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第10話 噛みしめる

 焦げ臭さに気付いて、ふと台所にいるチサを見る。

 鍋から煙が出ているのに全く気付いていない様子で、隣のコンロで味噌汁を作っていた。

 慌てて駆け寄ってコンロの火を止め、鍋の中のタマネギがきつね色を通り越して黒より黒くなってしまっていることを確認した。


「――――――あっ、す、……ごめんなさい!」


 チサがこういうミスをするところを、見たことがない。


「悪い。一緒にやればよかった」

「いえ、そのっ――考え事をしてしまって…………つい」

「はじめて負けたんだ。気にしないほうがおかしい。…………大丈夫か? 火傷とか、してないよな?」

「…………はい」


 答えるとチサは、シュンとしぼむように視線を下げた。

 この小さな身体で、年上の選手の分まで責任を背負って、帰ってからも気を遣って――。

 よくできた後輩だけど、チサは便利屋じゃない。幼気(いたいけ)さがまだまだ色濃い、中学一年生の女の子だ。考え事をするよりも先に、そばへ寄って一緒にいるべきだった。

 なんで俺がフォローされる側になってるんだよ。ちくしょう……っ。


「……なあ、チサ。…………負けて、悔しいか?」


 問うと、チサは俺の目を一直線に見つめながら僅かに瞳を潤ませて、ゆっくり「はい」と頷いた。

 本当は泣くほど悔しいのに、俺が空気を悪くしたばっかりに、気を遣わせて……。

 悔しさなんて沢山味わって損はない。成長の糧だ。栄養みたいなもんだ。…………でも味わっている最中は、とんでもなく悔しくて苦しくて、食事なんて喉も通らない。

 チサはそれでも項垂(うなだ)れることなく、みんなの食事を作り始めて、俺を出迎えてくれた。

 そんな後輩に偉そうに言える言葉は、一つも見つからない。


「――俺もコーチになって、はじめて負けたからな。それも戦術的にやられた。かなりショックなんだ」


 だからせめてもの償いにと、本心をありのまま語る。

 心に刻み付けられたばかりの真新しい傷を晒す行為に、声が震えた。


「啓太さんも……?」

「それだけじゃない。七海(ななみ)美波(みなみ)に、なんであんなこと言ってしまったのか……。今更、悔やんでる」


 黒焦げになったタマネギを申し訳ない思いでゴミ箱へ処分して、近所のお婆ちゃんから頂いた新聞紙包みのタマネギを足下の棚から取り出し、調理に取りかかる。


「――私は、どちらの気持ちもわかるんです」

「ん?」

「その……っ。ほ、ほんとは、こんなことを自分で言いたくはないんですけれど」


 刻む包丁の手を止めて、チサを見た。

 胸に秘めた想いを明かすかのような、赤らんだ顔だ。灼髪の赤みがかった髪と頬の紅色が美しく馴染みあって、俺は思わず息を飲んだ。


「たっ、沢山練習して、少しは上手くなったつもりなんです。……でも、瀬崎さんと同じようには、なれませんから……」


 少しどころか、恐ろしく上手いと思うのだが。そこはチサの控え目な性格で、現実と認識の乖離(かいり)を引き起こしているのだろう。

 だからこそ、現状に満足せず更に頑張れるわけだ。寺本千智という選手の強さは、そこにある。

 そして左利きのチサは、右利きの瀬崎結衣に憧れるがあまり利き足を右に修正しようとまでして、プレースタイルをそっくり似せようとしていた。

 ソフィが気付いて、俺が指摘し、チサは『結衣になる』のではなく『結衣と同じチームで戦う』ことに目標を切り替えてくれた。

 もちろん左足を使ったプレーのほうが断然ナチュラルで個性的。以来、その左足は輝きを増して何度も並外れたプレーを見せてくれている。

 利き足を封印するなんてことは、並大抵の努力ではできない。それでも彼女は目標を切り替えて、『努力の末に諦める』という辛酸(しんさん)を味わった。苦しい経験だっただろう。

 この子の辿ってきた道はすでに、年齢だけで推し量れるものではないのかもしれない。


「――――実はな。今でも俺、今日伝えた言葉を間違いだとは思ってないんだ。でも、正解かはわからない。……サッカーをする目的は人それぞれ。プロでのプレーを目指す人間もいれば、学生の間に限定して割り切ってる奴も沢山いる。もちろん、楽しめることが一番ではあるんだが……。目標に手が届く楽しさと純粋にプレーを楽しむことは、簡単に両立できそうだけど、やってみると難しいんだ」


 レポロはプロ選手の育成組織ではない。

 親父や他のコーチ達は、選手にサッカーのプレイヤーとしてだけではなく、人としての成長を求めている。

 だから礼儀作法にも厳しいし、指導者だって裏ではセクハラ発言を機関銃のように乱発しながらも、選手の前では毅然(きぜん)としている。

 ……いやほんと、あの人達の座談会(飲み会)は怖いからね。単なるオヤジの集合体だよ。スライムがキングスライムになるのと変わらない。キングオヤジの爆誕である。普段とのギャップが凄いんだ。

 そして勝利至上主義でもない。このことは、監督役を俺とソフィの素人学生二人に任せる時点で、すでに明らかだ。

 にも関わらず、四年で三度の全国出場という結果も、残している。

 俺の世代を除く二度の全国出場でチームの中心にいたのは、一年差の世代違いで、瀬崎結衣と寺本千智。

 その二人を同時に抱え込んでいるというのはやはり、地域の育成サッカークラブとしては、反則級の力だろう。

 だからやられるとしたら、経験豊富で規模も大きな、歴史あるチームに……と。

 そんな風に勝手な予想を立てて、全部勝って当然だとすら、本気で考えていた。

 まさか名前も初めて聞いたような、自分より年下が指揮を執るチームに叩きのめされるなんて、想像が及ばなかった。


「……そうですね。私も目標に手が届かなくて悔しいことは、沢山あります。でも……達成感――って言うのかな。それが楽しくて、嬉しくて…………。だから、続けられているんだと思います」


 そう口にしたチサは薄く唇を噛み、眉尻を僅かに下げていて――。でも健気に、笑おうと頑張っていた。

 俺がもっとちゃんとしていたら、チサにこんな顔をさせることは無かったのに――――。

 この悔しさを忘れちゃいけない。少しのあいだ彼女の顔を見続けて瞼の裏に焼き付け、一旦視線を外してから冷蔵庫を開ける。


「なあ、チサ」

「はい?」


 こうしていれば、チサに表情を見られることはない。……卑怯(ひきょう)なんだろうな。自分の顔だけ、見られたくないなんて。

 包み隠さずに胸の内を明かしたつもりなんだけど、どうにも俺の感情にはまだ底があったようだ。

 とてもじゃないけど、正面から向かい合って口にするのは苦しすぎる。


「――――負けるって、悔しいな」

「………………はい」


 何年もサッカーをしていれば、負けたことなんて数え切れないほどある。それはチサも同じだろう。

 でも、何度負けても、悔しさには慣れない。


 地方大会編1 プロローグ は、ここで終了です。

 読んでいただきありがとうございます!


 次章は『中等部』となります。



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