第6話 蝉時雨の季節に揺れる苺
五月も中盤となり、徐々に上がってきた気温に本格的な春を感じる。立夏はもう過ぎてるんだけどね。
二月初めの真冬ど真ん中に立春とか言われても困ってしまうのと同じで、季節というのは、桜が咲いて春を感じ梅雨を過ぎて夏を知り、紅葉を迎えて秋を味わい雪をもって冬を覚える――という感じのほうが正しいだろう。ちょっと知的に表現してみました。クドいな。
要するに今は春まっただ中というわけで、運動をするには絶好の気候である。
しかし俺はまだオーバートレーニング症候群から完全には抜け出せず、チサは松葉杖で定期通院、妹はナマケモノで、結衣は――――。
「結論から言おう。オーバートレーニング症候群だと診断した」
ましろ先生は感情を乗せることなく事務的に告げる。
宣告された結衣は一瞬言葉に詰まったが、「…………はい」と噛みしめるように答えた。
こういう宣告を受けると『原因が病気だとわかって楽になった』という人もいるけれど、個人的には断定されてからのほうが辛かった。
簡単に治るものではないことと、自分の無茶が巡り巡って因果応報的にこういう症状を引き起こしていたことに対する、自責の念に駆られたわけだ。
努力したことは、紛れもない事実である。
むしろ人より何倍も努力して努力して努力した。
その結果が、因果応報的に、まるで罪を贖うような苦痛を味わうことだなんて、おかしいだろう。
そう思えば思うほど精神を病んだ。
「抑うつ症状も見られる。もちろん、しばらくは休養が最優先だ。一旦、競技はもちろん、軽いジョギング程度も禁止してもらうぞ」
「……はい」
「と、口で言うのは簡単だが、ここに来る人間というのはまあ大抵が医者の指示を無視する、愚か者だ」
ギロリと動いたましろ先生の鋭い眼光が、俺の心を深く抉った。
ごめんなさい。三対一で三十分ボールキープして時々シュートを打つぐらい大丈夫じゃね? とか考えてごめんなさい。
あれ以来、反省して、無茶はしていない。というかリハビリと称した筋トレが高負荷になってきて、激しい運動をする余裕がないです。はい。
「そこで提案があるのだが、君たち、ちょっと二人でデートしてこい」
「「…………………………………………は?」」
俺と結衣が反応に困っているのを見ても、ましろ先生は全くもって真剣というか、冷淡とさえいるほど真面目な表情だった。
「どうせ恋人はいないのだろう? ここに来るレベルのスポーツバカは恋人いない率が異常だからな。伊藤なんか三十超えたのにまだどう」
「あ、大丈夫です。それ以上は言わなくていいっす」
脳筋の魔法使いとか俺、泣いちゃう……っ。もうやめて! 彼のMPはゼロよ!! HPは満タンだけど!!
「中高生に不純異性交遊を奨めているわけではないが、君たちの場合は不純というものに縁がないだろう」
「ちょっと意味わかんないです」
「三ヶ月後に産科へ行って三月にはパパとママです――なんてことにはならないだろう、と言っているんだ」
「ひょっしてラッパー目指してます?」
ゴスッと、ましろ先生の黒い靴が俺の脛にめり込んだ。
「のぁ゛ぁぁぁぁっ」
今レガース付けてないから!! 試合中じゃないから!!
「……地獄見てるわね」
「そんなに韻を踏んでほしいなら、三角関係とか色々あるぞ」
さすがお医者様。頭の回転が高速なことで……。
まだ続く痛みに苦悶していると、裏の従業員用通路(基本的にドアは開いている)から伊藤さんが現れ、タンクトップから立派に隆起した肩をのぞかせて
「三角筋もね!!」
と、一言だけ残して去って行った。筋肉はマッソー!!
