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第10話 妹が語る『女の子』

 コーチ初日、ソフィの参加や瀬崎せざき寺本てらもとの難しい関係といった想定外の出来事が重なったこともあって、俺は泥が粘り着いたようなぐったり感を(まと)いながら家の玄関ドアを開けた。


 一応、「ただいまー」と言うが、特に返事はない。

 テレビの音が鳴るリビングへ歩くと、三人掛けソファをベッドのように使って身を預け棒アイスをしゃぶる、だらけた妹が待っていた。

 さっきまで一緒にいたんだけど。


「なんで先に帰ったんだよ」

「面倒くさかったからー」


 中学二年生。

 大した身長もないくせに、無駄に高い身体能力があるからか二年生で唯一守備の要(センターバック)に名乗り出やがったU15ガールズの選手。久瑠沢くるざわ心乃美このみ

 俺は今、母さん――母方――の姓を名乗り、妹は親父の姓を名乗っている。

 別に兄弟や親子関係は崩れていないし、別の姓となっても親子や兄妹であることを隠したりはしない。親父は親父であり妹は妹だ。

 けれど、妹とはコーチと選手という関係にもなる。姓が違うことは練習中の混乱を避けるために都合が良いのかもしれない。


「そんなことよりさ! ねえねえ? 久しぶりにプレーしてるこーちゃんを見て、感想は? どうだった?」


 妹は自分のことを『こーちゃん』と、愛称で呼ぶ。

 兄ちゃんとしては、精神年齢が幼く見えるから、そろそろやめたほうが良いと思うぞ。悪いこと言わないから。

 まあしかし、感想と言われても。


「一年生にチンチンにされてたな」

「あ、お兄ちゃんセクハラ。こーちゃん、そーいうのどうかと思うなぁ」

「セクハラじゃねえよ!」


 恐ろしいことに心乃美は、サッカー用語が全く通じない。

 サッカーを『プレーするもの』としか捉えていなくて、見て楽しむ趣味は一切ない。

 そして監督やコーチ、チームメイトが使う言葉を『なんとなくこうかなあ』ぐらいの感覚で受け取っている。

 これで守備の要なんだぜ。嘘みたいだろ。俺が同じチームなら恐怖しか感じないだろうね。

 チンチンにされてたなって伝えても、なんとなくチンチンかなあ、って感じで理解するのだろう。なんとなくのチンチンって何。


「心乃美が、せめてプロの試合をテレビかネットで観てくれれば、解説を聞いてチンチンぐらい身に付くんだけどな」

「身に付くの!?」

「付くわけねえだろ!? 意味がわかるってことだ!」

「えー、意味わかんないー」


 それを言いたいのは俺のほうだ。

 親父が少年サッカークラブ経営者で指導者。兄は一応プロを目指してサッカー留学までして、心乃美自身のサッカー歴もとっくに十年近いだろうに。


「一年生に手も足も出なかっただろ、って言ってんだよ」

「――だってさぁ。チサちゃん、本当に上手いんだもん。まるでちっちゃな結衣みたい」


 ちっちゃな瀬崎結衣……か。多少アバウトだけど、こいつ、物事を見抜く目はしっかりしてるんだよなあ。これだから守備が得意なやつは苦手なんだ。観察力とか洞察力がナチュラルに高い。


「あともう一人、ずっとゴールだけ狙ってた子。……名前、なんだっけ」

一枝いちえだか?」


 心乃美と逆のチームで目立った活躍を見せた――心乃美を果てしなく困らせていた――のは、彼女だろう。

 観察力か洞察力かそれとも野性的な本能でヤバいと察知したのか知らないが、今日の心乃美は一枝果林(かりん)をしつこいぐらいに徹底マークしていた。


「ん、一枝……?」

「一枝果林だろ」

「そう、果林ちゃん! っていうか名字で言われても、わかんないしーっ!」


 そう言われてもねえ。

 しかしまあ、サッカーをやっていると姓ではなく、名だけかより短い愛称で呼ぶことが多くなるのは事実である。

 仲間意識も当然あるけれど、それ以前に『被る可能性がある』『発音が難しい』『長い』などの問題をプレー中に負うわけにはいかないから――という理由で、あまり姓で呼ばない。

 これは合理性があり、一種の慣習とも言える。


 ということで俺も例に漏れず、サッカーをしながらチームメイトを姓で呼ぶようなことは滅多にしてこなかった。

 けれど立場がコーチとなると…………。いや、女子選手のコーチとなると……。

 正直、どう呼んで良いのかわからない。


 相手が男子ならもっと気楽だったと思う。いきなり呼び捨てでも構わないだろう。徐々に距離を縮めるとか面倒くさい。攻撃が得意な人間ってのは勢いを大切にするんだ。

 だが女子中学生の感覚なんて全くわからない。勢いだけで距離を縮めて馴れ馴れしいとか思われてしまい、影で色々言われたら……なんて想像すると。とても凄く非常に滅茶苦茶怖い。


