第3話 竜と話ができるのは。
ほむらは、私からその鼻先を離すと、少しだけ深刻な色を含めて私に話しかけてきた。
(じゃ、そろそろ帰るから。困ったことがあったら、すぐに呼ぶんだよ?)
「どうやって?」
私には、ほむらへの連絡手段がないのに。
いつも、行動を共にしていた父なら、その方法を知っているのかもしれないけれど。
(いつだったか、ライラが呼んだらすぐ来たよね? だから、ただ呼べばいいよ)
そういえば、父の言いつけを守らずに屋敷の外に出て、危うく人さらいに連れて行かれそうになった時も、泣いてほむらの名前を呼んだ瞬間、空からすぐに駆けつけて、私のことを守ってくれた。
あの後、本気で父に叱られたけど。
ほむらは、魔法が使えない私のことを大切にしてくれる。得難い存在、離れがたい私の家族。
ほむらは、今日もアルベルト様についてきていた竜に、「キュイキュイ」と何かを語りかけた。
たぶん、私が竜の言葉を聞き取ることが出来るのは、何かの力が作用している。
それを、ほむらは意図的に遮断したのだろう。アルベルト様の竜も「キュイッ」と少し甲高い声で返答している。
子どものころから、ほむらとしゃべることが出来ていたから、絵本を読んでいて初めて竜の鳴き声が、人には「キュイキュイ」と聞こえることを知った時は、かなり混乱したものだ。
父も、ほむらと普通に会話していたから、誰でも竜とお話できるのが当たり前だと思っていた。
そんなことを思い出しているうちに会話が終わったらしい、ほむらは羽を広げると、庭の木をその風圧でバサバサ揺らしながら、空に飛び立っていった。アルベルト様の竜に比べて、随分荒々しい。
いつも寝る時になるといなくなっていた。どこかに巣穴でもあるのだろうか?
子どものころから一緒にいたのに、私は、ほむらについて知らないことが多い。
もし父が帰って来ていたら、18歳になった私には、そのことも教えてくれたのだろうか……。
ふと、視線が気になって振り返ると、アルベルト様が呆然とこちらを見つめていた。
「いつからだ、結界が効力を失っている……」
「アルベルト様、何かありましたか?」
その瞬間、周囲の音が全て遮断されて、世界に私達だけになったかのように錯覚した。それは、とても高度な魔法なのだと、アルベルト様が魔法を使う瞬間に描き出した魔方陣の複雑さから、私にすら理解できた。
アルベルト様に出会ってから数日後。まるで、帰って来られないことが分かっていたみたいに、私の机の引き出しに父が遺してくれていた資料を見つけた。
分厚いそれは、父の筆跡で書かれていた。
世情には疎い、私にすら分かってしまう。その情報は、恐らく王国でもほんの一部の人間しか知らないような極秘事項ばかりだった。
難しい用語も多く、さわりしか読めていないけれど……。
そこには、竜と竜人の中で黒い色は金色とともに最上位を現すのだと記されていた。だから、アルベルト様は、きっと竜人の中でも高位の存在で、高度な魔法だって簡単に使うことが出来るのだろう。
実は気軽に話しかけてはいけないような、すごい人なのかも……。
ついつい見つめてしまった視線に戸惑うように、それでいてその黒い瞳を真っすぐ私の瞳から逸らすこともせず見つめながら、アルベルト様が口を開く。
「……まさかと思うんだけど、ライラは竜の言葉が分かるのかな?」
「……え? 父から聞いていませんか?」
そういえば、竜の言葉が分かるという事実は、魔法が使えないことや、竜人の血を引いていること以上に、絶対に外では話してはいけないと言われていたのだった。
でも、アルベルト様になら良いよね? それくらいすでに信頼している。
もし、アルベルト様にすら話してはいけないのだとしたら、私がこのことを話してもいい人なんて、たぶん世界中のどこにもいなそう……。
そう思ったのに、アルベルトは急に怖い顔になって、私の腕をつかんだ。
「っ……。ごめん。どうしても必要なものだけ持って、戸締りをしたら俺と一緒に来て。あとからなんでも買ってあげるから、持ってくるものは最低限で」
「え? アルベルト様?」
「ごめん、結界がこのタイミングで途切れるなんて。まさかこんなことになるとは思っていなかったから、防音魔法使っていなかった。こうなってしまっては、ほむらが、この庭に降り立ったのも目撃されているだろう。この出来事が、王族の……兄の耳に入るのも時間の問題だ」
――王族?
ずいぶんと、雲の上の存在が話題に出た。
聞き間違いに違いない。
戸惑う私に対し、アルベルト様は深刻な表情のままだ。
聞き間違いだと思いたいけれど、その表情を見れば、どう考えても王族で合っていそうだ。
一刻を争うのかもしれないということだけは、私にも理解できた。
このままついて行くことで、私は確実に何かに巻き込まれるのだろう。そんな予感がする。
逆に、アルベルト様を巻き込んでしまうのではないかとも。
その時、キラキラ光る砂糖菓子の入った小瓶を、無意識に強く握りしめていたことに気がつく。
そっか……。この人を信じよう。
まるで、その煌めきが、私の背中を押してくれたみたいに、素直にそう思えた。
「とにかく一緒に来て。ああ、ベリア殿も水臭いな……。もしも、話してくれていれば。いや、今みたいに巻き込んでしまっただけか」
「――――アルベルト様、私がついて行って、ご迷惑がかかるのではないですか?」
眉を寄せて、アルベルト様が私を見つめる。
私の存在が、アルベルト様の負担になるのだとしたら、何があってもついて行くことは出来ない。
優しいこの人を信じることは決断できても、迷惑をかけることは許せない。
「――――ライラは、何も考えず、ただ俺について来てくれればいい。その後ゆっくり考えたって、十分間に合う。考えて嫌だったら、ここに帰してあげるから」
どちらにしても、他の選択肢を見つけることができない私は、アルベルト様について行くことにした。それが、アルベルト様の優しい嘘で、もう後戻りできない運命の入り口だということも知らないままに。
私は、少しの着替えと、父が遺してくれた資料だけを持って、アルベルト様の青みを帯びた銀色の竜の背中によじ登った。
(まさか、こんな存在が、いたなんて)
アルベルト様の竜が、そっとため息をついたようにつぶやく。それは、かわいらしい女の子の声だった。
その言葉の意味を、聞かせて欲しいと思った瞬間、ふわりと、やっぱりほむらに乗せてもらった時よりずいぶん乗り心地良く、私とアルベルト様をその背に乗せた竜は、大空へと飛び立った。
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