで愛しい香りなの。
小さな体をもぞもぞと動かしたら、鈍い音を立てて、ベッドから床に落ちた。
「キュイ……?」
ここには、小さな窓しかない。扉は、しっかりと施錠されているようだ。
人間だったら、ここから逃げ出すのは不可能だと思うけれど……。
私は、浮かび上がると、小さな小さな窓から、真っ暗な中、そこだけ切り取ったみたいに明るく輝く月を眺める。
「キュ……キュキュイ(今夜は月がきれいですね)」
思わず呟いてしまったのは、生まれ変わる前の世界の……アルベルト様に送りたいセリフだ。
まあ、伝わらないに違いないけれど、一緒に美しい月を眺めることができるならそれでもいい。
ドアを開け放ち、私は高い塔から飛び降りる。
魔力は、なんとか回復している。
地面に降り立っても、寝入ってしまうまではいかないだろう。
なんとかして、アルベルト様の瞳に刻まれた、魔法陣の情報を手に入れて見せる!
窓から見えた景色からして、ここは王宮の一番北に位置する塔に違いない。
ドスッと、魔力の消費を最低限にしたせいで、華麗とは言えない着地を決めた私は、短い脚でちょこちょこと、香りを頼りに目的の場所を探し始めた。
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