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うどん、Again

 少しだけ背を屈めて、うどん屋の暖簾(のれん)をくぐる。

 相変わらず、壁まで染み入ったような芳醇な香りが鼻腔を擽る。これだけでも売り物になりそうだ。


「遠慮するなよ。好きなもの頼め」


 親父はちょっとだけ偉そうに言った。


「うどん屋で言われてもなあ」


 言いながらメニューに目をやったところで、一番高いのはトッピングの大海老天ぐらいのもの。


「チサちゃんも、好きなもの頼んでよ」

「は、はいっ」


 心乃美(このみ)は慣れた様子で、チサは初めて入った店だからかそれともいつも通りか、キョロキョロと辺りを見回す。

 フィールドの中では静かに熱くて、普段はよく笑うけれど遠慮がち。でもこの、周りを観察して把握はあくしようとする仕草は、試合中も普段も変わらない。


「じゃあ、柳を出された怨みで大海老天、女子チームの大切な練習試合を俺の立ち直りに利用しやがった罰として、牛肉。あとはチーム立ち上げと俺をコーチにしてくれた感謝の意を込めて遠慮なく…………イカ天でいいや」

「お兄ちゃん、感謝が足りてないよ。イカには悪いけど」

「心乃美とチサも同じのいくか? うどん屋でも、三人で頼めばジワジワ効くかもしれないぞ」

「いや、ちょっと油っこいかな……」

「私ももう少し、あっさりしているほうが……」


 結局、心乃美はとろろの載ったうどんを、チサは月見うどんを頼んだ。


『いただきまーす』


 届けられたうどんを前に、俺はゴクリと喉を鳴らした。美味しそうだからじゃない。


「ほら、遠慮なく食べろ」

「ふっざけんな!」


 親父はこっそり店員に、天ぷらのオーダーを追加していた。

 ボリュームのある野菜かき上げに、茸、とり天、ちくわの磯辺揚げ、半熟卵、いかげそ……。

 俺のうどんは麺もスープも見えず、横から見るとただ天ぷらを器に積み上げただけにも見える。ここの天ぷらは一つ一つがやたらデカいんだ。


「女子チームのコーチを引き受けてくれた礼と、これからの激励だ。嬉しいだろ?」


 んなわけあるか。完全に嫌がらせじゃねえか。

 くそ……。こうなったら仕方ない。


「すみませーん」


 俺は店員を呼んで、天つゆがないか訊いてみた。

 すると店員は困った表情をして、あるともないとも答えず、俺ではなく厨房のほうを向く。

 目の横に謎の傷跡がある、店長と思わしき老年男性が出てきて、ギラリと目を光らせた。


「うちは、うどん屋だ」


 ヤクザのような風貌と怖いぐらいドスの効いた声に、俺は、小さく「あ、はい……」と呟き、視線を天ぷらに向け直す。


「おい親父。ここのうどん、小麦粉じゃない白い粉使ってたりしないだろうな」

「心配するな。店長は堅気だから」

「本当かよ……」

「元は市役所勤務の公務員だったんだ。父さんもレポロの立ち上げとかで色々世話になったことがあってな。定年退職してからは趣味だったうどん打ちを極めるために店を構えた――ってことで、個人的に応援してるんだ。旨いしな」

「あの顔で公務員にうどん打ち…………人は見かけによらないなぁ」

「うどんを極めたいのにスープと天ぷらばかり褒められて、困ってるんだとさ」


 ……確かにここのうどん、麺よりスープが旨いな。天ぷらも見た目でサクサク感が伝わってきて、喉が鳴る。

 さて、それにしても問題は、天ぷらの量である。

 いくら成長期真っ只中の男子高校生とは言え、この油量は中々苦しい。

 チラリと、心乃美とチサに視線を配った。


「あ、じゃあ私、磯辺揚げを頂いてもいいですか?」


 チサは瞬時に意図を察知してくれた。ほんと、よくできた後輩だよ。


「こーちゃんはねえ……。大海老天もらおうかな」

「なんでメインを持っていく?」


 それに比べて心乃美は……。いや、助けてくれるのは有り難いけれどさ。それショートケーキのイチゴを持っていくのと似たようなもんだと思うぞ。


「ソフィがいたらなあ」


 思わず、俺はそんな言葉を口にしていた。日本食が好きなあいつなら、喜んで食べてくれそうだ。


 ――あの練習試合の夜、ソフィはイギリスに呼び戻された。


 いわく、俺の復帰意思を確認したから、日本にいる理由を失ったそうだ。

 翌日に届いたメッセージによると、元々オーナーはソフィの日本滞在に賛成していなかったらしい。

 ソフィの姉であるセルヴィさんが失踪――というか職務放棄をしたことで、『俺が復帰意思を示すまで説得を試みる』という理由で強引にオーナーを説得し、一時的に認められていたのだと、ソフィは明かしてくれた。


