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第6版  作者: 八雲 辰毘古
旅立ち篇
5/22

四.彼我のあわいの季節に

 明くる昼日中(ひるひなか)、双子は連れ立って山道を歩いていた。

 メリッサ村の背景にそびえるこの雲海山脈は、〈叙事詩圏〉世界でも随一の高さと大きさとを、(ほこ)っている。

 ゆえに、竜の(あぎと)もかくやと思われるほどの険しい峰が、視界の端にずらりと並んだ。


 まだ標高の低いこの道すがら、ふたりはブナの林に沿って、ヘビカズラの茂みを避けようと努力する。

 先陣を切るリナは、ふと足を止めた。

 ひたいの汗を拭う。振り向くと、寝不足気味のルゥが、うつら、うつらと夢見心地にリナに追いつこうとしていた。


「疲れてるんだったら、明日にしようか?」

「いや、いいよ。それよりも、ボクは早くお父さんが何を残したかのほうが気になって仕方ないんだ」


 リナは黙って、双子の弟を見る。その目に映るのは、何かにひどく執着している美少年のすがただった。


(あの写本を読んでから、やっぱりルゥがヘンになってる気がする)


 あれから何があったのかはわからない。しかし、朝起きたときには、すでにルゥは目を覚まし、窓際に立っていた。

 しかも、その目元にはくまが深く刻まれ、木窓から差し込む光を凝視していた。まるで朝が来るのをいまかいまかと待っていたようで、尋常ではない気配を感じたのだ。


 その後、ルゥは素直に眠れていないことを告白した。

 だからリナの起床後、彼は睡眠を取り、それなりに日が昇ってから出発したのだ。


(けど、もう何かヘンなことが起きているのは間違いない。ガーランドさんも、導師さまもどこかに行ったきりだったし。ティークも本気にしてくれなかった)


 結局、誰もラストフという名の男を(おぼ)えていなかった。

 ティークも、それらしいことを口にはしたものの、双子の父がどんな見た目でどんな名前だったのかを理解していなかったのだ。


「悪いな。たしかに、親父さんによろしくとは言ったけど、それがラストフって名前かどうかはわかんねえな」


 墓参りに村を発つ直前、〈祈りの(いしぶみ)〉に手を合わせたついでに、ティークに昨日のことばを尋ねてみた。

 しかし、結果は無残なものだった。リナはがっくりと肩を落とす。


「そんな無責任な……」

「でもさ、お前んとこの親父さん、鍛冶屋だろ? おれたちのところの武器の手入れもよくしてくれたのは、憶えてたんだ。でも、それだけだなあ」


 まるで、物を投げたら地面に落ちる、と言わんばかりの調子で、なんとなくそう思っただけだったらしい。


 しかし、リナは却って不思議に思った。


(みんな、父さんを村の鍛冶屋だ、道具を直してくれるひとだって言っていた。ほんとにそんなひとだったっけ?)


 むろん、そうではないだろう。

 だからこそ不可解だった。周りのひとから見たラストフの人物像と、自分が実体験でなんとなく憶えている父親の像が、これほどにまでずれていることが、わからない。


(わからないけど、この先に答えがあることを祈ろう)


 リナは自分に言い聞かせるように、ルゥに話した。


「もう少し進んだら、母さんの墓のあるところに出る。それまでもうちょっと頑張れ」

「わかったよ」


 語尾が少し下がったのを、リナは聞き逃さなかった。

 しかし、何か言うのも野暮だと思った。どうせ疲れているんだと考え、いったん無視しておくことにした。


 やがて、ヘビカズラの茂みを蹴飛ばしながら、ふたりは雲海山脈のへりにぽっかりと空いた場所を見いだした。

 そこは、周囲を赤茶けた岩場に取り囲まれた窪地だった。中央に小さな石のほこらが建っていたが、ひと気もないまま、古寂(ふるさび)れてさえいたのだった。


「毎度思うけど、こんなのがお墓だって言われて納得するひとっているのかねえ」

「リナ、さすがに不謹慎(ふきんしん)だよ」

「とは言ってもねえ、現実味がないのはホントのことだから」


 実際、リナにはまだ母親が死んだという事実が、妙に信じられない。

 何度も言い聞かされてきた記憶だけはあるものの、どうしても実感が湧かないのだ。


「けれども、ボクらは毎年必ずここに来て、お祈りをしてきたじゃないか」

「毎年? そうなのか?」


 リナはルゥのほうを見る。あまりに唐突だったので、ルゥは戸惑った。


「ええと、そうだよ。ボクが憶えてるのは、毎年この時期に、ボクとリナと、あともうひとり──たぶんそのひとがお父さんだと思うんだけど──その三人でここにお祈りをささげていた、てことなんだ」

