第28話 幸せな結末と忘却。
3話連続投稿してます。
静寂の中、響き渡るのは、ただお互いの心音だけ。
アルベルト様は、ここまで地面を這うように生きることを強いられてきた。
栄えある竜騎士団の団長となっても、その存在は、あの剣にはめられた竜玉のために縛られる。
「アルベルト様は、もちろん、読んだことがあるんですよね。風に愛された姫と竜王の物語」
「ライラ……。ライラは、あの物語の結末を知らないの? 竜王から助け出された姫は、王子とともにずっと幸せに暮らすんだ」
「そのはず、ですよね? 子どもの頃、確かに読んでもらったのに……。なぜか最後で泣いてしまった記憶が残っているんです。幸せな結末のはずなのに、泣いてしまうなんて、つじつまが合わないと思いませんか?」
「そっか……。そんな気持ちは、忘れていてくれていいのに」
その言葉の意味を、反芻するのに少し時間がかかる。
忘れていていいという、その言葉の意味。
そして、父の残した資料の中で、倒れた竜王と、陛下と同じ色彩の男性とともにいる、空色の髪の乙女。夜を統べる竜王は、王子に倒されて、幸せに暮らしました? それまでずっと、竜王と幸せに過ごしていたのに?
悪者から王子様に救われる姫。それは、よくあるおとぎ話のハッピーエンドだ。
それなのに、当時の泣きたい気持ちがフラッシュバックする。
美しい竜は、地に伏して、竜玉と宝剣だけが残される。
呪われた姫を救った青年との間に生まれた子どもは竜を統べる力を手に入れて、王家の始祖となる。
それは、竜とともに過ごすことが当たり前だった、私には受け入れがたい物語の結末だった。
でも、その物語には、嘘がある。
だって、王家の始祖の色合いは、竜王と姫の髪と瞳の色をしているのだから。
あの時の私が好きだったのは、王子ではなくて、黒い色彩の夜のような人なのだから。
『どうして? 竜とお姫様は、二人で幸せに過ごしていたんだよ?!』
小さな私が、泣きべそをかきながら、やさしい父へしがみついている。
その姿を、見つめる父は、眉を寄せて何かに耐えているみたいだった。
『どうして? お姫様が本当に好きなのは』
私は、人間社会になじむことができない。
この色彩も、そうだけれど、竜たちと過ごしているほうが心地よい。
それなのにどうして、竜王を愛していたはずの姫が、王家の始祖とともに……。
『――――人間に伝わる物語は、途中で終わってしまっている。本当は、ライラにもその幸せな物語だけを教えてあげたい。それでも真実は、長くを生きる竜しか知らないから……。竜王は、愛する姫を取り戻すことを誓った。その物語は、まだ終わっていないから』
『竜? じゃあ、ほむらは、本当のお話を知っているの』
『ああ、ほむらも、もちろん知っている。それに、ライラのお母さんだって、本当のことを知っているよ』
『じゃあ、その物語の続きでは、いつか二人は幸せになれる?』
父の表情が、ほほ笑んでいるのに泣いているように見えた。
『もしかしたら、姫はこれからも、平和な世界で、王子とともに過ごすほうが、幸せなのかもしれない。少なくとも、王子は姫のことを愛し続けるだろう。……それでも、竜たちは望まずにはいられない、自由に空を飛ぶことを』
砂嵐の中、父の声が聞こえる。
「……アルベルト様は、竜に伝わる、本当の物語の結末を、知っているんですか」
「――――知っていると言ったら、ライラは知りたい? 竜に伝わる物語は、まだ結末を迎えていない。でも、その結末を迎えるより、今のままのほうが、王国は平和で幸せに違いない」
夜を統べる竜王は、アルベルト様と同じ色合いをしている。
その漆黒の瞳が、私を見つめる。
「それは、アルベルト様にとって、幸せな結末ですか?」
「どうかな……。王家は、竜玉の力で、竜を統べる魔法を手に入れた。王国の平和は、そのことによって守られているのは事実だ」
「平和……。そのために父とアルベルト様は」
「――――竜の血を色濃く受け継いだものが、竜玉の魔法を維持するためには必要だから」
じっと、見つめたアルベルト様の瞳に、今まで気が付くことができなかった、微かな魔力の気配。それは、とても精巧で、とても狡猾な……。
「魔法陣……」
アルベルト様が、左の瞳を隠すように手で覆う。
そのしぐさを、私は以前にも見たことがある。
「隠していたのに見えてしまったの? さすがに、ライラは竜の血が濃いだけあるな……」
知っている、その魔法陣。
どう考えても、刻まれた人にとっていいものではない。
きっと、抗えば命を失うたぐいの……。
子どもの頃に、父の左の瞳にそれがあることを、指摘したことがある。
父は、瞳を手で覆い隠すと、それでも笑って「忘れなさい」と言った。
父は、その時私に魔法をかけたのだろうか。
私は、今の今まで忘れていた。私の幸せを奪う、その魔法陣を。そして、本当の物語の結末を。
「ひどい……」
「王国の平和のためだ」
「王国の平和? ……そのために、私の大事な人たちから、自由を奪うの?」
繰り返す物語は、とても残酷だ。
空色の髪の姫は、おそらくわが子の瞳の中に、その魔法陣を見たのだろう。
いや、私は、たしかに見た。
でも、その時には、愛する人のことをすべてを忘れてしまっていたから。
王子が、運命の人なのだと信じてしまっていたから。
「王家に伝わる物語では、そのあとに姫と陛下は仲睦まじく暮らしたと残されている。それは、たぶん嘘ではないよ」
ディハルト・デザートリア陛下。
その香りは、私の自由を奪う。それでも、とても魅惑的で、抗うことができないほど、愛しく感じてしまう……。
もし、アルベルト様より先に出会っていたら、私はきっと好きになった。
でも、私の本当に好きな香りは、違う。
だって、私は、その香りと同じように、やさしいあなたが好きなのだから。
「俺のことを忘れれば、ライラは幸せになれる。すべて思い出してしまった今となっては、それしか方法がない。そんなこと、わかりきっているのに」
「いつ、思い出したんですか」
「ライラが、初めてかわいらしい竜の姿になったとき」
あの、一緒に落ちてしまった時からですか……。
私は、たった今、やっと思い出しかけたのに、ずるいです。
「ライラが忘れていてくれれば、俺は何食わぬ顔でそばにいることができた。でも、もうだめだ。物語が、結末を迎えてしまうから」
竜王が、最後に姫に伝えたのは、忘れてほしいという言葉だったに違いない。
そして、竜玉を握りしめた姫がつぶやいた言葉は、その言葉の先の物語は、きっと……。
「忘れたくありません」
私の選択は、この王国の大陸での絶対の優位を揺るがしてしまうに違いない。
だって、アルベルト様が解放された先、竜は自由にはばたくのだから。
「――――俺は、ライラに平和な世界で笑っていてほしい。だから、戦いの炎を呼ぶだろう、その結末を俺は選ばない」
長いまつ毛が私の濡れたまつ毛に触れて、口づけが落ちる。
抗いたいのに、体の自由が奪われてしまった。
この唇が離れたら、きっと私は、すべてを忘れてしまう。
――――この香りが、好きなのに。
だってそれは、夜を統べる竜王が、最後に、風に愛された姫にかけた魔法と同じものなのだから。
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