第30話 あなた様は、人類の仇になってしまいました。
3話連続投稿してます。
まだの方は、2話前からご覧下さい。
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あれから、何回かの朝日を見た。
ほむらが持ってきてくれるお肉は、ありがたいことに調理済みだ。
いくら私の味覚が、今は竜のそれだからと言って、さすがにお肉は調理しておいてほしい。
――――私は、やっぱり人間なのだ。
お肉にかじり付きながら「キュイ、キュイイッ」と声が出てしまうのは、たぶん竜の仕様だ。おいしすぎるお肉に非があるのだ。
「おいしそうに食べるわね。そんなに好き好き言って」
母が、慈愛を込めた瞳で私を見つめながらそんなことを言う。揶揄わないで下さい。
でも……。お肉を食べることと、好き?
なんだか、そのネタ、ものすごく心に引っ掛かりを覚えます。
だって、いくらなんでもお肉が「キュイ、キュイイッ」と、あなたが「好き、大好きっ」は違う次元ですから。
「キュイ、キュイイッ(あなたが好き)?」
お肉がぽとりと口から、葉っぱのお皿の上に零れ落ちる。あらら、もったいない。
再び、お肉を食べ始めるころには、私はその違和感を忘れてしまう。
その時、草をかき分ける音とともに、人の気配がした。
「嬢ちゃん……見つけた」
私の名を呼び、這いつくばったまま進んでくる人は、ボロボロだ。怪しさ満載だ。
非常事態のはずなのに、母はおっとりと頬に手を当てるだけだ。
「あらぁ……。思ったよりも、早かったのね? お久しぶりね。ロバート」
「生きて、いたのか。みそら」
「――――失礼ねっ。この通り、元気よ? ……あなたは、瀕死の重傷かしら」
「うぐ……。とりあえず、水」
ロバートと呼ばれたその人は、悪い人ではない。
それだけは、間違いないのだと、私の中の何かが教えてくれるから。
勢いよく水を飲む姿を、しばし見つめる。
たぶん、普段かっこいいだろうその姿、無精ひげが邪魔しているけれど、それはそれでワイルドでよいのかもしれない。
「キュイ(大丈夫ですか)?」
「嬢ちゃん……。どうして、裏切ったんだ」
「キュイイ(裏切る)?」
私は、思いっきり首をかしげる。
初対面の人を、裏切ることはできない。
それに、私はたぶん、あなたのことを裏切りたくなんてない。
困ってしまった私は、竜としての親愛を表す行動に出た。
鼻先を摺り寄せる。
うん、お風呂に入ったほうがいいですね?
でも、ロバート様の香りに、微かに誰かの香りが残ってます。
このかすかに残るいい香り……。好き。
クンカクンカと嗅ぎ続ける私を見つめるロバートと呼ばれた人は、微妙な表情だ。
「え……完全に竜になってしまったのか? それとも別竜……。いや、こんな色合い、お前ら親子以外にいるはずないな。……なあっ、そうだろ、みそら!」
「そうね。私とべリアのかわいい娘ですけど、それが、なにか?」
「お前……。変わらないな。やっぱり、べリアにしか懐かない感じか」
「あなたは知っているはず。こうしてお話しするのも、べリアとライラがお世話になっているからよ? ありがたく思いなさい」
クンクンしていた鼻先を離す。たぶん、ロバート様はいい人だ。
だから、そんな風に言ってはいけないと思うのです。母……。
「はあ……。ライラ? それで、なぜアルベルトを裏切った?」
「ライラは、坊やを裏切ってないわ。あなたはよく知っているはず」
「じゃあ、アルベルトの意思だというのか? あんなに、ボロボロになっているのに」
――――ボロボロって言葉は、今のロバート様にピッタリですけど……。
でも、なんだろう。その単語。
ものすごく、声に出したい、その言葉。
「あ、るべ、ると」
その瞬間、急速に熱くなった体。手足が伸びていく。
さらりと、髪の毛が揺れる。
水色の体躯は、象牙色の肌に。
「ちょ!」
慌てた様子のロバート様が、ボロボロのマントを外すと、私に巻き付ける。
「あるべると」
その言葉を発するだけで、胸がひどく苦しくなる。
それと同時に、何かの魔法が発動するのも感じる。
その名前を、言うことは許されないのだと、私に伝えるみたいに。
「――――そうか、その魔法。一瞬でも疑って悪かった、嬢ちゃん。くそっ、あいつは本当にバカだな!」
涙がこぼれて、地面を濡らしていく。
どうして泣いているのか、わからないのに、胸が苦しくて涙が止まらない。
それと同時に、ものすごく自分が怒っていることも、自覚させられる。
「はぁ……。ロバート。私は、竜として、物語の結末を後押ししなくてはいけないんだけれど」
「なんだ、物語って」
「――――でも、娘の幸せを願う一人の母だわ。……困ったことに、私には人の血が濃く流れているからその気持ちと竜の使命がせめぎ合っているの。ねぇ。どうしたらいいと思う? ほむら」
「――――お前、べリアの竜か」
ほむらが、その金の瞳を、見たことがないくらい冷たく細める。
父と私に向けていた視線が嘘のように、冷たいその瞳。
「相変わらず、べリアとライラ以外の人間には、冷たいよな。お前」
ツンと顔を背け、その後に私に向けた視線は、やっぱり暖かくて。その変化に、私は戸惑う。
(ライラ……。僕とここにいるという選択肢もあるよ。それなら、僕は僕のために、竜の使命から目を背ける)
「ほむら?」
(あの男にだけは、渡さない。戻れば、またあの男と出会ってしまう。きっと今度は、ライラは抗うことができないよ。誇り高き僕たち竜を、使役される存在に貶めた、憎いあの男に)
「あの男って……?」
(アルベルトと一緒になれば、僕たちはもう、人の言いなりになる必要はない。竜騎士団の圧倒的な力で保たれていた、王国の覇道は崩れるだろうけど? それが嫌なら、僕と来ればいい)
ほむらが言っていることは、難しすぎる。
でも、何回も出てくる、あるべると、という単語は、身に覚えがない。
あの男という人に至っては、名前すら出てきてない。出てこないのに、何故か灰色の狼が脳裏に浮かぶ。本当に、どなたですか?