「そういや、父さんの見た目、わかるか?」

「リナと似てる。金髪で、ちょっと癖毛」

「それは聞きたくなかったかも」


 自分の気にしてるところが、父親ゆずりだと知らされるのはあまり嬉しくない。


「まあ、そうなんだな。父さんと一緒にここまで来てたんだな」

「だね。でも、リナは憶えてないの?」

「いいや。アタシが思い出せるのは、父さんのことばとか、背中とか、そんなんばっか」

「どうもお互い、大切なものの端と端を持ってるって感じだね」

「うん。まるで剣と(さや)みたいだな」


 ここで、ルゥがカゴから〈記憶の花〉を取り出す。


「そうかな? ボクには書物のページと、その装丁のように思えるな。まとまりのない紙の束みたいな思い出と、表面だけの思い出。どっちにせよ、ボクらはほんとうに大切なことを見落としたままだ」


 リナは応えなかった。

 その後ふたりは黙々と献花を終えた。


 白いワスレジバナの束が、ほこらの前に飾られる。

 赤茶けた岩場にぽつんと立つ、灰色のほこら。その中央に〈記憶の花〉の白がくっきりと境界を引くようだった。


 その手前で、ふたりは祈りをささげる。


「……昨日、怖い夢を見たんだ」


 リナは、おもむろにルゥのほうを見た。


「暗い吹雪のなかを歩く夢だった。ボクらふたりで、どことも知れない雪原を進んで……どこに行くのかもわからない。ただ、ずーっと黙ったまま、先に進もうとするんだ」

「うん」

「リナは全然普通だった。でも、ボクは追い付けない。だんだん距離が離れてばっかりなんだけど、そこにはボクら以外に誰もいない。だからボクだけが置いてかれて……」


 ややためらってから、


「そして、ひとりぼっちになった」

「……」


 ルゥは、真剣だった。


「別にリナを責めてるとか、そんなんじゃないよ。ただ、ボクたちはいままでずっと同じ村で過ごしてきたから、このまま離ればなれになっちゃったら、と思うと、怖くて眠れなかったんだ」

「なあ、ルゥ。それはさすがに考えすぎじゃないか?」


 リナは眉をしかめながら、ことばを選んだ。


「父さんがいなくなって、アタシたちはそれ以前にどうだったのかの記憶を失くしてる。失くしてるけど、大事なのはその後どうするか、のほうじゃないか。

 アタシは、父さんの残した物があったら、それがなんだったのかを知りたかった。ここにはその答えがあると思った。それだけなんだ。それ以上の──その、これから先どうしていくかなんて小指の先ほどにも考えてないし」


 だから、その、なんだ、とリナはどもる。


「──ルゥをひとりぼっちで置いて行くなんてこと、アタシはしないと思うよ」

「……ありがとう」


 気持ちだけでも、嬉しかった。


「そうだね。まずは知らないと。ボクたちは何にも知らない。知らないまま怯えてるだけじゃ、何もできない」

「そういうことだな、うん」


 リナはあまり満足できない。何か大切なことを言い損ねている。そのもどかしさと言ったら、火口(ほくち)のないまま火打ち石を繰り返し打ち付けているかのようだった。

 しかし、ルゥは開き直っていた。


「さあ、じゃあ調査再開だ。ほこらのなかに何かあったりしないかな?」

「……不謹慎と言ってた口はどこに付いてたんだ」

「まあ、まあ。それはそれ、てことで」


 と言って、ほこらの周囲を調べ始める。

 改めて見ると、ほこら自体も極めて異教的な造りになっていることに気が付いた。


 たとえば、両側面に浮き彫りされた、髪の毛が蛇になった女性の横顔。

 ほこらの周囲に配置された、獣骨と思しき骨組み。

 そして、ほこらの奥に隠された極彩色の小箱が見つかると、ふたりは互いに見合った。


「またこれか」とリナ。

「でも、今度は鍵がない。開くよ」


 小箱のふたを開ける。なかには珊瑚(さんご)の耳飾りと、銀製のメダリオンが入っていた。

 そして、メダリオンの表面には、五芒星がくっきりと彫り込まれていたのである。


「そんな……」とルゥは首を振る。


 五芒星とは、魔女結社が用いている象徴にほかならなかった。


「母さんは、魔女結社の一員だった、てことなんだね」

「そういうことになるな」

「まさか、そんな……」


 ルゥの混乱を尻目に、リナはふと疑問に思った。


(こんなものをいまさら見せて、父さんは何を伝えたかったんだ?)


 母さんは死んだ、とおぼろな記憶は語っている。

 しかし、リナにはその実感がない。現実味がないのだ。


(こんな山奥のほこらを「墓」と呼び、毎年通わせていた父さんは、ここに思い出の品を残して何をしたかったんだ?)


 リナはなぜか冷静だった。自分でも不思議なくらいに、落ち着いて考えようとしていたのだった。

 まるで、誰かがリナの心を冷たい水に浸したかのようだった。ゆっくりと沈む気持ちのなかにいながらも、身が引き締まるような緊張感で、思考を形作っていた。


「あの写本、いまあったらなんて書いてあるかわかりそうな気がするんだけどな」

「持ってるよ」

「は?」

「盗まれるとやだから、持って来たんだ」


 ルゥは肩に掛けた袋から、黒い手写本を取り出した。

 本じたいは決して大きくはない。しかし持ち歩くには、やや持て余すのはまちがいなかった。


「あきれた」

「お互い様だよ」


 そう言って、写本の留め金を外す。ふたりは同時に書物のページに目を通した。

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