「果林ちゃんさあ、サッカー経験浅そうだよねぇ」

「……え?」


 考えもしなかったことを不意に言われて、俺は一音で疑問を呈した。

 あれだけマークを外してゴールを狙えて、経験が浅い? そんな風には見えないけれど……。

 確かにボールを細かく扱うのは、そんなに得意というわけでもなさそうだった。機敏な動きでマークを外してフリーになり、ある程度の余裕を持ってシュートを打つスタイル。正に生粋の点取り屋(ストライカー)なわけだが、自分でドリブルを仕掛けて対面する相手を抜いたり難しい状況を打破する素晴らしいパスを見せたわけでは、ない。

 もっともそれらは、経験を積めば誰にでもできるというわけではなく、その一点だけで経験の厚みを読み取ることは難しい。


「駆け引きが通じないんだよね。全部無視されちゃう。こーちゃんが苦手なタイプだよ」

「お……お前っ、駆け引きなんて高度なことを……やっていたの…………か?」


 大袈裟に驚いたところで、ソファクッションを投げつけられた。

 俺は反射的に、子供の頃に覚えた顔面ブロックでクッションを止めてみせる。要するに避けられなかった。


「――折角、褒めてもらおうと思ったのに。こーちゃんだって頑張ったんだよ……」

「なんか言ったか?」

「なんでもなーいー」


 本当は全部聞こえてるけどね。お互いに照れくさいだろう、そういうのは。


「お兄ちゃんだってなんか偉そうで、やな感じだったよ。サッカーバカで女の子耐性がないのは知ってるけどさぁ」


 心乃美はやれやれと両手を広げて、わざとらしく呆れて振舞う。

 それを正面から否定できないのが悔しい。

 サッカーバカってのは弁解する気もない。事実であってむしろ誇らしい。だからバカなんだ。

 けど女の子耐性ぐらい俺にだって、雀の涙ぐらいならある……と思う。ほら、ソフィとは会話できるし。いやまあ日本語が通じるのがソフィしかいなかったというだけの話なんだけど。


「もうちょっと年長者から距離を縮めてくれても、良いんじゃないかなーって」

「距離……か。じゃあやっぱり、名前で呼ぶか?」

「それはちょっと馴れ馴れしいってゆうかー。ソフィさんに呼ばれるのはイヤミがなくてむしろ嬉しいぐらいなんだけど……ねえ?」

「俺にどうしろって言うんだよ。意味がわからん」


 そういう『女の子の感覚』みたいなの、本気でわからない。意味不明。だってサッカーに必要なかったし。テストにも出ないし。

 いや、まあ人生に必要なのはわかっている。わかっているのだよ。

 でもそれが解けるようになるの、別に今じゃなくて良いじゃん?

 ……こうやって先延ばしにして二十歳、そして三十路を迎えたりしちゃうのかなあ、俺。サッカー選手として『魔法使い』と呼ばれるのは憧れる姿だけど、男としてそう呼ばれる未来はちょっと……。


「こういうの、感性なんだよねえ。できる人はさりげなーく、上手に距離を縮めてくれるものだよ?」

「悪かったな『できない人』で」


 ふて腐れて言うと、心乃美はちょっと偉そうに、ふふん♪ と鼻を鳴らす。

 さっき俺のことを偉そうでやな感じとか言ってなかったか、こいつ。


「サッカーでもそうでしょ? いきなりボールを取ろうとして近付いたら、よっぽど上手くて速くない限りかわされちゃうよ。女の子だって、ちゃんと間合いを計ってるんだからね」

「……な、なるほどな」


 突然サッカーに(たと)えられて、悔しいけれど妙な説得力を感じた。つい耳を傾けてしまう。


「だからこっちも、常に間合いを計って様子を見ながら、ジリジリと……。それで自分の距離に入ったら一気に、バッ――って!」


 異常に解りやすい。俺の頭の中、ひょっとして脳の代わりにサッカーボールが入ってるのかな。

 だけど、サッカーに喩えるなら反論もできるぞ。


「それ、誰に対してもやるのか? 女子チームは心乃美を除けば十一人。大人数相手にそのやり方はちょっと違うだろ。特定の誰かならともかく、さ」

「え、なに相手選ぼうとしてんの? サッカーって対面の相手選べたっけ? 次この人が攻めてきますよーって、前もって教えてくれる?」

「お、おぅ……。そう……だな」


 あれ? サッカーに喩えても押し負けちゃうの、俺?


