第5話 裸の女王
助っ人が点差でも戦力でも勝っているほうの手助けをするのだから、結果以上に内容が問われることになる。
ここまでAチームが挙げた得点は、全て結衣によるもの。
多少のパス交換はある。
だが、あくまで結衣が出しやすいように出して、結衣が受けやすい位置へ動いて、その足下へ当然のようにパスが来る。
誰が主役かを明確にしたパス交換だ。
お前は王様か! と言いたくなるが……。
勝つために上手い選手へボールが集中するのは、仕方のないことでもある。
それでも、その状態が長く続いてしまえば、チームにとっては大きな不幸だ。
一人の選手が動けば勝てるのだから、それ以外の選手は動かなくなってしまう。これは精神的な屈服に等しい。同じ舞台に立っていないという感情が沸き立ち、次第に動きと成長を止めてしまう。
生徒が成長を諦める授業なんてのは、最悪と断言していいだろう。そんなんじゃ楽しくもない。
「難しい問題だな……」
呟くと、当然のように隣に立った結衣が、「どうしたの?」と問いかけてくる。
「試合中に溜め息なんて、似合わないわよ」
いや……あなたが原因なんですけど。
いっそハッキリと言ってやりたくなったが、そこは堪えた。
言葉で『こいつ実質チートだから、結衣に頼らないで攻めようぜ』と言って聞かせたところで、周りは『指導者に言われたから自分たちが動く』という、受け身で消極的な理由でのプレーになってしまう。
生徒たちにはもっと楽しんで、ボールに触れてほしい。俺は、そのために呼ばれたはずだ。
「キックオフをフリーマンが蹴るのはおかしいよな。結衣、頼む」
「オーケー。相手は素人だけど、あなたと同じチームだなんて光栄だわ」
……さてと。悪いけれど、この好意と信頼を利用させてもらおうか。
結衣のキックオフで試合が再開すると、まずは俺にボールが届く。楽しそうに前へ走り出した結衣はもう見るからにウッキウキで、砂浜で追いかけっこでもしたいのかと言いたくなるぐらい上機嫌だ。
――――が、あえて無視する。
無言で後ろを向いて、見ず知らずの女子中学生にパスを出した。
「後ろで守ってるから、攻めていいよ」と伝えると、全く想像していない展開だったのか女の子は「へっ? ええっ!?」と戸惑った。
「いいからいいから。まずはドーンと行ってみよう」
「ええ!?」
ドリブルなんて、したことがない――。とでも言いたげだけど、むしろそういう子のほうがいい。
瞬時、「行かせないの!」と守備側チーム唯一のレポロ所属選手、釘屋奏がボールを奪いに来た。こいつは見る専というか守備専だな。攻めるよりも守備に回ったほうが遙かに活き活きするなんて、珍しい性格だ。
奏の守備能力はチーム屈指。攻撃の天才である結衣やチサに守備で対抗できる、希少な存在である。
そんな彼女が奪いに来て上手にかわせるはずもなく、どうにかドリブルをしようとした女の子があたわたと戸惑っている間に、奏は容易くボールを奪取してしまう。
刹那。即座にカバーへ入って、僅かに奏から離れたボールを、俺が奪い返した。
女の子は失敗した――という顔でこっちを見たけれど、直ぐさま「大丈夫。ちゃんとチャレンジできてるよ!」とフォロー。
最初の一歩を踏み出したことが重要なんだ。彼女はとりあえずボールを持ったし、俺に返さずに自分で動かそうとした。最初の一歩には、それだけで十分。
「あの。フリーマンが守備しちゃいけないと思う」
低血圧っぽい調子で奏が不満を言うが、「コントロールできない奪い方をするほうが悪いんだ」と言い返してやった。
「屁理屈」
「奪って完全に自分のものにしてるならともかく、コントロール外のボールはグレーゾーンだろ。転がってるボールに、攻守があるのか?」
「…………屁理屈」
実際のところ奏は『奪うこと』が上手い一方で、『奪ったあと』に関してはほとんど考えていない。誰かがどうにかしてくれるという感覚があるから、相手から奪っても、ちゃんと自分のものにしない。
折角だ。その辺りも突かせてもらおう。
「次は――」
また別の、今度はボーイッシュでなんとなく運動神経が良さそうな子に、ボールを渡してみた。
