十四.東と西を架ける街
夜通しで歩きっぱなしだった。だから双子の体力はもう限界だと言っていい。
街道沿いに進む旅路は、当初は気楽なものに思えていた。かなりしっかりと舗装された路面だったうえに、月明かりが煌々と照っていたからだ。
そのため無茶であることを承知で、一行は道を急いでいた。
しかしルートの体力が早くも尽きかけていた。歩幅が縮まり、足を引きずり始め、次第に膝の震えが止まらなくなっている。
ついにがっくりと路傍の石に腰を下ろしたとき、その傍らにはまだ半分の道程が残されていることを示す塚があった。月はまだ明るい。だが秋色に染まったヒグレツマデのぎざぎざした葉が、街道に向かって不気味な影を落としている。
「ガーランドさん、ルゥが限界だよ。いくらあんたが歩き慣れてると行っても、アタシだって疲れてきたよ」
ガーランドと呼ばれた先導の男は、振り返った。
「悪いがもう少し辛抱してくれ。このまま歩けば、コマを借りられる場所に着く。そこまでは粘りたい」
「コマ? お荷物運びのクソ獣じゃないか! 角のあるやつがいいよ」
「そう言うな。コマ科は瞬発力がないが、ツノシシ科よりずっと頑丈だ」
アデリナはぶつくさと文句を垂れていたものの、突然耳の端にぴんと糸を張るような違和感を察知した。
「──ガーランドさん、何か来る」
ガーランドは少女のことばを信じた。無言のまま、ふたりを街道の縁石から出るよう、手振りで示す。
慌てて飛び出し、ヒグレツマデの林のほうへと進んだ。距離としては近くはないが、付近の整備がずさんなおかげで隠れる場所には事欠かなかった。三人はそれぞれくぼみや茂みに身を隠すと、追跡者と思しき影を目で探し求めた。
その途端、彼らは街道に走る黒い毛並みのツルギノシシを見た。ツノシシ科のなかでも抜きん出て美しいとされるこの騎獣は、その名の通りすらりとした刀剣のごとき角を月夜に閃かせ、脚を止める。
騎手の顔は見えない。全身を黒い鎧かたびらと鉄仮面で覆っている。月光のもと、たたずむすがたは近寄りがたいものを湛えていた。
ツルギノシシが鼻を鳴らすと、騎手はゆっくりと方向転換した。それから二、三度街道の近辺を見回して、鉄仮面の目庇を上げる。
ところが、肝心の目元が見えなかった。
騎手は最後まで無言で、みずからの騎獣を駆った。そのまま来た道を戻り、延々と街道を東へと去っていった。
「──いまのは?」とアデリナ。
「わからない。しかしリナがわからないんだったら、ノエリクではないだろう。だとすればおそらく魔女の手のものか、あるいは……」
「あるいは?」とルートが息を切らしながら訊ねる。
ガーランドは首を振った。
「──いいや、なんでもない。先を急ごう」
†
ルートの体力と相談しながらなんとか道を進むと、いつのまにか坂を下っていた。川沿いに土地が低くなると同時に、両側に高く崖がそびえるようになる。一行は断崖絶壁に挟まれた谷の底を歩いていたのだ。
しかしよくよく目を凝らすと、崖じたいが幾重にも層を成していることがわかる。さながら自然が生み出した階のごとく、急峻な段を築きながら星空へと続く光景は、見るものを捉えずにはいられない。
やがて、両側の崖が狭くなった。その先には見上げるほどの高い城壁で塞がっていた。関所である。ガーランドは中央の門扉ではなく、その傍らの詰所に足を向けた。
双子は、しかしガーランドの後を追いかけなかった。もうくたくただったのだ。
「ルゥ、大丈夫か?」
「そう見える? もう自分で自分を褒めたいぐらいだよ」
「すごいよ。よく頑張ったよな」
「ありがとう。リナもお疲れさま」
「──残念だけど、まだタリムまでは遠いぞ。おそらく全体の三分の二ぐらいだ」
ガーランドがさりげなく、双子の背後に立っていた。ふたりが驚いて立ち上がると、その頭に荒い息が掛かる。
二頭のコマだった。片方が栗色の、そして他方は黒い毛並みを持った四足獣だ。しっかり鞍まで据え付けられている。
「ガーランドさん、これって──」
「融通を利かせてもらった。ついでに言伝も頼んである。タリムに着いたらゆっくりベッドで休めるようにね」
「マジで!」
「ようやく!」
「おっと、まだだ。これからが正念場だ」
コマのたてがみを撫でながら、ガーランドはてきぱきと荷物を載せた。それから、ルートに手を差し出した。
「乗ると良い。さすがにこれ以上立つのもしんどいだろう?」
「あ、ありがとう」
「手綱はしっかり持っておくんだよ」
鞍にまたがりながら、ルートはなおもガーランドの親切に疑いを隠せなかった。
(あのとき言いかけたことといい、お父さんと魔術のことといい……いったい何が起こりつつあるんだろう?)
