表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第6版  作者: 八雲 辰毘古
旅立ち篇
7/22

六.運命の記述

 獣皮紙の奥にかすんだ文字を追いかけるのは、まるで(にご)った激流に身を浸すような大変さだった。

 書き記された、整備された道としての文章を離れると、途端に本は牙を()く。


 ルゥは、先ほど見かけた不穏なことばを手がかりに、短刀で削り切れてない隠された文章を掘り起こしていく。

 その傍らで、リナは、ページの各所に散りばめられた図像から、ささやき声を聴き取ろうとしていた。


(……父さん。父さんは、この手写本に何を書こうとしていたんだ?)


 書物は決して答えない。


 代わりに文字が、図像が、双子の記憶に呼びかける。

 文章のとおりに、挿し絵のままに、目で見て読むことを強要している。


 けれども、ふたりは自分たちの手で答えを探り出そうとした。


「リナ、やっぱりおかしい。お父さんは意図的に大切な記述を、削り落としている」

「じゃあ、それが本当のことかもしれない」


 リナは、周囲の絵柄が示す、お行儀の良い意味に、そろそろ飽きてきたころだった。


「ここに書いてあることは、みんなきれいごとだらけだ。ウソじゃないのはわかる。でも大事なことが書かれてない気がする」


 ふたりが小さいころから聞かされた、妖精や怪物の出てくる物語たち……


 そのなかでは、犬は賢く忠実で、ウサギは臆病な予言者だった。

 鳥は自由な魂を連想させ、鹿は優雅な森の貴婦人として、狩りの目当てになっていた。


 みんな憶えている。だからいつのまにかそうした意味が絡みついて離れない。


 なにより茨は不気味さと気持ち悪さを表現し、ひとを捉えて離さない、鎖のような役割をも果たしていた。

 それゆえか、茨の枠組みじたいが、さながら読者をひとつの記憶のなかに閉じ込める、檻のように見えたのだった。


「わかった! リナ、これを見て!」


 と、指差しながら、


「この文章の裏側に影になっているところ、削った跡に上書きしてるけど、全くちがう文章になっている」

「ん、あ、ほんとだ」

「ちょっと読みにくいけど……『ワタシ達ハ、コノ世界ノ秘密ヲ知ッテイル。ダカラドウシテ魔女ガ狩ラレル運命ナノカ、嫌デモ知ラザルヲ得ナカッタ。

 母親ガ魔女デアル、ワタシ達ノ子供ニモ、魔女ノ(ちから)ハ引キ継ガレテイル。ダカラ恐ロシカッタ。魔女ノ能力ガ開花スルノハ時間ノ問題ダッタ。ソノタメ、コノママデハ世界ガ子供達ヲ殺シテシマウダロウ』」


 双子は息を呑んだ。

 互いに顔を見合う。しかし、リナが早く先を読めとうながした。


「……『コノ逃レラレナイ運命ヲ、イヨイヨ避ケラレナイトワカッタトキ、ワタシ達ハ計画ヲ考エタ。トコロガ〝星室庁(せいしつちょう)ノ男〟ガ、ソノ邪魔ヲシタノダ。計画ハ直チニ変更サレ、ワタシハ、子供達ニ嘘ヲ吐カネバナラナカッタ』……」


 そのときリナの脳裏に、再び火打ち石を強く当てたときのような閃きが、ほとばしる。

 イメージの火花は、ルゥの唱えたことばに燃え移り、次第に大きな炎になって、記憶の映像を作り出そうとしていた。


(あれは、作業場で仕事をしている父さんに、いきなり話しかけて聞いたんだっけ)


 そのときラストフは、金づちを振るって、農具の手入れをしていた。

 リナはまだ幼い少女だった。短髪で、少年めいた見かけをしている。


「母さんがいないってほんとなのか?」


 小さなリナは問い掛ける。

 ラストフは眉ひとつ動かさなかった。


「どうして、そんなことを聞く」

「ティークが、アタシたちに教えてくれた。ふつう、家族ってのは父親と母親がいるんだって。それで、アタシたちの母さんは、とうの昔にいなくなったって。でも、わかんないんだ。そんな気がしないから」


 ラストフは作業の手を止めて、道具一式を片付けた。

 それからリナの近くに歩み寄り、ひざを折った。目線を同じにする。


「すまない」


 と、首を振ってから、


「母さんは流行り病で死んでしまったんだ。もういないんだよ」

「いつ?」

「リナとルゥが、うんと小さいときの話だ」

「どうしてアタシたちに教えてくれなかったの?」

「リナもルゥも、とても寂しそうにしていたからだよ。そして、父さんにとっても、とても悲しいことだったからだよ」


 そう言った父親の顔は、心の底から悲しそうだった。

 だから、リナもそれ以上問うことをしなかった。


(あのとき、父さんはウソ吐いてたんだ)


 リナは、しかし却って不思議に感じた。


(でもあの喋り方が、ウソのようには思えないんだけどな……)


 かつん、かつん、とまた火打ち石の音がする。

 それが次第に、金属音にすり替わっていた。

 父親の持っていた金づちの音。振り下ろすたびに打ち付けられる、鉄製の道具たち。


 まだ何かが足りていない。リナの想いは、かまどのなかでふいごを待ちわびている、小さな炎のようにくすぶっていた。

 そのなかで、しこりのように、気持ちの塊が残っている。


 いっぽうルゥは、ようやく手に取った記憶の書物を紐解いておきながら、表紙に期待したものが得られない不満を感じていた。


(この本は、まだ未完成なのかもしれない)


