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第13話 ましろ先生

 診察室に入って椅子に座るなり、


「あー、キミは…………バカなのかね?」


 あきれ顔の女医から、そんな言葉をかけられる。昨日もソフィに同じことを言われたばかりだ。


「将来有望な選手が怪我や病気で消えていくなんて…………どこにでもある、ありふれた話なんだ。…………留学してプロ選手になるより…………圧倒的に普通と断言出来る。…………今のキミは…………他人のために自己犠牲を払える立場…………なのか?」


 担当医が電子煙草をスパスパと吸っては吐き、不機嫌そうに言う。聞き取りにくいからやめて頂きたい。


「日本のドクター、診察室で煙草吸って良いね?」

「いいわけねえだろ。この人がちょっと変なんだ」

「電子煙草ぐらい…………ふぅ…………構わないだろう」


 (やぶ)ましろ。ここ、ましろクリニックの院長先生。これでもスポーツ医学の分野では、世界的に名を馳せるほど有望な若手医師だそうだ。待合室には先生が表紙を飾った英語の本が置いてある。未来の医学界を担う名医特集、だったかな。

 ちなみにクリニック名に名字ではなく下の名前を使ったのは、多分日本で一番医者に向かない名字だからだろうと推測できる。


「女子チームのコーチ…………ねえ。…………大丈夫なのか? この頃の女子というものは…………心身共に繊細で不安定…………だぞ」

「先生、煙草やめたらもっと早く診察終わるんじゃないですか? そうすれば待ち時間も――」

「…………ふぅ、これだから子供は…………困るんだ。…………本物じゃないだけ…………マシだと思いたまえ」


 にしても吸うペースが異常すぎるだろう。親父も吸うけど、そんなペースじゃないぞ。


「ところで…………その女の子は誰だ」

「彼女は……俺が所属するチームの、オーナーの娘です」

「一緒に女子チームのコーチやってます! あ、えっと、チームでアルバイトも!」

「…………物好きだな。…………金ならあるだろうに」


 先生がそう言った瞬間、診察室の裏にある通路を通りがかった看護師が電子煙草に気付いて、「診察室では控えてください!」と強引に取り上げた。


「…………怒られたじゃないか。君たちの所為(せい)だ」

「いい大人が、煙草の責任を未成年に押し付けないでください」


 この人本当に名医なのかな、と(いぶか)しい気分になることがしばしばある。

 しかしましろ先生は眉根を寄せて凄味のある声で言う。


「私は医者の指示に従わない患者が大嫌いなんだ。まるで自分の体は自分が一番よくわかっていると言いたげで。なら勝手にすればいい。病院に来るんじゃない。病気になったらその辺で野垂れ死ね。そうしてくれればイライラしないから、私の煙草も減るんだ」

「凄いこと言いますね……」


 ただ、医者の指示に従わなかったのは正に俺自身なわけで……。

 筋力の向上は必要だけど、まずは回復と休養を第一に優先させるように言われている。

 それなのに三十分間、三人を相手にボールをキープし続けた。体を張ったスクリーンプレーもするし、急な方向転換もするし、シュートだって打つ。

 本当に、返す言葉が一つも無い。


「……そんな顔をするな。私はほとんどの患者に同じようなことを、少なくとも一度は言っている。スポーツをする――特に子供というのは、何故か、決まり事のように無茶をするからな」

「すみません……」

「……まあ、いい。本題に入ろう。前回の検査結果だが、内側側副靱帯ないそくそくふくじんたいの状態は悪くなさそうだ。チームドクターがいたことに救われたな。急性期の対応が正しくなければ、もっと長引いただろう」


 内側側副靱帯というのは、先生の話によると比較的復帰までの道程が短いらしい。痛みが引くだけなら、早くて二ヶ月。その時期は既に過ぎているし、実際のところ、違和感はあるが痛みというものはそれほどない。

 手術もせずに済んだし、仮に多少の後遺症が残ったとしても筋力の向上でプレーは可能になるそうだ。


「そして問題の、オーバートレーニング症候群だが――」


 ただ、俺は靱帯損傷と同時に別の病気を抱えてしまった。

 ……いや、靱帯損傷より前から、こっちの症状はあった。

 レポロで、日本で通じていたことが、通じなくなる。大好きだったドリブル突破を、強引に止められてしまう。対抗するために日本にいる頃よりも更に練習量を増やし、ほとんどやっていなかった筋力トレーニングにも精一杯励んだ。

 結果、疲労を抜くことを忘れ、徐々に疲れが慢性的になっていく。どんどん不安が募り、不安だから練習の負荷を更に上げる。

 この悪循環を繰り返して、苦しさで逃げ出したくなった頃、靱帯を損傷した。

 ――いつ落第を言い渡されて帰国することになるか不安で仕方のなかった精神を、緊張という名の糸で限界まで縛っていた俺は、練習ができず周囲に置き去りにされる更なる不安に耐えきれなくなってついに緊張の糸を切ってしまった。

