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第6版  作者: 八雲 辰毘古
旅立ち篇
6/22

五.失われた日々を求めて

 まず最初に覚えたのは、読める、という違和感だった。

 昨夜はあれほど読者を拒んだとしか思えない茨の扉絵が、やけに懐かしく、優しく受け容れてくれるようにさえ感じられたのだ。


 さながら隣家の垣根をくぐるような悪戯心で、本のページをめくる。


 そこには頭文字の窓枠が異世界への入り口を示しながら、無数の文字を引き連れる。

 ふたりの意識はその窓をいったん通り過ぎて、文字列が指し示す長い道のりを歩き出していた。


 文字は、組み合わさり、道を示す。


 階段を駆け下りるように、ふたりは一気に読み進める。

 すると、ルゥはいつしか、同じかたちの単語が、何度か文中に現れることに気付いた。


「リナ、この単語、何度も出て来てる」

「だからどうした?」

「この単語の意味がわかれば、ボクたちの知ってる王国文字との読み替えができるかもしれない」

「へー、じゃあやっといてよ」

「そんなムチャな」


 言いながら、ページは進んでゆく。


 ときおり欄外から不思議な動植物が顔をのぞかせた。

 犬とウサギの混ざり合った絵柄。

 茨が渦巻く枠組みと罫線。

 その間を飛び交う鳥や鹿たち。

 色とりどりの図像が、さながら森のなかで暮らしているかのように、豊かな世界を作り上げている。


 ルゥが必死に文字のかたちを追いかけているあいだ、リナは図像を眺めていた。

 そのうち、いまのいままで見えてなかったものが、心の内側からささやきかけるように感じられた。


(犬のように賢くあれ。ウサギのように危険を察知せよ。

 茨のようにものごとを捉えよ。決して手放してはならない。

 鳥のように自由な魂を抱き、鹿のように優雅に進め)


 絵柄はひとつひとつ、隠された意味を口ずさんだ。

 それは、ことばの森から生み出された、寓意(ぐうい)の果実にほかならなかった。


「リナ、わかった」


 ルゥが声を掛けた。


「何が?」

「さっきのことばの意味。ほかにもいくつもわかったんだ。あれ、ボクたちの名前だよ」

「名前? なんて?」

「リナはアデリナ、ボクはルートって言うんだよ。さっきの文章は、ボクたちが産まれてくるときの、父さんのことばだったんだ」


 リナは改めて、文字が生み出す空間を見つめた。

 すると、さながら星と星とを線で結び、星座だと察知するように、文章を読めることに気が付いた。


「拝啓。子供たち。

 忘れているかもしれないが、私の名はラストフという。君たち、アデリナとルート、ふたりの父親だ。君たちはよく、自分たちのことをリナ、ルゥと縮めた愛称で呼んでいたね。ほんとうは母さんがつけた愛称だったけど、まあそれはあとにしておこう。

 もし誰かに『ラストフがいない』と言われたら、私は急用で遠くに行ってしまったんだと告げておいてくれ。私は急がなければならなかったから、君たちにほんとうのことを伝えるまえにここを出た。

 そのことは申し訳ないと思っている。できれば君たちが十五の(とし)になるまで黙っていようと考えていたのだが、なにぶん時間がなかった。だから、私はあえてここに書ける限りのことを書き残していこう」


 ページをめくる。


「さて、回りくどかったかもしれないが、これを読んでいるなら、母さんが魔女結社の一員だってことはもうわかってると思う。だから、とりあえず母さんについてきちんと書いておこう。

 君たちの母さんの名前は、エスタルーレ。エスタ、と私は呼んでいた。

 これが過去形なのは、すでに亡き人であったからではない。もう逢えないからだ。ちょっとわかりにくいかと思うが、ほんとうのことだからよくよく読んで考えてくれ。

 母さんは、()()()()()。ただ逢えないのだ。もう二度と逢えないほど、遠くに行ってしまったからなのだ。だからもう亡くなったものとして、形見の品を、子供たちに思い出を伝えるために〝墓〟と名付けたほこらのなかに仕舞っておいた。それは、これから起こる世界の運命と、お前たちの安全を考えてのことだった……」


