十七.ちょっとしたコツ
それからというもの、毎日が失敗と挑戦の繰り返しだった。夢の続きを見ることはなくなったものの、かえって〝力〟の発現に波がでるようになってしまったのだ。
「ねえこれって……」
「静かにしろよ、気が散る」
「いやだってさあ」
「うっせえな、だったらこうすりゃ──」
──軽い爆発が起こる。
「ホラ、やっぱり」
ルートはやれやれと首を振った。
「うっせえな。だったらできるように説明してみろやい」
「いいよ、ボクので良ければ──」
「──ダメだ、ルゥ」
ガーランドが遮った。
「リナ、何度失敗してもいい。ひとりで考えて、たどり着くんだ」
「えー……」
しぶしぶと、三角錐の木組みを新調する。小さな水晶玉に見入り、ふたたび自分の心に浮かび上がる《光》の像を結んだ。
最初、自分のなかに《光》があると考えるのは、ひどくこっけいなことに思えた。心にはかたちがないものだ。おまけにどこにあるのかわからない。そんな場所のどこに《光》なんて宿るんだろうか。そう思った。
だから初めのうちは、自分のなかに素潜りをするみたいに、心の在処を落ち着けることから練習しなければならなかった。
目を瞑り、頭から意識が少しずつ静まるのを実感する。それがゆっくりと下に降りて、へそのあたりにまで意識が溜まると、波紋が広がるように全身へ思考を伝達した。はじめはムズムズした。けれども何度も何度もやっていると、さすがに慣れたものだった。感じることも少なくなる。
アデリナはこのとき、自分と世界との境界があいまいにぼやけて、考えていることが自分の世界のすべてであると錯覚する。自分がどんな人間であるかという問いが無意味なものとなり、ただ自分がいて、何かがあるという感覚に溶けていくのだ。
ゆっくり目を開ける。組み立てられた三角錐があり、その中心に小さな水晶玉がある。放心し、水晶を見入ると、そこにわずかに反射している影を捉えた。
金色のくしゃくしゃした短髪、二つの青い眼差し、鼻のかたちや横に結ばれたくちびる──他ならぬアデリナ自身の像だ。
(あ……)
つかの間、反射的に自分が自分であることを思い出しかける。
──やめろ、そんなんだから、いつまで経っても同じ失敗を繰り返すんだよ。
思わず首を振る。しかし水晶玉のなかでは動きはない。あくまでこれは少女の心のなかで揺れ動く気持ちに過ぎなかった。
だから今度こそはいけると信じた。根拠はないが、確信があった。
直接思ったことをことばにするのではなく、思ったことを見たことに、見たことを感じたことに、感じたことを感じられるように、感じられることを見えるように、少しずつ少しずつ、似ているものを探し求める。
光──明るくて眩しくて暖かくて捉えどころのないもの──真っ白になりそうだ──このままだと見ることすらままならない──手を出して目を守ろうとする──翳りが見える──途端に隙間から差し込むもの──鋭くて細い閃き──木漏れ日のような──一本の剣のように真っ直ぐな輝き──
「──合格だよ、リナ」とガーランド。
目を開ける。三角錐の内部に光を宿す行為は、なんとか達成した。しかしアデリナの光はルートのそれと比べるとか細く、揺らぎがちで、ルートから見たとき、ほんとうにそれで良いのかと不安になる練度だった。
ガーランドは、特に何も言わなかった。
「基礎だけ覚えてもらえばそれでいい」
と、それだけだったのだ。
「明日からは防衛術を練習しよう。なに、そこまで複雑なことじゃない。いまやったことの逆をやれば大丈夫」
これが七日目のことである。その間、タリムの街は閉鎖されたままだった。エヴァンズ商会が主導して、各市民の身元調査や、不審な刷物の回収・破棄を徹底させた。そして魔女と疑わしい人物がたびたび見つかっては、橋の両端で多くの行商人を壁外市に待たせ続けることになった。
八日目の休憩時間中、シャラ・エヴァンズが部屋に入ってきた。かと思うと、呑気にサトムギのパンをくすねて、頬張りながらガーランドと世間話を始めた。
「まったくさあ、全然だね。やっこさん、紛れてるなら市民か行商人だろうって思ってたんだけど、網どころか紙漉きにも引っ掛かってくれないよ」
「街にいることじたい、的はずれな推測だったんじゃないのか?」
「うん。うちもそう思う。でもなあ、いないことのほうが報告しにくいんだよね」
「フェール辺境伯か」
「そうそう。あのおじさんなかなか堅物だから、きちんと獣皮紙で書いて蜜蝋で封印しろとかでうるさいのよ。おまけにいま川下で魔物と交戦中だし」
ガーランドはため息を吐いた。
「ていうか、いま街がこれ以上ないくらい荒んでて、嫌な空気だよ。早く自由にさせろって騒がしくていけないわ」
「まるでそうしたのが自分じゃないみたいに言う」
「しょうがないよ。御上の命令に逆らうとあとが怖いんだから」
シャラは口を尖らせる。
「まああとはフェール辺境伯が報告書読めるようになるまで待つしかないわね」
「いかにもずさんな管理体制だ」
「ちょっと、まあよくも強気で言えるね」
「辺境伯は女王陛下から任を受けてはいるとはいえ、半ば世襲だからな」
「あらあらまあまあ──」
と、言い掛けて、シャラはおもむろに扉のほうを見た。
「入っておいでよ、そこで何やってんだい」
瞬間、おとこが入ってきた。渋面をつくっているのが一同の気に掛かった。