 それからというもの、なにをするにも力が入らなくなり、極夜(きょくや)のような鬱々とした日々を過ごしてオーバートレーニング症候群の診断を受ける。

 練習量しか取り柄のない俺が練習を奪われて休息を言い渡されたのは、その頃だ。靱帯の回復具合を見て一度日本へ、家族の元へ帰れ――という話だった。もちろんチームの指導者は母さんが亡くなったことも知っていたから、そこへの気遣いというのもあったのだと思う。


「目眩や脱力感は典型的な症状だ。熱くなる、楽しい、そういうのは結構なことだが、人間の精神はそう単純じゃない。熱くなりながらも不安を抱えていたり、楽しいはずが苦しかったり、そういう二律背反のような状態を宿すものが人間の精神だ。加えて過度な肉体疲労は、確実に病状を悪化させる。今回の経験を次に活かせないようなら、君に未来はないぞ」

「……はい」


 未来はない――。直球でそういう言葉をぶつけられると、自分の行動が、少なくとも自分だけのことを考えた場合には如何(いか)に不適切だったか……思い知る。


「夕方にトレーナーの時間が空いていた。今の君に適切で効果的なトレーニングを教えてもらいたまえ。今の状態で私から言えるのは、それだけだ。言われたことをどう解釈するかは、君次第だがな」


 言うと、先生はデスクへ向かって、パソコンの電子カルテに何かを入力し始めた。


「あっ、あの――」


 しかし俺にはまだ、訊かなければならないことが残っていた。


「どうした。まだ何かあるのか」

「先生の患者さんで、低身長症の人はいませんか?」


 チサの症状について。いや、治療について――。この人に訊けば、包み隠さず全てを教えてくれるような気がした。


「ケイタ……」


 隣に座っているソフィは、やけに心配そうな顔でこちらを見る。俺はチサのことをソフィへ伝えたが、その後、ソフィからこの話は持ち出されていない。


「私の患者には、いないな。分野が違う。……しかし、答えられることであれば」

「治療費について! ……身長が一定に達すると、保険が利かなくなると聞きました。保険が利かなくなったとして、治療にはどのぐらい……」

「三百万」


 ましろ先生は即答した。


「成長ホルモン剤というのは高価でな。――念のため言っておくが、治療終了までの金額じゃないぞ。年間三百万だ」


 暗然とした気分になった。


「年間……」


 俺はチサの症状について、治療について、なにも知らずに軽く考えていたのかもしれない。

 ソフィに話してみて、ひょっとしたらオーナーなら解決策を持っているのでは――と期待したが、女子のプロ選手を取り巻く環境を考えれば、どんなに有望な選手であっても絶望的な金額だろう。

 隣を見ると、ソフィは難しい顔をして俯いている。物怖じしない性格でも、さすがに言い出せなかったのだろう。

 ……俺が、あまりに軽く考えていたから。


「――仮に君の心配する人が女子選手だったとして、百四十六センチまでは保険が利く。そこまで伸びれば十分という判断をされるんだ。その子は、それでもまだ足りないと言っているのか?」

「…………プロの選手を目指すなら、身長は高いほうが有利です」


 先生がキーボードを打つ手を止めて、真剣な目でこちらを見る。


「なるほどな。しかし絶望的な低身長というわけではないだろう」

「それは……っ」

「私ならこう言う。その程度のハンデを克服する覚悟も無しに、プロなんて目指すな――と」

「――ッ!」


 なにかを言い返そうとした。でも、なにも言葉が出なかった。

 ただ一つ確かなのは、これは俺が勝手にやっているだけのこと、というそれだけだ。


「…………本人は受け入れて、プロを目指すのは難しいと言っています。今のは俺の勝手な思いで……。すみません」

「――そうか。病院(ここ)には先天性後天性に拘わらず、ハンデを負った選手が集まる。――諦めれば楽になれるのに、諦めないバカ共だ。しかし彼らの中で高額な治療を受けている者は、(わず)かしかいない。プロでもない、スポンサーもいない、ましてや社会人ですらない選手も多い。余程恵まれた家庭に育っていない限り、そんな人間が払える治療費には限界がある」

「…………彼女も、親に負担をかけたくない、と言っていました」

「それが普通の感覚だ。皆、どこかで諦め、受け入れる。しかし受け入れて――それでも頑張るバカ共が、また選手として成長するんだ。ハンデを受け入れられない奴より、受け入れて戦う奴のほうがずっと強い。そのために、私のような人間がいる」


 最後は力強く、励ますような調子で言われた。


「……ありがとうございます」

「礼よりも、今後その子が怪我をしたら、うちに足を運ぶよう言っておいてくれ。そうすれば私が儲かる」


 俺はもう一度礼を言って立ち上がり、頭を下げた。

 それからゆっくり歩いて診察室を後にしようと扉に手をかけた瞬間、もう一度後ろで先生の声が鳴る。


「どうしても低身長症の治療を続けたいのなら、私が知る限りで最高の医師を引き合わせよう」


 扉を開けると、看護師が「四十五番のかたーっ」と次の患者を呼ぶ。俺は後ろ髪を引かれる思いで、診察室の扉が閉まる前にもう一度深く頭を下げた。

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