色々含みのある立場である割には、ガーランドの振る舞いには私心がないように見えていた。それが逆に不気味だった。ありがたい一方で、隠された意味を勘繰ってしまう。
(リナはどう感じてるのかな)
ちらと見る。アデリナはしかし好奇心あふれる眼差しで、コマ二頭に荷を載せていた。ダメだこりゃ、とルートは思った。彼女は興奮した顔で、ガーランドに話しかけた。
「なあ、こいつらに名前付けようよ」
「名前……?」
「旅の仲間なんだからさ、呼び名があったほうがいいじゃんか」
「……ああ、そうか。好きにすると良いよ」
「ほんとか! じゃあ……」
ルートは一瞬だけ、ガーランドの顔に懐かしむような複雑な表情を認めた。
しかしその意味を探るまえに、アデリナの声が割って入る。
「こいつが栗坊で、こっちが松坊ってのはどうだ?」
「──いや、ないでしょ」
思わずツッコミを入れてしまった。それで思考がまるっきり中断されたのだった。
†
それからさらに進むと、再び崖が広がってゆき、道に傾斜が付いてきた。少しだけ上り坂になったのだ。しかし依然として両側の崖は高く、一行は地底に向かうかに思われた。コマの蹄は土煙を立て、ガーランドとアデリナは汚れだらけになっている。
しかし上り坂は急に終わった。またしても下りの坂が延々と曲がりながら進むのを見つけて、アデリナはがっかりした。
「まだなのかよ……」
「いいや、もうすぐだよ。あの曲がったところにタリムが見えるはずだ」
「ホントか!」
「さすがにここまで来てウソを吐く理由はないだろう」
ガーランドは苦笑する。しかしアデリナははしゃいでいた。
ここまでくると、ルートにはガーランドを疑う気力も無くなり、とにかく街に着けばなんとかなるだろうという希望だけがあった。実際それはいま考えなくても良いことだと感じたのだった。
それから一行は、地図上では〈巨神の爪痕〉と呼ばれる谷に向かってゆっくり降っていった。月も沈み、満天の星空だけが道しるべとなった状態になりかけた頃、ようやく双子は目を瞠る光景を目の当たりにした。
「あれがタリムだ」とガーランドは言う。
彼らの眼は、渓谷の両端を繋ぐ巨大な橋を見いだしていた。
高さはこれまでの城壁などとは比べ物にならない。天にまでそびえるような大きな柱に支えられ、夜空の星と同化するほどの位置に街の明かりが煌めいている。
光は三つの層に分かれており、まるでホアカリムシが岩場に張り付いているかのようにそれぞれ横並びになっていた。
「すげえ……」
「〈東と西に架ける街〉──伊達にそう呼ばれてはいないよ。さて、行こう。私たちはあの一番下に着かないといけない」
それからまたしばらく歩いたのだが、もはや双子にとっては苦にならなかった。
ところがタリムの最下層──文字通りの底辺の街並みにたどり着くと、ふたりの興奮は別のものになった。これでもかというほどの悪臭が、風に乗って襲いかかったのだ。
アデリナは鼻を摘みながら、ルートは外套で顔の下半分を隠しながら、直進する。
乱杭となった柵のあいだを抜けると、高床式のあばら家の並ぶ通りに入る。そこでは道がところどころぬかるんでいて、歩くことじたいがおっくうだった。ガーランドは慣れた様子だったが、アデリナはよろめかずにはいられない。
ルートは必死に手綱を握りしめていた。鞍で固定されていたといえども、足場の悪さによる揺れは改善しなかった。
「ちょっと、これって……」
アデリナが露骨に嫌な顔をする。しかしガーランドは気にせず進んだ。
