第4話 秘めた覚悟
前半終了のホイッスルが吹かれると、選手たちがぞろぞろとベンチ前へ引き上げてくる。
前後半の間にあるハーフタイムで、結衣とチサの攻撃力に頼る戦術をハッキリと言葉にして、伝えるしかない。
レポロらしいのからしくないのかわからない、大人数で守って最少人数で攻めるサッカーだ。
――――迷いがあっては、勝てない。
「……チサ?」
俺が疑問を呈すると、横を通りがかった結衣と果林が後ろを振り返る。
チサは前線の一番遠いところにいて、距離を考えると近い順に結衣、果林、チサとなるのは普通のことだが。
あまりにもゆっくり、よく見ると右足を庇うように、ひょこひょこと歩きながら引き上げてきていた。
タッチラインを超えたところで、芝生の上にバタリと倒れ込む。俺は駆け寄ってすぐに「足か!?」と問いかけた。
だが返答がない。
「結衣、一緒に担ぐぞ。ベンチに座らせるんだ」
「わかったわ」
緊急事態に結衣の声が、ピンと芯が通った調子になる。二人で肩を持とうとすると、チサの小ささと軽さがダイレクトに伝わってきた。
こんな小さな体で、常人離れしたプレーを……。
「右足――、膝だな?」
昨日、ドライヤーを使いながらいつものように正座ができず、庇うようにしていた右足。
「昨日からか?」
チサは沈痛な面持ちでふるふると頭を振って否定したが――。
思えば、ロッカールームに入ってみんなのテンションが上がっている中で、チサは一人だけ燥がずにいた。
落ち着いている、集中している、そういう風に受け捉えていたけれど。
チサは本来、年齢なりに可愛らしい性格をしている。物事をしっかり楽しめるタイプだ。空気も読む。
一人だけ周囲と世界を断絶するかのように落ち着き払っているというのは、普段のチサの行動ではない。
程度はわからないけれども、昨日から痛みがあって隠していたと考えると、それなりに辻褄が合う。
「……腫れてるな」
「私にできることある?」
「こういう時はRICEだ。安静、冷却、圧迫、挙上――。結衣は氷水と包帯を持ってきてくれ!! あとはタオルとか毛布をできるだけ多く!!」
指示を出した瞬間、後ろから「正解だ」と低い声で言われる。
「コーチ……?」
多湖コーチが大量のタオルを持って立っていた。
メインスタンドは見晴らしがいいから、チサの異変にもいち早く気付けたのだろう。指導者としての経験や勘もある。
「啓太はここにいろ。ロッカールームにアイスボックスと救急箱がある。瀬崎――あとキャプテン! 二人で取ってこい!」
結衣と守内真奈が「はい!」「わかりました!」とそれぞれ口にする。
「千智を仰向けにするぞ」
「はいっ」
ベンチにタオルを敷いて、できるだけフラットにする。
「チサ、抱えるからな」
お姫様抱っこのように持ち上げてベンチの上に寝かせると、今度は膝の裏にタオルを挟んで積み重ねる。
「よしっ。こうして患部を高い位置に挙上するんだ。あとは冷やして圧迫すれば、応急処置は完了」
「すみません。コーチの手を患わせて――」と言った瞬間、頭にげんこつが振り落とされた。
「イデッ――」
「アホかお前は! 高校生にガチで指導者任せられるほど、甘くは考えてねえんだよ。こっちは仕事してんだぞ。コーチライセンスも審判ライセンスも、救命講習だってきっちり毎年受けてんだ。大人舐めんな」
「……すみません」
もう一度、今度は違う意味で謝ったところで、結衣と真奈がアイスボックスと救急箱を持ってきた。
「包帯は巻けるな?」
「はい!」
膝関節を圧迫するように包帯を巻き付けると、チサが「うぅ――ッ」と痛そうに呻き声を上げた。
「膝が曲がらないのか?」
「――――――はい……」
関節が動かないとなれば、骨折の疑いもある。
「わかった。このままの角度で一旦、圧迫するぞ。――――悪い。少しだけ我慢してくれ」
原因がわからないからセオリーに則るほかない。
ギュッとキツく巻き終えた頃には、多湖コーチが氷嚢を作って持ってきてくれていた。
受け取ると、今度は氷嚢ごと包帯で巻いて患部を冷却する。
「骨折か捻挫ですかね……?」
捻挫という表現は一般的に使われるが、ことスポーツにおいて捻挫というのは軽度から重度まで幅が広く、軽い意味にはならない。
靱帯の損傷すらも捻挫の範疇だ。
「わからん。骨の可能性のほうが高そうに見えるが――」
膝が痛む骨折――。
「啓太、ハーフタイムが終わるぞ。後半に何か作戦とか――、なんか、なんでもいいから考えてねえのか!?」
「――すみません。チサがいる前提で考えてしまったので――」