こんなんだから脳筋魔法使いなんてことになるんじゃないかなー。
「あの……、うちにはチサ――千智もいて、ですね。最近どこに行っているのか、不審がられてるんです」
「なんだ。本当に三角関係か」
「違います! チサは俺が帰ると『お帰りなさいっ』『カバン持ちます』『お風呂がいいですか? ご飯がいいですか? それとも……』なんて言ってくれるけど、めっちゃ可愛いだけで妹か娘みたいな感じですから!!」
…………。
………………………………あれ?
いつも鉄仮面のましろ先生が、ドン引きしていらっしゃる。
「十三歳未満に対する性的欲望は、医学的にも明確なロリコン――、いや、小児性愛だから――な?」
次いで、結衣が遠くから、「それとも…………なに?」とゲスイものを見る目で問うてくる。
んー、さっきまで、そばにいたよね? 今コロコロキャスターの椅子で思いっきり遠ざかったよね?
「違う!! 庭でサッカーする習慣があるだけだ!!」
それでも僕はやっていない。
「君のような人には抗男性ホルモン治療というものがある。性的欲求を抑える治療だ」
「誤解だぁぁぁぁぁっ!!」
「あなたとチサには酷な話かも知れないけれど……、医学と言う以前に、社会通念上の問題があるのよ?」
「お前も聞く耳を持てぇぇぇぇぇぇっ!!」
ここが医療施設だと忘れて声を上げた俺は、いつもましろ先生の電子タバコを取り上げる看護師さんに「院内では静かに!! 色んな患者さんがいるんですよ!!」と凄い剣幕で怒られた。
完全に俺が悪いから、何も言い返せない。でも…………誤解、なんです。
「あれ? じゃあ私も微妙なところなんですね」
結衣はまだ中学二年になったばかり。とてもそうは見えないんだけどね。段々同い年ぐらいの感覚になってきているし。ついに敬語使ってくれなくなったし。敬われていないなぁ。
「ああ、いや――。年齢は明確に区切られているし、確か小児性愛は犯人の年齢が十六歳以上の場合だ」
犯人とか言うな。
「そっか……。…………じゃあ私、ちゃんとセーフなんだ」
なんか恥ずかしそうに呟いているけれど、社会通念上の問題があるって言ったのお前だからね?
「まあ何にせよ、君たちはもう少し普通の青春を送るべきだ。競技にもよるが、海外では将来有望な選手に対して、十八歳まであまり激しい練習をしないよう指導することもある。体は消耗品だということを、君たちはもう理解しているだろう?」
「はい。まあ……痛いほど」
俺の言葉に隣の(まだちょっと遠い)結衣も、うなずいた。
「強制はしないが、気持ちが晴れることがあれば、治療にも良い効果がある」
そう言ってましろ先生はパソコンに向き、キーボードを淡々と打って電子カルテに何かを入力していく。
俺たちはどうしていいのかわからず、狐につままれた気分で立ち上がって踵を返し、診察室のスライドドアを開けた。
…………………………そこに、無言でチサが立っている。
「デート、楽しんでくださいね?」
口角が上がっているが、目が据わっている。正にゴミを見る目――ッ。十二歳に蔑まされて俺、ミジンコになる気概で身を縮める。
「お兄ちゃん。どういうことか説明しなさい」
隣には妹がいた。なにこれ、地獄? 獄門? 俺、ここでギロチン首にされちゃうの?
「え……っと、チサの通院日は今日だった……っけ?」
恐る恐る訊くと、灼髪がゆらりと揺らいだ。めっっっちゃ怖いんですけど……。
「はい。啓太さんが『どうしても外せない用事がある』と言っていたので、心乃美先輩と監督に付き添ってもらいました」
待合室を見ると親父の姿があった。
あー、車出さないとチサの足じゃ通院できないもんね。うん。殺せ。もういっそ俺を殺してくれ。ここで正座するから介錯してくれ。
「ど…………どこから聞いてた?」
「啓太さんの呻き声が聞こえてきたところからですよ? すいぶん賑やかでしたね」
ましろ先生ぇぇぇぇっ!!
俺は助けを求めて結衣の横顔を見る。
「…………これが本当の地獄、ってことよね」
おい。上手いこと言ったみたいな顔してんじゃねえよ。




