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第6版  作者: 八雲 辰毘古
旅立ち篇
8/22

七.見つめるまなこ

 冷たい風が、優しく(ほお)を撫でた。アデリナが先に目を覚ますと、いつの間にかふたりは気を失っていたことを知った。

 あわてて身を起こす。どうやらだいぶ長い時間、倒れていたらしい。頬に砂と跡がこびり付いている。


 見上げると、太陽がすでに傾いていた。いまのうちにここを出発しないと、また日没すれすれに戻ることになるだろう。


「おい、ルゥ」


 隣りで倒れているルートの肩を叩く。


「ルート、起きろ!」

「むにゃ」


 呼ばれて、少年も目覚める。


「しっかりしろよ。もう昼過ぎだぞ。いくら寝不足だ、て言ってもさ」

「んー、ここはどこだっけ?」

「バッカ。母さんの墓の前だ」


 見ると、ふたりの前で石のほこらが立っていた。しかし以前の凶々(まがまが)しさが失くなっており、抜け(がら)のようにも見えた。

 あたりを見回すと、雲海山脈からもよそよそしい空気が漂っている。まるでふたりが別人になった戸惑いのようなものも、感じられた。


(でも、アタシたちは記憶を取り戻したんだよな……)


 少しずつ、思い出してみる。


 ここまできた道のり──双子の父がいなくなったあの日から、父の思い出を探し回り、家のなかをひっくり返したり、書物を開いたりしてたどり着いた場所。

 そこは、しかし終点ではなかった。むしろこれから始まる途方もない物語の出発点に過ぎないと気づいて、ふたりはことばを失ったまま、立ち尽くしていた。


「……さっき、突風があった気がするけど、あれは夢だったのかな?」


 ルートが口を開いた。


「いや、夢じゃない」

「だとすると、ボクらが気絶する前にリナが話してたことは、ウソじゃないんだよね? やっぱりお父さんはこれを察知して、ボクらをここまで連れてきたってことになるの?」

「そこまでは……わからない」


 くしゃくしゃと頭を掻いた。


「でも、なんかそういう風に感じたんだ」

「うわ……胡散臭」

「うるせ」


 姉の態度に、ルートは眉をしかめる。彼はふと周りを見て、黒い書物と、銀製の五芒星とを拾ってから、あることに気がついた。


「あれ、耳飾りがない」

「え?」

「耳飾り。珊瑚でできた、赤いやつだよ。たぶんお母さんのものだと思うんだけど」

「憶えてねーよ、そんなもん」

「いやいや、あったって──」


 と、言い掛けて、


「──そういえば、やけに静かすぎない?」

「それ、アタシも思ってた」


 けげんな顔で、あたりを見回す。


 雲海山脈が鋭く屹立(きつりつ)する背景を見据えつつも、ブナの林から何まで、不気味なほどの静けさをたたえている。

 風のそよぎすらも感じられない。さながら時が止まったまま、動くのを忘れてしまったかのようだった。


「いったん村に戻ろう」とルート。


 アデリナはうなずいた。

 と、そのとき、彼女のうなじに痺れるような緊張が走った。


「誰だッ!」


 素早く振り返る。しかし応答はない。

 とっさに身を乗り出して、気配のあるほうへと駆け出す。すると音もなく、気配が逃げようとするのがわかった。


(アタシたち、見られてたんだ!)


 怒りが炎のように燃え上がり、追いつこうと必死になる。

 だが四、五歩程度走ったところで、相手のほうが素早いとわかってしまった。さながら最初から何もなかったかのように、気配が掻き消えていたのだ。


「どうしたの、リナ」

「誰か、アタシたちを観ていた」

「えっ」

「なんだろう、すごくムカついた」


 ルートがふと考え込む。


「……本のなかに、『星室庁の男』ってことばがあったけど、もしかして、お父さんとお母さんの邪魔をした本人がまだ村にいるとしたら、そのひとはボクたちの動きを探るんじゃないのかな」

「まさか! どうして!」

「現にボクらはいなくなったお父さんの行方を(さが)してるじゃないか。だとしたら、ボクらの向かう先にお父さんがいるはずだ、と考えるのは自然でしょう?」

「う、たしかに」

「全く、リナってさあ」


 と、片眉をあげながら、


「でもなおさらわからないな。いろんなことが複雑に絡まってて、まるで茨の茂みのなかにいるみたいだよ」

「とにかく、村に戻ろう。もうじき日も暮れるしさ」

「うん、そうだね」


 双子の顔は、すでに大人びていた。



      †



「でもさ、これからどうするの?」


 来た道を戻りながら、ルートは尋ねる。


「さあな。でも、このままぼけーっと村に居続けるわけにもいかないと思う」

「そっか……ボクたち、旅に出るんだね」

「まあそのうち父さんでも探すさ。そして見つけたらブン殴ってやる」


 と、実際に殴るそぶりをしてみせる。


「えー、いくら口より先に手が出るって言っても、それはダメでしょ」

「なんだよ、じゃあルゥはアタシたちをほっぽらかして出て行った父さんを許すのか?」

「『赦しを与えよ、なんじの赦しは得られん』って、『神聖叙事詩』のなかにも書いてあるでしょ」

「あーあー、出たよ。ルート導師の聖典主義だ」

「からかわないでよ!」


 ははは、とアデリナは大きく口を開けて笑った。なんだかこうして笑うのが久しぶりな気がした。

 傍らではルートがふくれっ面をする。しかしいつまでもそうしているわけにもいかず、つられて笑ってしまった。


 ひとしきり笑ったあと、ふたりはいつもの山道を降りてゆく。

 タケダカソウの原っぱを過ぎれば、高台から中央広場ごとメリッサ村を見下ろすことかできるだろう。そこにはいつもの赤い屋根と麦畑とが一望できるはずだった。


 ところが──


(何か、ヘンだ)


