十三.魔女たちの断章
からん、と音がした。
振り向くと、ガーランドが力なく長剣を放り出していた。左腕が震えている。
しかし彼は、すぐにコートの袖を破り、斬られた右腕の処置を始めていた。
(ガーランドさん、さっきの〝両利き〟ははったりだったんだ!)
アデリナはすぐにそれを理解した。
ガーランドは少女の様子に気づくと、淡々とした声で、
「私のことはいいから。ルゥのことを」
「あ、はい」
あわててルートのもとに向かう。
しかし杞憂だった。ルートはすでに目を覚まし、ゆっくり身を起こしていた。
よく見ると、納得いかないという表情だ。
「無事か?」と声をかける。
ところが──
「──あれ、ボクはここで寝てたの?」
きょとんとするルートの顔は、先ほどまで脅威に面していたものとは思えなかった。
「ルゥ、憶えてないのか?」
「え、どゆこと」
「さっきまで魔女結社の幹部と戦ってたんだよ」
アデリナは、ついさっき起きた一連のできごとを語り聞かせた。
メリッサ村を出てからのこと。
魔女ヴェラステラとの対決。
そして双子の魔術が生み出した剣。
すると、ルートは見る見るうちに顔色を変えた。ごくりとのどを鳴らしつつ、震える手を口に覆った。
「そんな、忘れてる……? そんな立派な長剣がボクのからだから出てきた? え……」
「アタシだってよくわかんないよ。起こったことしか話せないしさ」
「──説明なら、私ができる」
ガーランドが割り込んだ。彼はすでに右腕にコートの袖を巻き付けて、手当てを完了していた。
「しかし、できれば場所は変えたい。〈氷月の乙女〉は去ったが、ここが安全とは限らない。せめてタリムには早く到着したいんだ」
タリムとは、聖女王国東部では指折りの盛況をほこる商業都市だった。
ガーランドによると、そこには星室庁の密偵が連絡を取り合うための拠点があるのだという。
「わかったよ、ガーランドさん。でも、先にこれだけは確認させてくれ」
アデリナは、いまのできごとでふと勘付いたことを、確認せずにはいられなかった。
「──アタシたちが父さんと過ごした記憶を失くしたのって、もしかして魔術の代償なのか?」
ガーランドは一瞬だけためらいを見せた。まるでさっきまできれいに流れていたはずの川に、泥だまりの水がなだれ込んだかのように、その口調は澱んだのだった。
盛大にため息を吐く。
「おそらく、そうだ。魔術の使用者は、記憶を素材に思い描いたことを実現する〝力〟を持っている。それは使い方を誤ればひとの記憶を奪いもするし、逆に造り替えもする」
「造り替えも……?」とルート。
ガーランドは首を振った。
「説明すると長くなる。しかしはっきり述べておこう。私はすでにラストフが魔道に堕ちたものと見做している。きみたちが頑張って再会しても、そのひとはきみたちの記憶のなかにいる、〝よく知っている父親〟とは別人かもしれない」
「お父さんが、〝ボクたちのお父さん〟じゃなかったら、いったい誰なんですか? 〝聖女王国の叛逆者ノエリク・ガルドさん〟なの?」
「いいや──〝魔女の騎士〟だよ」
最後のひと言が、重々しく場に響いた。
†
青く輝く月が、傾き始める頃──
街道から少し離れた丘の上で、ヴェラステラは、ぼんやりと腰をおろして、遠くを眺めていた。
彼女はずっと前からここに居場所を決めていた。そして、アデリナたち一行が見えなくなるまで時間が経つに任せようとしたのだ。
と、そのとき──
「なんだ、ここにいたのか、ヴェラ」
と、そこにやってきた、影。
ヴェラが見下ろすと、そこには背の高い女が立っていた。何かを担いでいるのか、足音がやけに大きく感じた。
「あら、イシュメルお義姉様」
白銀の髪に、紫水晶のひとみ。凛々しい目鼻立ちは、まるで彫像かと見まごうほどに、麗しい。
けれどもそのからだに秘められた権能は、聖印の騎士にも負けない。その卓抜した剣技と、気象すら揺るがす強力な〝力〟とで、彼女は〈冬将軍〉という二つ名を冠している。
イシュメルは颯爽と丘を登ると、ヴェラステラの傍らに立った。
「そこで何をしている。《鍵》はどうなったのだ?」