 ページはここで途切れていた。ちょうど白紙が間に挟まり、次から違う話題が始まっていた。


「おい、ここから先はないのかよ」

「ないみたい」

「これって、だめじゃん」

「そんなこと言われてもさ」


 ルゥはしぶしぶ、ページを進める。


 ことばの森を歩くふたりは、文字と文字の隙間にうごめく影を見る。

 それは獣皮紙を削った跡だった。間違って書いてしまった文章を、紙の再利用のために短刀で削って、()()()()()()にするのである。


 ルゥはその影に、父ラストフが勢いよく書いた後悔の名残を見ようとした。

 しかし、彼は慎重な人間だったのだろう。どうあがいても単なる誤記以上のものが見つからない。


(そもそも誤記だから削ってるわけだし、当然といえば当然か)


 やがて、ふたりはある章の頭文字が作り出す窓枠に戻ってきた。


「そういえば、この辺はちゃんと読んでないんじゃないか?」

「たしかに。いまなら読めるかもしれない」


 ふたりは窓のかたちをした頭文字から、文章の内容をすっかり読み込んでいった。


 文章から察するに、お産の場面らしい。


 黒い長い髪をした母エスタルーレが、お産椅子にぐったりと腰掛けているところから、それは始まる。

 傍らには産婆がいた。腰が曲がっているものの、彼女は元気そうな立ち姿で小さな子供をふたり分、布で包んで抱えている。


「この『ユリアさん』って名前、離れのユリアさんのことじゃないか?」

「そうかも」

「へえ、アタシたち、ユリアさんに面倒看てもらってたんだ」


 どうやらこれは、父ラストフから見た子供たちの記録でもあったらしい。


 その後のページをよく読むと、双子のやんちゃと闘病などと、いろんな育児の思い出がつづられている。

 騎士に憧れた幼いリナは、木剣を持ち、父と模擬戦をしたり、棒馬にまたがって、ティークやほかの村の子供と遊んだりしている。


 いっぽう生まれついてからだの弱かったルゥは、最初のうちは母エスタルーレと一緒に部屋にこもっていた。

 母の口は物語の種に事欠かない。狡猾(こうかつ)なオオカミとキツネの化かし合いから、遠い国の救世主伝説まで、さまざまな話を朗らかに語り聞かせていた。


 ときおり、母の物語には、リナもひざを合わせて参加した。


 リナが好きだったのは、騎士道物語で、特に遠国(おんごく)に旅立ち、怪物と戦う冒険譚を好んでいた。

 しかしルゥは、妖精と人間のあいだの悲しい恋物語をよくねだったものだった。


「お互い、好きなものが偏ってたよな」

「そうだねえ」


 周りはときおりバカにしたが、ふたりはそれで納得していた。

 よくケンカはしたものの、仲は悪くなかった。ルゥもからだが次第に安定してくると、村の寺院でお勤めを果たすようになり、村での評判も良くなっていったのだ。


 そんな彼らの日常が変化したのは、魔女狩りの話題が村でも盛んになった頃だった。


 しかし、魔女狩り以前から、魔女結社の話はすでに口にされていたらしい。

 彼女たちが聖女王国に暗躍し始めたのは、実に三十年近く前、伝説的な魔物の出現と時期を同じくすると言われている。


 それが、十四年前、双子の生まれるほんのちょっと前から激化していったらしい。


「魔女結社の歴史ってけっこう古いんだな。アタシはもっと最近のことかと思ってた」

「そうだね。だとすると、お母さんがいた頃の結社といまの結社は、ひょっとすると別物なのかもしれない」

「母さんが悪人じゃないって思いたいのか」

「そりゃ、そうでしょ」

「まあ、そうだけどな」


 果たして、ルゥの思った通り、母エスタルーレは変わりゆく世を憂いていた。

 魔女結社の考えを批判し、聖女王国、ひいては〈叙事詩圏〉世界の行く末すらも案じていた。少なくとも、書物のなかではそう書かれていた。


 特に、彼女が問題視したのは、リナの言ったことばだった。

 ──アタシね、騎士になって〝悪い魔女〟をこの手でやっつけてやるんだ、と。


 父が将来の夢を尋ねたとき、リナは嬉々としてこう言ったらしい。


「え、アタシそんなこと言ったんだ」

「リナ……」

「知らなかったんだよ」

「でも、お母さんは知ってたんだ。だから、すごく心配したんだと思う」

「ぐうの音も出ない」


 うなだれるリナだった。


 ところが、ルゥはその文面の肝心な部分に、短刀で削り切れていない、異様なことばを見いだしたのだった。


「だから、()()()()()()()……?」


 ふたりの意識は、さらに隠された文章のほうへと注目していった。

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