第3話 背中
混成チーム練習前のストレッチに付き合って、瀬崎結衣の細い背中を押す。
「いっ……も、もうちょっと軽く!」
「そんなに強かったか?」
いきなりググイと押し込むわけにもいかないから、遠慮気味に押したんだけどな。
「じゃあ、ちょっと弱めに」
「いっ――ぅぅん――っ」
あ、こいつ今、痛いって言いかけて飲み込んだ。
「……結衣。さてはお前、体硬いだろ」
指摘すると、結衣は声を荒げた。
「チサと比べないでよ!? あの子の柔らかさは異常なんだから! ちゃんと骨が入ってるのか疑わしいぐらいよ!?」
そこは疑ってやるな。人として。無脊椎動物じゃないんだから。
……ただまあ、実際にプレーを見ているとチサの柔軟性にはとてつもないものを感じる。
チサが結衣に憧れて真似をしていたこともあって、この二人はプレースタイルが似ている。けれど、細かく比較すると結構違うもんだ。
例えば結衣のドリブルは機敏で、キュッキュッと鋭く、キレの良さで抜き去るタイプ。
対するチサは狭いスペースでもヌルヌルと抜けていく。柔軟性とボールタッチの細かさが武器だ。
ヌルヌル……やっぱりタコみたいだな。念の為、家に帰ったら骨が入ってるか確認してみようか。
「比べてない――っていうか、チサのストレッチに付き合ったことはないよ。プレーが柔らかく見えても体は硬いってのも時々聞く話だし、実際にどれぐらい柔らかいのかまでは、俺じゃわからん」
「一緒に住んでるのに?」
「一緒に住んでるからってストレッチまで一緒にやると思ってるのか? 一応その……女の子だからな。うちには心乃美もいるし、俺の出番はないよ」
「でも、折角あなたという手本がいるのに、チサが放っておくわけ……」
言うとおり、放っておかれていないのも確かだ。
チサは暇があれば庭でボールを蹴っているし、俺だってその姿を見れば体が疼く。負荷の軽い練習は二人でやることもある。
………………で、いつの間にか一対一で試合してる。真剣に。怪我のことを忘れて。アホなんだろうか俺。
「一応、自主練は一緒にやってるよ。ミニゲームとか……。あと最近は、軽い筋トレの類いも」
「……へえ。可愛いJCとストレッチなんて、滅多にない美味しいシチュエーションじゃないの? それを放置できるなんて、顔に似合わずしっかりしてるのね。――ちょっと意外」
「お前は俺をどんな人間だと思ってるんだ。そして俺はどんな顔だ。大体、それを言うなら今のこれは何だ」
まくし立てるように反論した。
確かに女の子の背中に触る機会なんて滅多に……いや妹を除けば皆無だ。
でもストレッチはあくまで練習の一環だろう。美味しいなんて思いながらやったら失礼だ。あと危ない。
だが結衣は後ろを振り向いて、綺麗な瞳を潤ませた。
「美味しく…………ないの?」
濡烏の髪が碧く煌めき、奥にある目はまるで宝石のようで、得も言われぬ魅力を含んでいる。
「…………その質問はズルいだろ」
俺は視線を逸らして答えた。本当に、見詰め合うと吸い込まれてしまいそうなんだ。
それに『美味しい』なんて答えたら『コーチのくせに選手を異性として見ている』みたいな文句を言われそうだし、サッカーに拘わっている時間に選手をそんな風に見るというのは本心から嫌だ。
かと言って女の子を相手にハッキリ『美味しくない』なんて答えたら失礼極まりない。
「――ぷっ。ふふっ、冗談に決まってるでしょ」
結衣は前を向き直して吹き出した。
後ろから背中を押す俺には表情を伺うことができないけど、声は弾むように軽やかでボリュームも上がり、楽しそうに笑っていることは確信できる。
「でも、私は美味しいと思っているわよ。…………私ね、あなたに憧れてサッカーを続けていたの。矢野さんから聞いたんでしょ?」
矢野さんは彼女が暮らす児童養護施設の職員だ。彼女にとっては母親代わり……なのだろうか。それとも寮母のような存在か。
少なくとも、幼い頃から知っていて信頼がおける相手、ではあるだろう。
「ああ、聞いた。意外だったよ」
「遠く感じていた憧れの選手が、海を渡ってもっと遠くなって…………。二度と縁が無いかなぁ、なんて思っていたら、いつの間にかこんなに近くにいる。――どう? 美味しいでしょ?」
「んー、憧れなんて言われると背中がむず痒いな」
「痒いなら、爪を立てて思いっきり引掻いてあげるわよ?」
「血が出るわ!」
こいつには一発叩かれたことがあるからな。本気でやりそうで怖い。
「あー、そういや背中って言えば……」
それから俺は、女子チーム『FCレポロ U15ガールズ』での背番号について、希望があるかを訊ねてみた。
同じ背番号を二人の選手が同時に付けられない以上、全てが希望通りになるわけじゃない。守備陣から小さい番号を埋めていくセオリーにも則りたいと考えている。強制ではないから則る必要はないんだけど、そのほうが解りやすい。
何よりもまず、背番号を決めるのは選手ではない。
いくらチームの中心選手だからといって特別扱いはできないし、するつもりもない。
「やっぱり10番か?」
だからこれは、単なる意志確認。
このチームでエースナンバーの10を背負うなら彼女、瀬崎結衣に他ならないだろう。そこに異論を唱える選手は……チサと仲の良い一枝果林ぐらいか。
いや、その一枝果林だってもう結衣の実力を認めている。
つまりは満場一致だ。
――――しかし彼女は俺の言葉を否定して、『12番』を指定した。
決めるのは選手じゃない。
それでも、十二人しかいないチームで十一人制を戦う、十二番の選手。その意味を理解した上で指定してきた彼女の意思は、尊重しなければならないと感じた。
直後の混成チーム練習では結衣に謂れのない文句を言う男子選手は見受けられず、試合形式の練習でも、以前より結衣がチームに溶け込めているように見えた。
結衣にパスが回り、結衣がボールを持てば味方選手も動く。対面する相手も遠慮はしていない――。
周囲が変わるだけではなく、男子選手に交ざって本気で勝負を挑む結衣自信にも心境の変化があったのかもしれない。だとすれば、嬉しい限りだ。




