第2話 美味しそうな香りって。
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その日、アルベルト様が持って来てくれた小瓶には、キラキラと輝く宝石のような砂糖菓子が詰められていた。
私は思わず、その小瓶を太陽の光にかざしてみた。私の頬に七色の光が映り込むのを見て、アルベルト様が、眩しいものでも見たように目を細めたことには気がつかずに。
飽きるまで眺めると、出会って初めて、アルベルト様に向かって心から微笑んだ。
そして、今日こそ言おうと思っていた言葉を伝えることにした。
「アルベルト様……。いつもありがとうございます」
「ライラ……」
アルベルト様は、顔を出すたびに、いつも気を使ってくれる。
その優しげな笑顔を見るだけで、私は満開の花畑にいるみたいに、幸せな気持ちになる。
来ない日は、いつ来てくれるのかとつい期待してしまう。
このまま、変な期待をして生きていくのはつらい。
いつかは、来てくれなくなると分かっているのに。
それなら、今のうちに感謝の言葉とお別れを伝えた方が良い。
沈黙の時間が、二人の間を流れる。
アルベルト様は、何も言わずに私が口を開くまで待っていてくれた。
どれくらいの時間が過ぎただろうか。
ほんの数十秒だったかもしれないし、もっと時間が経ったかもしれない。
今、言わないと、きっともう言えなくなってしまう。
「――――アルベルト様、私はもう大丈夫です。今まで、気にかけて頂いてありがとうございました」
「ライラ?」
上司の娘という重荷がなくなるはずなのに、アルベルト様は、どこかショックを受けたように、小さく肩を揺らした。
「――――もしかして、俺が来るのは迷惑だったかな」
なぜ、傷ついたようにみえるのかしら?
ホッとすると思っていたのに。
「え? 私は……来て下さるのを心待ちにしていましたよ?」
しまった、これじゃ、さっきの言葉を伝えた意味がなくなってしまう。
でも、仕方がないよ……。
アルベルト様がここに来てくれるのを、いつだって心待ちにしていたのだから。
その時、急に曇ったみたいに、私たち二人の上に影がさす。
「あ、竜が……」
その時、空から一匹の竜が舞い降りた、
それは、ほむらという名前の赤い竜。父の愛竜。
隊長である父と一緒に、ほむらも行方不明になっていたとアルベルト様が言っていたのに。
「ほむら! あなた、無事だったのね」
父がともにいないことで、悪夢みたいに思えていたことが、現実なのだと突きつけられる。
それでも、大事な家族が帰ってきてくれて嬉しい。
(ごめん、僕だけ帰ってきて。合わせる顔がないけれど、べリアにライラのことを頼まれたから)
竜騎士と竜は信頼と友情で結ばれている。
特に、父ベリアは、ほむらのことを私と同じように、家族として大事にしていた。
父が遺してくれた屋敷は、庭だけは広い。
そこに、花壇や植木はなく、何もない殺風景な庭。
でも、それはそこに、ほむらが降り立つことが出来るようにそうしているのだ。
幼い頃から竜がいる生活が当たり前だった。
不思議なことに、父と私は竜の言葉が理解できる。
竜は知能が高く、人間の言葉を理解するけれど、竜の言葉を完全に理解できる人間は、竜人でもごくまれな存在だ。
それは、生まれながらに持っている能力なのだと父が教えてくれた。
そういえば、18歳になったら詳しく教えてくれるって言っていたのに。
父が帰って来ないまま、私は18歳の誕生日を迎え、そして父は帰って来なかった。
(そこの竜騎士、べリアの部下だよね?)
ほむらの瞳は、父や私と同じ金色をしている。
魔法が使えないライラでも、家族として認めてくれている大切な存在だ。
「そうよ。時々、心配して様子を見に来てくれていたの」
チラリとほむらが、アルベルトの方に視線を向ける。
(……黒い色を持った竜人。運命に導かれて、それともライラの香りに惹かれたのかな?)
――――香り?
思わず自分の腕を鼻先に寄せてみる。
うん、たぶん臭くはない。
(たぶん、ライラが思うような匂いとは違うんだけど。まあ、いろいろな意味で、ライラの香りは美味しそうだよね)
竜にとって、人間は通常捕食対象ともいえる。
草食の竜なんて、聞いたことがないし。
ほむらだって、お肉をたくさん食べる。
「美味しそうって……。食べられたら困ってしまうわ」
(うん、たぶんそんな意味でもないんだけどね?)
そう言いながら、ほむらが私に鼻先を擦り付けてくる。竜にとって、親愛を表す行動の一つだ。
嬉しくなって、私も鼻先をほむらのざらざらとした頬に擦り寄せた。
信じられないような顔をした、アルベルト様がこちらを凝視しているのにも気づかずに。
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