 ルートは目を細めた。この位置からでは、村の様子は正確にはわからない。

 しかし、いつもならあるはずの村の賑わいが感じられなかった。動いている人影もなさそうに見える。


 走って、高台までたどり着く。

 そして目を見開いた。


「あれは……!」


 ふたりは、メリッサ村の麦畑に、大きな五芒星の印が刻まれているのを見た。

 痩せた土地でも伸びるヤセムギが、薙ぎ倒されている。まるで一騎当千の戦士の前に倒れる、脆弱な軍勢のようだった。無残ともいえる景色が、ただただ広がっている。


「村が危ない」

「急ごう」


 双子は駆け足で坂道をくだった。


 川沿いに並ぶ塚を通り過ぎ、村を囲っている木の(さく)へと走る。

 そこには本来いるはずの門番がおらず、カシの門扉も開きっぱなしだ。


 不審な足跡はない。血痕もない。

 けれども、誰も気配も感じられなかった。


「おい、誰かいないのか!」


 アデリナが柵のなかに飛び込み、叫んだ。その声は、〈祈りの碑〉のある中央広場から、そこここの母屋の壁にぶつかっては跳ね返った。

 こだまがひたすら繰り返される。

 しかし応答する声はない。アデリナは、そのまま知っている村人の名前をひとつひとつ挙げて呼ばわる。しかし、たとえティークの名前を怒鳴ったところで、本人が出てくるなんてことは全くなかった。


「リナ……」


 その背中を、ルートは痛ましそうに見つめる。彼は彼なりに村の異変を調べ始めていたのだが、結果は言わずともわかっていた。

 どうして、ということばすら出てこない。

 村の家という家から、ひとだけが消えていることが、やがてふたりにはわかったのだ。


 それでもアデリナは、理解を拒むように、頭のなかの現実をはねのけるように、大きな声で叫んでいたのだった。


 やがて、それすらも諦めかけたころだった。

 アデリナは、息を吸うのを止めて、耳を澄ませた。すると、声にならない声があることにだんだんと気がつくようになった。


 ルートのほうを見る。彼と目が合った。


「ルゥ、ひとがいる」

「えっ?」

「あっちだ」


 アデリナが指差すほうを、ルートも見る。そこは村のはずれにある、うらさびれた母屋だった。壁にはリュウゼンモウの毒々しい茨が生い茂り、庭先にはタナウラカエデの樹が黄昏(たそがれ)の色に染まっている。


「ユリアお婆ちゃんの家だ」とルート。


 そのひとりごとを無視するかのように、アデリナは扉を力付くで開いた。

 ばん、と大きな音がすると、あたりは急にしんとする。勢いよく開いた扉が戻るときの、蝶つがいが軋む音を聞きながら、ふたりはおそるおそるなかに入った。


 生活感がない部屋だった。かまどの周囲には土ぼこりが溜まっている。長い間火が()かれていないようだった。

 おまけに冷たい空気が立ち込めている。ふたりは思わず吸い込んで、ぎょっとした。しかしそれ以上吸うまえに、鼻をつまみたくなるような臭いがやってきた。


「……! だれか、いるのかい……」


 声がする。ふたりは鼻をつまみながら、顔を見合わせた。

 すかさず駆け寄ると、村のユリア婆さんが弱々しくベッドに横たわっていた。


「ユリアさん、生きててよかった」


 アデリナは心の底からそう言ったのだが、鼻をつまんだままだった。

 老婆のほうは、しかし、双子が元気に目の前に現れたことを知るや否や、感動で(むせ)び泣きながら話しかけた。


「ああ、リナかい、ルゥも一緒かい、良かった、良かった……!」


 ふたりは老婆の両手を手に取って、うなずいた。もはや臭いなど気にしている場合ではなかった。


「お婆ちゃん、落ち着いてからで良いんだけど、教えて。この村でいったい、何が起きたの?」


 ルートが静かに話しかける。ユリアはあふれた涙をゆっくりと指でぬぐって、言った。


「ああ、そうだ、たしかに大事な話だ。けどすまんが、先に外に出してくれんか?」

「え、でも病気は大丈夫なの?」

「バカ言わないでくれ。ここにいたら臭すぎて、それこそからだが悪くなっちまうよ」


 そこでふたりは協力して、老婆を家の外に連れ出した。

 外出用のオークの杖を持たせ、庭先まで進むと、ユリアは切り株に腰掛けた。タナウラカエデの木陰からちらちらと夕暮れの光が差し込む。その面持ちは、光を受けて少しずつ往年の輝きを取り戻しているようにも、感じられた。


「それで、何があったの、お婆ちゃん。これはお父さんがいなくなったことと、何か関係があるのかな……?」


 ルートが思わず口を開いた。

 ユリアはゆっくりと首を振ってから、ため息を吐いた。


「そこまで知ってるなら、わたしもあんまり説明しなくて良いかもしれないね──」


 顔を上げる。その表情は、先ほどまでの優しくて儚い老婆とは別物だった。


「──単刀直入に言おうか。〈魔宴(サバト)〉が始まったんだよ。言うなれば、世界の終わりの先駆けのようなものさ。ついに〝その時〟が来てしまったんだよ」

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[一言] 悠長なことは言ってられない……運命は動き出した(≧◇≦)
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