第3話 できないこと
中等部の体育授業で簡単な指導を勤め終えたあと、俺はソフィと二人で、川舞学園の第三グラウンドへ移動していた。
いくらスポーツに強くないとはいえ、幼稚舎から高等部までが連なる中にグラウンドが一つではあまりに手狭なのだろう。
第一グラウンドは本格的な四百メートルトラックを備えるもので、主に高校生と部活動用。第二グラウンドはそれより少し小さいが、サッカーができる程度のサイズはあり、さっきの授業はここで行った。サブグラウンドとも呼べるだろう。
そして第三グラウンドには、小学生用の二百メートルトラックが収まる。
屋外施設としては他にもテニスコートなどがあり、真新しい校舎と言い、設備の充実ぶりはさすが私立校――といった印象だ。
「許可、もらってきたよ!」
「悪い。俺がやりたいだけなのに、お使いみたいなことさせちゃったな」
ソフィは第三グラウンドの使用許可を得に、初等部の職員室へ向かってくれた。
体育の授業を終えてから、とりあえず使われていない場所はないか――と各グラウンドを見回したところ第三グラウンドが空いていて、休み時間の間だけでもと思って少し使わせてもらった。
そのまま次の授業の予鈴が鳴り、授業開始時間になってもグラウンドを使う気配がなかったから、ソフィが直接、職員室まで使用許可を得に行ってくれたのだ。
今の俺たちは招かれた指導者ではなく、ここ、川舞学園の高等部通信制課程に通う、一生徒の扱いになる。
「できそう?」
「んー、普段やることがない動きだからな」
あれから俺は、チサのリフティングを思い出しながら、浮き球に二回触れる技『AKKA』に挑戦していた。
チサに見せられるよりも前に、他の選手がやるのを見たことはある。だから技の存在そのものは見知っていた。
でも、自分ができるわけではない。
「悔しかったの?」
俺にできないことが、チサにできる。まあ、何も思わないわけじゃない。でも――。
「悔しいって言うより……。ちょっと、チャレンジしてみたくなったんだ」
できないことをできるようになるためには、普段から最大限挑んでいるつもりだ。
けれどそれは地道なフィジカルトレーニングだったりして、技術を高める方向へは最近、とんと力を割いていなかった。
成長期である俺がフィジカルトレーニングの効果を実感しないというのは、難しいだろう。実際のところ、筋肉魔神こと伊藤さんの細かい指導もあって、日常の場面ですらこれまでと違う筋肉が動いていることに気付かされている。
ほんと細かい筋肉までプルップルに震えさせられるから、『へぇー、歩く時ってここの筋肉使えるんだ。初めて知ったよ』という、もはや生物の原点にまで立ち返ったような気付きを何度も与えてもらっている。半端ない苦しみの対価ではあるが。
だから、全力プレーをせずとも実感を得ている。
――――違う。これじゃない。
彼女たちがぶち当たっている壁は、これじゃない。
もっと実感を得られないような、挑んでも挑んでも立ち塞がる明確な壁でないと、倉並姉妹の抱える悩みを実感することは、できない。
「リフティングは結構できるんだけどな。俺の場合、勝ちたいっていう気持ちが一番だったから。試合で使えない浮き技ってのは、実は苦手なんだ」
「へぇ、ちょっと意外かな。こういうのは得意だと思ってたよ」
「日本人はパフォーマーに向いてるとか言われて、実用的な技に練習時間を全振りした――ってのもある」
「ああ…………納得できたね」
留学先のイギリスでは、主にフィジカル面で圧倒された。
『お前本当に同い年か?』って言いたくなるデカい奴らはもちろんのこと、『今すぐボールを置いて陸上トラックへ行け』というような足の速い奴。そしてどちらも高レベルに備えた万能型……。
俺は背が高くもなければ足が速いわけでもなく、激しいプレーにも弱い。
唯一通用した技術すらも、それらで無にされてしまう。
だから自分のプレーを変えようと思ったし、生き残るためには変える必要があった。盲目的にボールを蹴って、蹴って、蹴り続けて――。
でも七海や美波を含めて、自分以外の誰かにそれを押しつけようとは、思わない。
やりたい奴はやればいいし、やりたくなければ無理してまでやらなくていい。
…………一選手としてなら、本当に、ただそれだけを思えた。
所詮は他人事だ。勝手にすればいい。
むしろ練習が嫌になって脱落してくれれば、ライバルが減ってラッキーだとすら、頭のどこかで考えてしまっていたかもしれない。
しかし立場が変わってコーチとなると――。
叶うことならば選手全員に楽しくプレーしてほしいと、願わずにはいられなくなった。
「あっ……」
膝の横に強く当たったボールが、コントロールできないほど遠くへ飛んでいってしまった。
チサのAKKAは一旦ボールを浮かせて、次いで膝横で体の外側へ軽くボールを押し出して、最後に同じ足で内側へボールを動かす――。
何度やっても膝に軽く当てる感覚が、わからない。
やったことのない動きというのは想像以上に難しいし、正直、向き不向きで言えば向いていないような気がしてきた。
「ケイタって、なんでもできると思ってたよ」
トタトタと走ってボールを取ってきてくれたソフィが、意外そうな表情を見せた。
「ボールぐらい自分で取りに行くって」
「手伝いたいの! それに、私にできることを奪ってほしくないね」
……こいつは多分、ボール拾いでも楽しくできてしまうのだろう。
実際のところ結衣やチサのプレーよりも、俺はソフィの精神が一番羨ましい。できることなら真似したいぐらいだ。
「――さっき、なんでもできる……って、言ったよな。……でも実際は、こんなもんだ。できないことだらけだよ。特にこういうトリッキーなプレーはできないし、やらない。俺は不器用な上に、閃きでプレーするタイプでもないからな」
「不器用ってことはないと思うけど。――うーん、じゃあどっちかというと、チサよりもユイのほうが近いのかな?」
「結衣か……。確かに結衣は一瞬の閃きとか単純な器用さというより、最終的なところからプレーを逆算してる印象があるな。計算型――と言ったところか」
瀬崎結衣と寺本千智。どちらもセンスに溢れ攻撃面で万能だが、『才能』という言葉を当てはめるならば多分、チサのほうが適している。
特に男子チームとの試合で見せた一瞬の閃きは、見事という他なかった。結衣自身も、唇をかんで『私にはない』と認めていたぐらいだ。
「…………できない、か」
「どうしたの?」
「いや、結衣もチサも、あんなに上手いのにしっかり壁にはぶち当たってんだな――って」
「十人十色ね。全く同じなんて、ありえないよ」
ありえない――。それは多分もの凄くシンプルで単純で、倉並姉妹もきっと、頭では理解している。
それでも自分ができないことをできる人。……いや、自分の『やりたいことができる人』というものには、憧れたり、嫉妬したり、一言では言い表せない感情を抱くことになる。
七海や美波は、結衣やチサのコピーになりたいわけではないだろう。
二人のように華麗で攻撃的なプレーというのは、誰だって憧れる。彼女たちのようになりたいという気持ちは、自然で純粋で、仕方のないものだ。
それを真っ向から否定してしまったのだから、やはり反省せざるを得ない。
小一時間。俺はほとんど休みを置かずに、ボールを浮かせては膝外で触れる練習を繰り返し、何度もボールを遠くへ飛ばしてしまっては、ソフィが拾ってくれた。