「お兄ちゃん、寂しい?」

「……女子チームのコーチになって、なんだかんだソフィには頼りっぱなしだったからな。あいつがいないと、どうしていいやら」


 俺は寂しさを紛らわし、薄く笑いながら言った。

 本当に、沢山世話になった。まだいなくなってから一週間も経っていないのに、思い出すと酷く懐かしくて胸にぽっかりと空白ができてしまったような、そんな気持ちになる。


「あ……あのっ、啓太けいたさん!」


 急にチサが大きな声を出した。真剣な眼差しでこちらを見て、少し頬を紅潮させながら言葉を続ける。


「その、私が――。私がソフィさんの代わりにできること、なんでもします! だから、その――っ」

「その……?」

「あの――。だから……、だからそんなに、寂しそうな顔…………しないでください」


 ……驚いた。俺はそれほど寂しそうな顔をしていたのだろうか。心配をかけないように表情は作っていたつもり……だったんだけどな。

 しかしチサの隣に座る心乃美は、何故かニヤニヤしている。楽しそうだな、おい。


「あ……いや、でもソフィはコーチで、チサは選手だからさ。代わりと言っても」


 どう対応して良いかわからず、俺はちょっと困りながら言った。するとニヤけていたはずの心乃美が今度は怒った顔をして――


「お兄ちゃん、そうじゃないでしょ?」


 やたら真剣な目つきで言ってきた。

 このやり取り、チサが来た翌朝にやったのと似ているな。


「……そっか。そうだな」


 今度はちゃんとチサの目を見て、ありのままを伝える。


「チサ、そう言ってくれて嬉しいよ。ありがとうな。……でもチサは、今のままでも俺の支えなんだ」


 家では手作り弁当に、朝食、夕食の仕込み、準備と後片付け。他の家事も積極的に手伝ってくれている。

 選手として見てもチームの中心に近い。これほど頼もしい後輩は、他にいないだろう。

 俺は更に言葉を継ぐ。


「心乃美だって――家事はともかく、なんだかんだ頼りになる妹だ。親父もいるし、何よりもチームの皆がいる。寂しさなんて、きっとすぐに無くなるよ」


 チサの顔を見ると、ホッとしたのか、気が抜けたのか、なんだか複雑な表情をしていた。


「はあ。お兄ちゃんは、全く。これだから……」

「なんだよ?」

「だって……ねえ。折角チサちゃん頑張ったのに、ねえ? 全く……」

「だからチサは今まで通りで、あんまり無理するなって言ってるんだ」

「頭の中がサッカーボールの人は、これだから」


 手を広げて、やれやれと、小バカにするように言われた。奥歯にものが挟まったような口振りで呆れられても困る。

 しかしまあ、話が一段落したところで、


「よし。じゃあ――食うか」


 再びうどん……というか天ぷらに目をやる。心乃美とチサが手伝ってくれたから、これならなんとか食べきれる量かな。

 ――と、箸で天ぷらに触れた瞬間。

 店の扉がガラガラガラッ――ドンッと勢いよく開いた。

 無作法な客もいるもんだな、と、俺は扉のほうをチラリと見る。


「ケイタ! うどん一丁! ソフィも食べる!」


 思わず、箸を落としてしまった。


「なっ、お前、なんでここに」

「パパ説得してきたよ! 一年間、本当に留学させてくれるって! 『お願い』って抱きついてキスしたら一瞬で陥落した!」


 ……オーナー、ほんと娘に弱いな。

 というか、いくら親子でもその歳でキスって。


「つか、どうやってこの店にいるってわかったんだよ。一緒に来たことないだろ」

「ケイタのジャージにGPS付けてあるよ!」

「バカかお前は!?」


 俺は慌ててジャージを脱いだ。

 くそっ、どこにそんなものが!? 何度か洗ってるはずだぞ! 防水か? 防水なのか!? 高性能だな畜生!!


「啓太さん、楽しそうですね? ……よかったですね?」


 おやおや? なんだかチサがご機嫌斜めだ。心乃美も、なんとも表しがたい困り顔をしている。


「お兄ちゃんさあ、ほんと、だめな人だよねえ」

「なんで俺が罵られるんだよ。罵るならGPS付けたソフィを――ってうわ!」


 ソフィはいきなり俺の横に座って「いただきまーす」と朗々に言うと、天ぷらに箸を延ばしてパクリと頬張った。


「おいしーっ♪」

「少しは遠慮しろ!」


 結局、ソフィは自分の頼んだうどんが出てくるまでの間に、半分以上の天ぷらを食べてしまった。

 あんなに沢山あった天ぷらが適量にまで減って、逆に物足りなくなる。


「その…………監督(ボス)


 すると今度は急に畏まって、言い辛そうに言葉を口にした。口の周りに天かす付いてるぞ。


「ごめんなさい。急に仕事を放り出して……」


 実はソフィが抜けたあと、彼女が受け持っていた分の仕事に追われて、俺と親父は遅くまで事務所に残ることが増えた。

 その詫びとして、今日のうどん、ということでもあったのだが。


「気にしなくていい。高校生を雇っている以上、こういうリスクは考えていた。……実はオーナーから『別の人材を送る』と言われていたんだけどな。『うちはソフィだから雇ったんだ』、と断ったんだ。帰ってきてくれたなら歓迎するよ」


 その件に関しては、俺と心乃美、それからチサにも、相談があった。

 帰りが遅くなることは家族にも影響が出る。

 それでも全員一致で、ソフィが抜けた穴は皆で埋めよう――と、決めたのだ。


「ソフィが抜けていた間、啓太が慣れない事務を頑張ってくれた。千智チサトはいつも以上に家事を負担してくれた。心乃美は………………………………いつも通りだった」


 そう。心乃美だけは何も変わらなかった。

 …………だけど、動揺一つせず何も変わらないでいてくれるというのは、心強いものだ。

 心乃美は俺たちに、心の安定を与えてくれたんだ。


「皆……っ」


 ソフィは涙の貯まった目を、手の甲でゴシゴシとこする。ちょっとだけ間を置いてその手を避けると、雨の日に咲いた花のように笑ってくれた。

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