ほむらの言葉は、世界の命運が私の選択にかかっているように聞こえてしまう。そんなの怖い。
「ほむら……。そんなこと急に言われても、私には選べないよ」
(僕とくれば、選ばないで済むよ。でも……ライラはもう、決めていたんじゃないの?)
ほむらと一緒に過ごす日々は、温かくて幸せに違いない。
だって、私たちは、ずっと家族として過ごしてきたのだから。
私は、ほむらが大好きで、ほむらも私が大好きなのだから。
そんな私たちを見つめていたロバート様が、癖のある髪の毛をぐしゃぐしゃと乱した。
「アルベルトが選んだことなら、俺にはもう、何も言えない。あ〜あ、帰って不毛な戦いに身を投じるか。おっ、そうそう。これ嬢ちゃんの荷物だ。服もあるから、さっさと着てくれないか?」
目の前に置かれた荷物。
中を覗いてみれば、きらめく小瓶に詰められた、色とりどりの砂糖菓子。
――――そして、なぜにメイド服?
着るものがない私は、背に腹は代えられず、そのメイド服を着用した。
着なれているように思えるのが、不思議だ。
それに、とてもいい香りが微かに、染みついている。好きだな、この香り。
次に、小瓶を手に取る。
光に透かして見れば、七色の光が、私の顔に降り注ぐ。
「…………っあ」
それはあまりに劇的だった。
私の思考の邪魔をする砂嵐……あなたの笑う顔。あなたの涙。
ザアザアと、すべての音を聞き取りづらくするような、その砂嵐の中で、私はただ必死になってその音を探す。
――――ごめんね、ライラ。
その音は、愛しい私だけの音。
誰にも奪われないと決めた宝物。たとえそれが、その音の主であろうとも。
「――――ロバート様」
「お? なんだ、嬢ちゃん。急にそんな怖い顔をして」
「申し訳ありません。ロバート様。たった今、あなた様は、人類の仇になってしまいました」
「はぁっ? 何言っているんだ嬢ちゃん。魔法の悪影響か?!」
心配してくださるロバート様には悪いけれど、竜との盟約は、夜の竜王と、風に愛された姫が再び出会い、今度こそ結ばれるまでの期間限定なのだ。
つまり、私とアルベルト様が結ばれれば、竜は自由を手に入れる。
王国の絶対的優位は崩れる。
(あーぁ。忘れたまま僕と過ごせば良いのに)
ほむらの呟きは、本当にその通りなのかもしれない。でも、その平和も、幸せも、アルベルト様の犠牲の上に立つなんて。
大多数の幸せのためには、少しの犠牲は仕方ない?
それは、その大多数の中に、宝物がある人の台詞です。
犠牲になる人が、唯一の宝物だとしたら?
私は世界を知らないから。あなたしか知らないから。
好きです。
この気持ちを、唯一の宝物を奪う、アルベルト様の願いを叶えることは出来ません。
「お母様」
「短い時間だったけれど、幸せだったわ」
「一緒には、来れないのですか?」
「私は竜の血が濃すぎるの。王都に近づけば、竜玉の力の影響で、王家の支配下に置かれてしまうから。ライラも気をつけて。あなたは、竜の血が濃い。私ほどではないにしても」
だから、父と母は、ともに過ごすことができなかった。父は、その瞳の魔法陣に縛られ、母は竜玉による竜への支配に縛られて。
「全てが終わったら、一緒にいられますか?」
「そうね。竜は自由な生き物だから」
そう言って笑った母は、夢の中で笑いかけてくれた時と、同じ笑顔だった。
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