「私!?」
「ドカーンと行っちゃって。そのままゴール決めてきてもいいからさ」
伝えた側を奏が駆け出すが、俺はきっちり併走して少し前に入り、一気に速度を緩めていく。
「邪魔……」
「奏、こういう時は後ろのやつが避けるんだ」
別に反則じゃない。ただ前に立ち塞がって、進行方向を塞いでいるだけ。左右はがら空きなんだから遠回りしてくれればいい。
――ま、させないんだけど。
背中側で気配を感じながら奏の行く方向へ先回りをして、徹底的に邪魔をする。
「ほんっっっとに、邪魔ッ!」
おうおう。珍しく滾っておる。なぜその熱気を攻撃では持てないのか、不思議なぐらいだ。偏りが酷すぎるだろ。
…………っていうか、体育の授業なのに本気出しちゃうところは、結衣と変わらないのな。仲良いなあ、この二人。
さて、奏の動きさえ封じてしまえば、あとは――。
「なにしてるのよ!」なんて怒りながら、結衣がボールに寄ってきた。
こうやってボールをもらいにきたら味方が素直に渡してくれるんだから、結衣にとってはやりやすいことこの上ないだろう。
正に王様だ。
イギリスのチームでは『味方だろうがなんだろうが死んでもボールは渡さない』って奴もいて、甚だ困ったもんだけどな。…………俺ばっかりがそんな思いをするのは不公平だから、この美しい女王様にも、ちょっとした疑似体験をさせてやろう。
ボールを寄越せと言わんばかりの結衣へ、当然のようにパスが出てしまう。
――それを中途で無理矢理奪ってやった。結衣が求めて結衣に出るパスなんて、軌道もタイミングもバレバレだし、読むのは簡単なこと。
第一、玄人が素人のプレー機会を奪うのは、感心しないね。
「なっ。…………あなた、さっきから意図的に邪魔してるわよね」
濡烏の髪は太陽の光を浴びて蒼く染まり、ギッと睨む瞳に力強さを与えている。
だが俺は平然と受け流して、挑発気味に反論した。
「自分が取れるボールを取って何が悪いんだ? 味方に俺がいるんだ。そう都合良く王様できると思ってんじゃねえぞ」
チームの中で絶対的な王様プレーが許されるなんて、チームの全員を実力で屈服させた場合だけのことだ。反旗を翻す味方がいれば、それもまた、実力でねじ伏せるしかない。
つまり結衣は、俺をねじ伏せなければもう、王様にはなれない――ってことだ。
俺はそのままドリブルをして、中途、奏の殺気満々スライディングを軽くかわしてから、パスを出した女の子の側へ寄る。
「結衣に渡す必要はないからな。これは球技大会に向けた練習試合だろ? 自分でどこまで進めるか、やってみようぜ」と伝えた。
すると女の子は、黙ってこくりと頷いてくれる。素直な子だ。
周囲を少し見回してからドリブルを開始し、ボールを前へ進める。ドリブルはもの凄く大雑把だけれど足が速いようで、推進力は「おおっ」と思わず声に出して感心してしまうほどだった。
再び奏をガードしながら見守ると、守備側の選手も、結衣相手では奪えるはずがないという雰囲気でやっていた空気を、少しずつ変えはじめた。
「後ろの人も、もっと前に出ていいぞ!」
手振りを加えて生徒達に前へ出るよう促す。
そこから徐々にボールの周りへ選手が集まりはじめ、攻撃側も守備側も、最初に比べればかなり積極的に動くようになってきた。
徐々に奏を自由にさせていき、しかし奏の奪ったボールはすぐに取り返す。取り返したら別の生徒にボールを渡して、同じようにボールを前へ進めるよう促す。
女の子というのは場の空気を読んだり共感する力が強い。俺が思っていたよりもあっという間に『あ、これボールが回ってきたらドリブルしないといけないんだ』という感覚を共有し始めてくれた。
まだまだ受け身ではあるけれど、これが体育の授業であることを鑑みれば、参加できる状況を作れただけでも成果は大きいだろう。
更にその中からは、一部ではあるけれど『ドリブルしてもいいんだ』という感じで、前のめりに参加してくれる子も出てきた。
パスサッカーという言葉もあるし、こういう授業のように当たり障りのない練習をするなら、ドリブルよりもまずはパス練習。だからパスがサッカーの基本だと思われることもあるけれど、根源はあくまで『得点を奪う』というミッションだ。