「そんなこと言ってるから、彼女ができないんだよ!」


 指を差す妹の背景に、ドーンという字が見えた気がする。怖いよー。

 第一、妹に対女性論を諭されるとか結構な屈辱だこれ。わかりやすいのは有り難いけどさ。その分、身に堪えるんだよ。兄ちゃん泣きそうだ。

 でも、まあ、世のイケメン――特に精神的にイケメンな人々は確かに、相手を選んだりしなさそうだなあ。悔しいのう……。


「ま、現実的には奪いやすい相手――、奪いどころを決めて、確実に奪う! ――ってのも当然、有効だけどね」

「奪えそうにない相手が攻め入ってきたら?」

「そこはもう、駄目元でも行くしかないよ」

「なるほど。据え膳食わぬは男の恥、とも言うしな」

「……お兄ちゃん、中学生の妹に結構とんでもないこと言ってるけど、それ意味わかってる?」

「やるときはやれ、ってことだろ」

「…………ひょっとしてイギリス行って、日本語苦手になった?」

「イギリスでは日本語上手いって褒められたよ」

「うわぁー。本気で言ってるなら引くわー」


 妹が軽く頬を引き攣らせたのを見て、さすがに俺も「冗談に決まってるだろ」と弁解するように言った。

 そして「結局、全員を相手にするのは難しいんだろ」と話を元に戻す。

 すると心乃美は極めて真剣な顔で、こう言った。


「それでも周りを見て全体をケアしないと、だよ! 敵はそういうところもしっかり見てるんだからね! 自分にだけ妙に優しくされたってキモいだけで、女の子はそう簡単に落ちないのだよっ!」


 ドーン。

 んー、なんだろうか、この『対女性論』を『センターバック視線』で語られるしっくり感。

 勉強になります。でも実践は難しいかもね。すでにサッカーボールの脳は諦め気味だ。ボール蹴りたいよ。リフティングしたいよ。足でボールトントンするの楽しいんだよ。


「お兄ちゃん、現実を見て。目が死んでる」

「言い過ぎだ」


 現実を見る必要があるのは理解できるけどさ。


「奪いどころ……ねえ」


 とりあえず、神妙な風に呟いてみた。

 指導者として距離を縮めたほうが良いのは確かなんだろう。

 でも一朝一夕でそれができるほど器用なつもりはない。

 かと言って互いに信頼がなければ、コーチと選手の関係は構築できそうにないし。


「あっ、そういや双子がいるな。あいつらは名前で呼ばないとややこしいか。……うん、これなら口実だし、自然だ!」

「いや、間違ってはないけどさ……」


 何故か心乃美は難しい顔をする。呆れていると言うよりも、まるで困っているような――。


「お兄ちゃん、ひょっとして何も聞いてないの?」

「なんの話だよ」

「その…………、あー、ところでお兄ちゃん。お父さんはどうしたのかな?」


 急に話題を変えられる。なんなんだ一体。

 心乃美は突拍子もないことを言い出す奴だし話題もよく飛ぶけれど、今のはどちらかといえば気を遣ったように見えたぞ。


「親父なら緊急(・・)の飲み会。コーチ全員参加だとさ。俺とソフィは含まれてないけど」

「……逃げたね」

「逃げられた」


 親父――っていうかコーチのおっさん共、全員。初日から俺とソフィを放り出しやがった。いや、初日だからこそ、か? 子供を千尋(せんじん)の谷に落とすライオンかあんたらは。


「まー、お父さんだって女子中学生だけのチームを見たことは無いだろうしねえ。私は女子チームができて嬉しいんだけどさ。お母さんだって、女の子のチームがあったほうが良いって言ってたし。……あ、じゃあソフィさんは?」

「普通に帰ったぞ。そういやあいつ、どこに住んでるんだろ」

「折角コーチ同士なんだから、一緒にファミレスとか寄れば良かったのに」

「オーナーの娘をファミレスなんかに誘えるかよ。……っていうか、そういう問題でもなく、彼女でもない女の子を誘うわけにいくか」

「固いなあ」


 いやいや、お前さっき名前で呼ぶのも馴れ馴れしいとか言ってただろ。

 それが今度は固いとか、何がどう違うんだよ。説明を求めたい!


「そんなムスぅ――って顔しても、だーめ。こーちゃん教えないよ? 少しは自分で考えなさい!」


 ……困った顔をしておけば、またアドバイスを頂けると思ったのに。

 いつの間にか全力で妹を頼ってるなあ、俺……。

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