ようやく橋脚にたどり着くと、双子は改めて上を見た。寺院の天井を思わせるような石造りのアーチが連なって、柱廊の内側に入った心地だった。
すでにひとの往き来は始まっていた。荷車が上層にいるのか、重く引きずる音が左から右へと移動しながら砂を落としている。それを目で追いかけていると、あとから円形の箱がひとを載せて降りてきた。
ガーランドは肩に掛かった埃を払って、柱の一角に背を預ける。
「さて、待ち合わせはここなのだが」
「──あなたがガーランドですか」
早速、外套をまとった青年がやってきた。その風貌といでたちから、並大抵の町人とは別物だ。対人戦闘の訓練を積んだものだけが持つ独特な緊張感が漂っている。
「エヴァンズ商会のものです。支店長より客人街までご案内するよう、仰せつかっております」
「なるほど」
ガーランドは苦笑した。双子は互いの顔を見合わせていた。
「目的地到着だよ。あとはそこの昇降機を使って上層にあがるだけだ」
「ああ、ようやく……」とアデリナ。
「では騎獣のほうは後ほど厩舎街のほうへお繋ぎしますので」
おとこは淡々と、ルートにコマから降りるよう注意した。二頭の手綱を取り、あとからやってきた別の人物にゆずった。
「あーあ、栗坊も松坊も、旅の新しい仲間だと思ってたのにな」
「リナ。その名前、もう決定なの……」
「良いだろ別に。ほっといても誰も名前なんざ付けてくれないんだから」
「いや、まあ、そうだけど」
「この薄情もん!」
「いやいやいや……そもそも別にこれで今生の別れってわけないでしょ」
「……あ、そうか」
アデリナは目を丸くする。そのあいだにルートはコマを降り、疲労で痺れた脚をほぐしている。ガーランドは遠くを見るような目付きで下町を臨んでいた。
昇降機に載り、上昇を開始する。
「──タリム近辺の様子はどうだ?」
出し抜けに、ガーランドが問う。
「良くもなく、悪くもなくです。すでに蹄鉄城との連携で調査と包囲戦が展開しておりますが、あれほど大きな瘴霧に対して小物ばかりだと言う報告もあり……」
「質ではなく量の場合もある。と、あなたに言うべきことではないかもしれないが」
「いいえ。ごもっともだと思います」
ガーランドは目を細くする。双子は何がなんだかわからないが、黙って昇降機の外で、空が明るんでいく様子を眺めていた。
しかしルートは慎重に耳を傾けていた。
「それで、商会側も多忙極まりないということなのか」
「──ご案内についてのご無礼はお許しください。しかしあるじも身ひとつの人間です。そしてこの時期の商会はただでさえ人手が足りませんから」
ルートは眉をひそめた。
(そういえば、タリムの近くに魔物が出てるって話があったけど、あれってそういうことになってたのか)
事の成り行きによっては、ひょっとすると旅路の障害になるかもしれない。
神出鬼没である魔物の発生は、それによって街道や地域の封鎖すらともなう。そのために辺境伯や騎士団が各自連携を取りながら、素早く対処ができるように聖女王国の制度が作られてきたのだ。
(魔物は一般的に人の集まる場所を襲う傾向にある。だからタリムも決して安全とは言えない、ということなのかな。休むのはいいとしても、行くなら早く先に進んだほうが良いはず)
と、ここでガーランドとおとこの会話がルートの興味をそそる内容へと変化した。
「──そのことなのですが、しばらくは街から出ないほうが良いかと思われます」
「どういうことだ」
「詳しくは、あるじにご確認ください。さて、着きますよ」
滑車の軋む音がして、昇降機が最上層──橋の上の街に到着したのだった。