「ありませんわ」
「──負けたのか?」
問いかける目は、冷ややかだ。
「まさか。逃してやったのよ。どうせあいつらの動きはわかってますもの」
しかしヴェラステラはこともなげに、草むらからやってきた小さな魔物を迎えていた。
頭から直接脚の生えているだけのこの怪物は、グリロスと名付けられている。その頭には鉄鍋がかぶとのようにかぶさっているが、全身は人差し指ほどの大きさしかない。
グリロスがてくてくとヴェラステラの手のひらに登ると、魔女はそれを珊瑚の耳飾りのほうに近づける。
そこでゴソゴソと伝言をすると、グリロスはどこからともなく消えてしまった。
「──なるほどな」
苦笑するイシュメル。
「ところで、良い耳飾りをしているな」
「ああ、これですの? とても懐かしかったので、頂いてしまいました」
「なるほど。ということは、エスタルーレの所持物、なのか」
「そういうお義姉さまは、先ほどから何を背負っていらっしゃるの?」
「これか?」
そして彼女は、どさり、と土嚢か何かのように、肩の荷を降ろした。
ごろんと転がったのは、ユリアだった。
そのひとみは閉じられていたが、その胸には鋭い一撃を受けた痕が、紅くにじんで残っていたのだった。
「逝ったのね……哀れなおばあちゃん」
「哀れんだところで仕方あるまい。このおんな、〈最後の審判〉についてなにか気付いているようだった。」
「そう──なら、いまのうちに死んでいたほうが、かえって救いだったかもね」
「そうだな。中途半端に〝力〟を持っていたからこそ、〈魔宴〉を寂しく生き残ってしまったわけだしな」
そう言って、イシュメルは遠くを視る。
切れ長のひとみは鋭く大気を切り裂き、月明かりに暗く霞んだ夜の彼方にいる三人──双子とガーランドを見いだした。
途端、彼女は興味深そうに目を丸くする。
「ほう、サイラスの〝卑怯者〟がいたとは。面白い巡り合わせもあったものだ」
「ご存知なのです?」
「騎士学校時代に、少なからぬ因縁がある」
「お義姉さまにも過去はあるんですね」
「当たり前だ。何を言っている」
イシュメルはヴェラステラを見た。
その表情に戯れの様子などかけらもないことに気づくと、彼女は、ますますことばを選び、沈黙を重ねる。
しかしようやく口を開くと、凛とした響きが、場を支配した。
「膝に傷を持つものは、それを隠すことで強がることができるかもしれない。しかしお前も魔道を歩むならわかるはずだ。それはただのまやかしに過ぎない。じっさいに膝の傷を突けば、転んで激痛を思い出す程度の見せかけしかならない、ということを」
俯いたヴェラステラ。
しかし、イシュメルはここで、フッと緊張した表情をやわらげ、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
そのままヴェラステラを背中から抱擁すると、さながら本物に血が繋がっている姉妹にするような、優しい声で諭した。
「ああ、きみは悪い記憶に縛られているだけだ。確かに過去はなかったことにはできないが、それと向き合いさえすれば、新しく道を開くこともまた可能だよ。
教母さまは、その方法を教えてくれた。私たちが無力な運命の奴隷ではない、という力強い言葉とともにね」
はい……と、ヴェラステラは答えた。
淋しそうに、しかし、嬉しそうに。
どちらともつかない気持ちを持て余した、そんな声だった。
その応答を良しとしたのか、イシュメルは立ち上がる。そしてふたたび冷徹の仮面を被りなおした。
「信じろ、とは言わない。しかしその内側にくすぶる魂がまだ聖女王国と相容れないのであれば、私たちは同志だ。協力する価値はあるのではないか?」
「……ええ、そうですわね」
振り向いたヴェラステラ、その表情からはもう迷いが消えていた。
イシュメルが微笑む。
「ならば次の手を打つことにしよう。奴らを罠に嵌めることなど造作もないことだ。せいぜい踊ってもらおう。われわれの目的に気づいてもらわないように」
そう言い残すかのように、ふたりは夜の闇に消えたのだった。