「ちっ。しゃーねえか。あれだけのプレーをされちゃ、代わりが務まる選手なんているわけねえし。相手は見たことない戦術使ってくるし――。厄介な状況なのは確かだ」
チサと結衣のコンビネーションで相手守備を突破させる予定だったわけで、チサがいなくなってしまうと、誰も代わりを務められない。
頭を抱えたくなるほど困っていると、結衣がチサの横へ一歩出て、口を開く。
「…………ねえ、チサ? あなた、何を考えてあんな無茶を続けたの?」
だがチサは何も答えず、隠すように腕を顔の前へ上げて、目を覆った。
そのまま十秒ほど経過しただろうか。
答えないチサに結衣が諦めの重たい溜め息を吐いたところで、思いがけない人間が語り始めた。
「私が代わりに答えるよ、結衣」
釘屋奏――。
結衣と最も仲が良く、いつも低血圧っぽい調子でいる彼女が、珍しく深刻に眉根を寄せた。
「千智じゃ言えないから、私が言う」
するとチサが「やめてください!!」と大声を上げて、体を起こそうとした。
「動くな! 安静にしてなきゃ悪化するぞ!」
言ってもまだ動こうとするチサの両肩を掴んで、押さえつけるように寝かせた。
怪我を悪化させないために、安静は絶対条件だ。どんなことをしてでも――。
「……チサ?」
腕で目を覆いながら、チサは押し殺すような声で泣いていた。更に「ごめんなさい――ごめんなさい――」と繰り返し呟く。
「――――言いなさい。奏」
結衣と奏が、真っ正面に対立した。この二人が衝突するところなんて、これまで一度も見たことがない。
「千智が無茶をしたのは――っ」
奏は一度ギュッと唇を噛んで、どうしようもなく苦しそうな顔で、二の句を継ぐ。
「千智が無茶をしたのは、これ以上、結衣が下手になっていくのを見ていられなかったから」
…………俺はこの言葉を、前に聞いたことがある。
階段ダッシュを見た日だ。
仲の良い結衣と一緒に練習しない理由に、奏は同じ言葉を使っていた。
「――――――――どういう意味?」
怒気を孕んだ結衣の声が、周囲を凍てつかせるかの如く冷たく響いた。
「昔の結衣なら、一対一で押さえ込まれるなんてこと、絶対に無かった。チサが活躍して試合がチサのものになったなら、もっと悔しがってた。足下にボールが来ないなら、意地でも引き出してた。――今の結衣は、気持ちも力も…………全部。全部全部全部、昔の結衣とは違う!」
「仮にそうだったとして、なんでチサが無茶をするわけ!?」
「――――『オーバートレーニング症候群』。コーチがかかった病気に、結衣もかかってる。確証はないけど、私は後ろで見ていてそう思った。千智は多分、前の負け試合で結衣が――、結衣が昔の結衣じゃないって、気付いてしまったんだと思う。今の実力なら自分が上だ――って。わかってしまった。だから結衣に負担をかけないように、一人で無理をした」
ここまで奏が解説してくれて、俺はようやく気付いた。
そうだった。
瀬崎結衣という人間は――。
寺本千智が憧れる、瀬崎結衣は。
負けて黙っている性格じゃない。
自分よりも後輩が活躍して、後輩の心配をするほど優しい選手でもない。
もっと悔しがって、反発して、自分が一番でなければ許せないとばかりに力を誇示する。
……そういう奴だった。
オーバートレーニング症候群を患って最初の頃は、もっと多く練習すれば上手くなれるはずだと、気力で体を動かすことが叶う。
しかし過労状態が慢性化してくると、気付かないうちに意欲や気力を失ってしまうんだ。俺が見るべきは結衣のプレーではなく、精神状態だった。
なんで――っ。どうして気付けなかった!?
やり場のない悔しさが脳を支配する。頭が熱い。後悔してもしきれない。
――――しかし、そんな俺の脳を覚ますかのように冷ややかな声が、結衣の口から放たれた。
「奏。それで全部?」
「うん」
「言いたいことは、それだけ?」
「そう」
「ふーん……。そう」
そこまで言って、結衣は奏に一歩近寄った。
「…………あなたもチサも、随分と私のことを舐めてくれたものね?」
身長差で上から見下ろす。
急に言葉が熱を帯びた。
まるで氷に火がついたかのように――。
「どうせ口で言っても信じないでしょう?」
「信じない」
結衣は一旦斜め下へ視線を落として、冷たく息を吐いた。
僅かな動きで、濡烏の髪は表情を変えて、鋭く研いだ刃物のようにギラリと青く光る。
「なら、証明してあげる。私がチサよりも遙かに高いところにいるって、あなたは後ろから、ただ見ていればいい」
結衣の宣言を待ったかのようなタイミングで、ハーフタイムが終わった。