 失くした記憶を、獣皮紙のページとして一枚一枚、()じてゆけば、ひとつの書物となると思い込んでいた。

 けれども、完成したと思っても、なお謎だけが残った。肝心のことばが見つからないまま、文章だけが先を歩いている。


(お父さんとお母さんはなにを見て、知ったのだろう。書いて残さなかったとしたら、それがどうしてなのかが、知りたい)


 ルゥの頭のなかで、(ろう)引きの書字板が思い浮かんだ。

 それは、思い付きを書き残すために、ルゥが村の寺院でよく使っている道具だった。


 いま、ここで読んだことばを、茨の形状をした文字をつぶさに観察する。

 そして、それらを丁寧に、書字板のなかに書き写していった。


(忘れない。ボクたちがどこから生まれて、どこへ向かうべきなのか。魔女のこと、世界のこと……)


 わからないことだらけだった。だからこそ、今度同じものを見つけたら、見逃さないようにしなければいけないと思ったのだ。


 そう、なによりも──


「〈星室庁〉……これって、教導会が異端審問のために作った組織じゃないか」

「そこのヤツが、父さんと母さんに何かしたってことなのか?」

「そうだと思う。何があったのかは、わからないけど……」


 と、言い掛けて、


「いや、でも母さんが魔女結社のひとだっていうから、もしかして──」

「でも生きてるって」

「──じゃあ、『二度と逢えないほど遠い場所』って何? ボクはそれが冥府(よみ)(たと)えでなきゃ、なんなのかわかんないよ」


 リナは口をつぐんだ。


(父さんのことばは、結局どちらを信じれば良いんだ……?)


 リナとしては、あのとき父からにじみ出ていた悲しみのほうを信じたかった。

 それは希望があるのに信じ続けるのが難しい、という、れっきとした悲しみだった。


 けれども、ルゥはその悲しみを知らない。


 ルゥが記憶していたのは、ラストフがどんな見た目で、不器用で、父親としてどうだったか、ということぐらいだ。


「とにかく、お父さんの身が危ない。どこか遠くにいるっていうけど、どうすれば見つけられるか、考えなくちゃ」


 と、そのときだった。

 りいん、と鈴の鳴るような音がした。


 リナはとっさに振り向くものの、そこには何もない。ただ時が止まったかのように、ありのままの自然の景色が広がっている。

 しかし、鈴の音は止む気配がない。りいん、りいん、りぃーんと繰り返し、次第に間延びした音を奏でている。


「ルゥ、何かヘンだ」

「え?」


 きょとんとする弟を見て、リナは眉をしかめた。


「さっきから、変な音がする。鈴の鳴るような──」

「そんな音、聞こえるの?」


 ぞわり、と背筋が凍る。

 鈴の音は止まらない。すでに〈時の鐘〉が鳴り響いてるかのように、深遠な振動を身体に刻み込んでいる。


 全身が痺れるような違和感に(さいな)まれながらも、リナはこめかみに意識を集中する。

 そして、不協和音にも似た感触のなか、彼女の直感は、ひとつの脱出口を見いだした。


「ルゥ! それ!」

「え、このメダリオン?」

「そう、それ!」

「そんな大声で言わなくてもわかるって!」


 銀製の五芒星を、素早く手に取る。とたんに全身が聴き取っていた異常な音が、ゆっくりと、潮が引くように遠のいてゆく。

 静かさが、リナの心の器に満たされていった。


「……リナ?」

「まずいぞ、何か来てる」


 ルゥが首をかしげたそのときだった。


 ブナ林のほうから、いっせいに鳥の群れが飛び立った。

 空を半分覆うほどの、黒い群れ。

 悲鳴を上げるかのような鳥の声が、名残惜しく虚空に響く。


 ルゥも、唖然とした。


「なんなの?」

「わからない。けど、間違いなくやばいことが起ころうとしてる。父さんは、きっとこれに気がついていたんだ」


 言ってから、自分がなぜそこまで思い至ったのか、リナにはわからなかった。


(何か、悪い予感がする)


 と、思ったとき、さらに事態が動いた。


 突風が、ごうを吹いた。それはふたりの手から本を引き剥がそうと、強く強く、全身に叩きつけるがごとき勢いで(おそ)いかかった。

 ふたりは、思わず目をつぶる。

 しかし、それは不思議な風だった。顔に叩きつけるほどの強烈な息吹であったにもかかわらず、意識を泥沼の底に沈めるような気だるさがまとわりついていた。


 薄れゆく意識のなかで、しかしリナはどこかで聞いたことばを、唐突に思い出した。


(けれども、どうかこれだけは忘れないでほしい。《鍵》はあなたのなかにある……)


 リナはとっさに手を伸ばした。その指先は光に包まれ、懐かしい温かさを実感する。

 つかんだ光があふれ出す。そして、リナだけではなく、ルゥも一緒に包み込んだ。


 〈記憶の花〉の匂いが、そこはかとなく鼻の奥をくすぐっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