もう少し紐解くと『ボールを前に進める』とも表現できる。パスやドリブルといったものは、それを遂行するための手段でしかない。
結衣がパスを要求したら間に入って、味方のボールをパスカット。表情を見て本気で困っていなければ同じ子に返してワンツーパスの完成。
運動が苦手な子だっているわけで、さすがに『どうしようもないから助けてほしい』という顔をしていたら、別の子へパスを渡して「良いパスだったよ」と褒める。
見る見るうちにボールに人が集中していき、奏もそこに巻き込まれていった。
スペースがない中での守備というのは、案外やりづらいもんだ。体が大きければ単純な壁になれるけれど、奏はそういうタイプでもない。
段々と見守る形になってきて、俺はボールから少しずつ遠ざかる。
すると結衣が隣に立ち「呆れた……」なんて口にした。
「あなた、こんなことをするためにわざわざ来たの?」
「ボールを使って周りを動かすのって、結構楽しいぞ」
「私は最悪よ。全然、プレーさせてもらえないじゃない」
三点決めておいて何を言うか。――でも、そう思ってくれたなら、思惑通りか。疑似体験の効果が出たかな。
「プレーってのは、させてもらうものじゃない」
「味方からボールを奪えとでも言うの?」
「奪ってでも――っていう気概はありだ。でも現実に奪うわけにはいかない。そういうときは、引き出すんだ。…………この間の試合で奏がパスを出せなかったのは、結衣やチサにそういう動きが足りなかったからでもある」
天才プレイヤーと言えば、ボールを扱う技術に優れた選手を指す。
それが一番、誰の目にもわかりやすくて、どんなポジションでも絶対に無駄にならない技術だからだ。
しかし試合では、フィールドの中を敵味方合わせて二十二人の選手がうごめくのだから、一人がボールに触れる時間というのは非常に短い。
プロでは、九十分ある試合時間の中で一人の選手がボールに触れる平均の時間は、たったの一分しかないというデータもある。ボールを使う球技であるはずなのに、九十分のうち八十九分はボールに触れられないという、割ととんでもない話だ。
だからボールを持っていないフリーでの動きというのは、ボールを扱うのと同じか、それ以上に重要な技術になる。
「例えばさっきゴールを決めた、一ノ瀬有紀って子がいるだろ。あの子がゴール前に走り込んだとき、俺には『ここにボールが来たら一点入れられる!』っていう主張が聞こえたんだよ。だから迷うことなくパスを出せた」
「私だってそれぐらい!」
「できてないから、俺に簡単に奪われるんだ」
即座に否定すると、結衣は俯いて押し黙った。
見る専の素人にも劣ると言っているわけだから、そりゃ悔しかろう。
足下にボールが入ったら、あとは個人技でどうにかできてしまう。その力が災いしてしまい、天才と呼ばれた選手が足下でしかボールを受けられない不器用な選手になる例は、数多くある。
「もう一度訊くわ。こんなことをするために、わざわざ来たの?」
「潰すには惜しい才能が手元で燻っているんだ。こんなこと、なんて軽い気持ちではやってない。――――自分で言いたくはないけどな、素人相手にプレーするよりは、俺が味方にいるほうがよっぽど勉強になると思うぞ」
「…………そう」
言って、結衣はボールの近くへ向かっていった。
去り際にぽそっと「ありがと」なんて口にしていたけれど、俺にはどうにも彼女の言動が腑に落ちていない。
チサが憧れる瀬崎結衣という選手は、これほど簡単に封じることができて、本当にボールの引き出し方なんてことを、教えられないと気付けないのだろうか。
才能と環境が、そうさせた……?
いや、彼女は男子選手の中でもプレーしている。そこでは王様のように振る舞っていない。試合の中でどうすれば自分という選手を最大に活かすことができるか、客観的に考える時間も頭もあったはずだ。
――――じゃあ、何が足りていないのか。
俺は疑問を抱えながら、フリーマン役を続けた。




