第29話 その音を忘れない。
私は、使い慣れない魔力、すべてを使って抵抗した。
それでも、つい最近、ようやく魔法が使えるようになった私が、竜騎士団長の本気の魔法にかなうはずない。
魔法を使い切った私は、小さな空色の竜へと姿を変えていく。
「ごめんね、ライラ」
遠くに、誰かの声が聞こえる。
(――――それが、お前の選択でいいの。アルベルト? それなら、かわいい空色の竜は、僕が貰ってしまうよ)
急にほむらの声が聞こえた。いつのまに、この場所に来たのだろう。
でも、それもいつものことだ。
私が、助けを求めた時には、ほむらはいつだって、そばにいてくれたのだから。
それよりも、ほむらの声の少し前に、遠くから聞こえた声は、少し聞いただけなのに、どんな美しい音色の楽器よりも、私の心に響いた。
――――この音だけは、絶対に忘れない。
でも、もう眠くて……。次に目覚めたときには、私はすべてを忘れてしまうだろう。
私に謝って、私の名を愛し気に呼んだ、その音だけを、宝物のように心の奥底にしまい込んで。
✳︎ ✳︎ ✳︎
目が覚めるとそこは、静かな森の中だった。
何かから、隠れて暮らしているようなその場所は、それでも、いつか見た夢の中で見たことがある光景で、とても懐かしい。
「会いたかったわ。ライラ……」
起き上がった場所は、干し草で作られた柔らかなベッド。
干し草の香りが、優しく私の鼻をくすぐる。
「少しの間でも、また、一緒に過ごせてうれしい」
大きな空色の竜が、私に話しかける。
あれ? どなたでしょうか? それに、私のこの姿は……。
「キュイッ(あの、これはどういうことですか?)」
あれ、人間の言葉がしゃべれない。これは……竜の鳴き声。それはそうか、今、私の姿は小さな竜なのだから。でも、ちゃんと母には私の言葉が通じているらしい。ほっと息をつく。
「そうね、べリアはあなたに、本当のことを伝えることができなかったものね」
竜の姿になった私。
私と同じ色をした、美しい空色の竜が、私によく似た女性の姿へと変身した。
風が、ドレスを形作り、空色の髪が風になびく。
「キュィィ(魔法少女)……」
「ふふっ。べリアの言う通り、この世界ではない場所の記憶が残っているのね? 竜王にかけられた、忘却の魔法の影響なのかしら」
「キュイ(お母様)」
「――――そうよ。かわいいライラ」
「キュッ、キュイイ(あの、お父様が、帰ってこなかったところまで覚えているのですが、なぜ私はここに?)」
しゃべりながら、不思議に思う。竜は鳴き声というより、魔力のような何かで会話をしているみたいだ。
バサバサと聞きなれた羽音がする。
その姿が見えなくても、その少しうるさい羽音が、誰のものか私にはわかる。
「――――ほむらが、連れてきてくれたの?」
振り返れば、家族として過ごしてきた、金の瞳を持つ、赤い色の竜がいた。
ほむらと話すときは、まるでテレパシーみたいに会話できる。
周りには、キュイキュイ言っているようにしか、聞こえないないだろうけれど。
――――昔からそうだった。
「そうだよ。僕が連れてきた。……それは真実だ」
いつもほむらの言葉は、快活明瞭だ。
それなのに、今日は妙に歯切れが悪い。
「ずいぶん、回りくどい言い方ね?」
「竜は、人と違って嘘がつけないからね。己の心を隠すために、慎重にもなるさ」
確かに、ほむらに嘘をつかれたことは、一度もない。
そのことが幸せなことに思えて、私は久しぶりに笑った。
「ほむらが、無事でよかったわ……」
すり寄った、冷たくてざらりとした感触。
父が帰ってこなかったことは、とてもショックなはずなのに、すでに自分の中で時が経ち、徐々に消化しつつあるようにも思えるのが不思議で仕方ない。
「――――ライラは、本当に」
「ほむら」
母が、ほむらの言葉を止める。
振り返れば、優しく微笑む美女。
夢にまで見た、この世界では、私には縁がないと思っていた存在。
「キュイイ(お母様。どうして、今までそばにいてくれなかったんですか?)」
「――――そうね。そばにいたかったわ」
竜の姿のままでいる私は、軽々とその腕に抱きしめられた。
私のことが嫌いで、そばにいなかったわけではないとわかる。
その言葉だけで、今までの寂しさが、氷みたいに解けていく。
ほむらや、母と過ごす時間は、とても柔らかくて、真綿に包まれたみたいな幸せな時間だった。
そんな私たちの幸せな時間に、一人の来訪者が現れる。
その人は、私の見知らぬ人だった。知らない人の、はずだった。
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