「用件は?」とシャラ。
「いやそれが……さいきん街で不審なうわさが出回ってまして」
「いいよ、話しな」
「……影が、よぎるのだそうです」
「影?」とガーランド。
おとこはうなずいた。
「路地裏、かまどのうしろ、貸家の二階の梁の上。こうした場所でふと、小さな影が走るのを見たという話が、増えてきているのです」
「ツチバシリの類いではないのか?」
「おそらくは。しかし、これが日に日に増えて、八日目となっては番匠街で見ないものはないと」
「厩屋街のほうではなく?」
「そちらではうかがっておりません。むしろうわさは客人街のほうに広がりつつあります」
番匠街とは、彼らのいる客人街の下層、職人たちの住む地区だった。
橋上都市タリムは、その独特な立地のため市街地が三つの層に分かれていた。最上層が双子たちのいる客人街、第二層が番匠街、そして最下層が厩屋街と名付けられ、それぞれ商人、職人、シシ使いや牧童が暮らし分けている。
一見すると理にかなってないつくりだった。しかしながらこれでも生活が成り立つのは、ひとえに橋の持つ理解を絶した仕組みのためにほかならない。
この橋はその構造のなかに、水路を隠しているのだ。どこからともなくやってくる清流を生活用水として、上層の街はその活動を維持しているのだった。
むろん、厩屋街もまた、レダ川と呼ばれる河川を囲むようにできている。だが長らく人が住んでいることが祟って、あまりきれいとは言いがたい。ツチバシリと呼ばれる、下水ならではの動物が現れるならそこではないのか、とガーランドは指摘したのである。
「妙だな」と呟かざるを得ない。
「単なるツチバシリならいいんですが、まだ不思議なものがあります。聞くたびに影の大きさが違うのです。あるものは小指の先ほどしかないといえば、手のひら大だというものもいる。果てには肘までだとのたまうものすら、出てきました」
「さすがにそりゃおかしいんじゃないかい?」
シャラが割って入った。
「そうなんです。だから報告に上がったという次第で……」
「どう思う? もと騎士?」
ガーランドは眉をひそめてから、
「どうもこうも。魔物が忍び込んでいるとしか思えないが」
「そういうもんなのかい」
「定義上はそうだ。実物を見るまではなんとも言えないのだが……」
ここまでの話を聞きながら、アデリナはいやに自分が緊張していることに気がついた。さながら首筋にずっと刃物を突きつけられているかのような、激しい昂りである。
(なんだ、この腹の底から沸き立つ感じ)
歯が根っこから震え出す。背に氷の棒が差し込まれたときのような寒気が、全身におおいかぶさる。いまにも叫び出したくなるような違和感の連続が、アデリナの周囲にまとわりついている。
だが彼女のからだは動かない。反射的に動こうとしたところ、自分の気持ちとからだにずれが起きているような感触を得る。幽体が骨肉を離れ、ふわりと風が起こる。さっきまで自分を縛り付けていたものが、つかの間嘘だと言わんばかりに、急に自由になりかけた──
と、そこに、腕をつかむ手があった。
「ダメだよ、リナ」
ルートだった。彼は、アデリナも驚くほど力を込めて、双子の姉の二の腕をつかむ。その決して力強いわけではない把握が、次第にアデリナ自身の脈拍を加速させ、音感とともに彼女を現実へと引き戻した。
そのとき、ガーランドが振り向いた。アデリナですら冷や汗を掻くほどの強面が形成されると、彼は素早く少女の背後に短剣を投げつけた。
その閃きが、会話の空気を寸断した。
ギャッ、と鳴き声がしたかと思うと、急に空気が萎み始める。音が遠ざかっていくような緊張のほぐれようは、脅威を討ち滅ぼしたのではなく、あくまで撃退したに過ぎないことを予感させた。
「危なかったね」とガーランド。
すでに顔は不自然なほど、先ほどの表情に戻っている。アデリナは得体の知れない気持ちを溜まった唾と一緒に呑み込むと、
「いまの、なに?」
「魔物」
「えっ?」
「間違いないよ、シャラ。どういった経緯かは知らないが、この街の〈結界〉を抜けて入ってきた魔物がいる」
ガーランドの断言に、シャラはため息を吐いた。
「あーあ。騎士団はなにやってんのさ」
「このまま放置しておくと危ないぞ。フェール辺境伯や蹄鉄城の騎士団にもきちんと連絡するべきだ」
「でしょうねえ」
もう一度、ため息を吐く。
「あんたはどうするの?」
「さすがになにもしないわけにもいかない。退治に当たるさ。魔物はひとの恐怖心を喰らって大きくなるんだから、あれ以上大きくなったら、けものを狩るより大変なことになりかねないぞ」
「わかったよ。じゃ、カレシン──」
部屋にいたおとこに呼びかけた。彼は、双子たち一行がタリムに着いた時点で迎えにきたおとこと同一人物であった。
「──うちで雇ってる。盗賊狩りで名を馳せたおとこだけど、人手として借りてもらってもいいから」
「わかった。感謝する」
ガーランドは次々と動き始めた。
自分たちとは無関係に、何もかもが進んでいくのを見ながら、アデリナは、ふと双子の弟のほうを見遣った。すると、ルートの無表情の眼差しが、じいっとガーランドの背中に向かっているのに気がついた。
アデリナは目を瞠った。ルートの気持ちを察したからではなかった。ただ彼の左目に、かつての夜見た六芒星の紋様が、かすかに浮き出ているのを発見したからだった。




