十二.剣の意志とともに
七つになり、初めて剣を握ったとき、覚悟はあるかと父に尋ねられた。
どういうことかと聞き返すと、父は、それは恐ろしい業を担わせるものなのだと答えてくれた。
「剣という道具は、創造主が人類に対して最後に与えたもうたモノなのだ。それは地、火、風、水の〈星霊〉を一身に受け、なべてならぬ人間の想いで研がれてこそ完成される。
しかし、そうして創られたモノは、そもそもが呪われた運命にある人間だけに与えられた、悲劇の舞台装置に他ならない」
斧は木を伐るだろう。
槍や弓は、獣を狩るだろう。
小刀とて、皮を剥ぎ、肉を切る。
──だが剣はちがう。
「剣だけは、あらかじめ人間を殺すために創られた道具なのだ。その刃はどれだけきれいごとを言ったとしても、やがて人間に向かい、怒りや憎しみをめいいっぱい受け止めるだろう。多くの血を浴びながら、称賛と呪いのことばを同時に浴びることになる」
少女のなかで、記憶が蘇る。
父のことば、父の教え、父の悲しみ。
すべてが彼女の精神のなかで、一本の剣として結晶化していた。
「だからこそ忘れるな。剣の刃は怒りや憎しみを背負い続けるものだと。
そして剣を握る以上は、その刃を己の血塗られた片腕として振るい続ける覚悟をするのだと」
いま、少女アデリナはその覚悟の意味を理解した。
(あの日、父さんはとても悲しそうな目をしていた……)
騎士になる夢を語り、木剣での模擬戦を始めたとき、父の深い悲しみは計り知れなかっただろう。
かつて自身が聖印の騎士であり、〝同胞殺し〟の罪を負った存在だった。彼はひとびとに憎まれながらも、魔女と結ばれ、ふたりの子供を育てた。その片割れが、自分と同じ道を目指すと言ったとき、どんな気持ちになったのか、いまならわかる気がする。
すべてが鎖で繋がっていく。
断片的な記憶が、歯車のように並んだ。そのひとつひとつに連想の鎖が絡み合い、より遠くへと運動を伝達した。
そして、少女の頭をよぎった閃きは、ガラガラと音を立てて世界の仕組みを動かした。
いま、彼女は剣を手にする。
そこには、さまざまな想いが込められていた。
(──ほんとうに〝その時〟がきたのね)
振り返ると、母エスタルーレのすがたがあった。
ルートそっくりの黒い長い髪。しかし彼よりも長くて、背中に降りている。
「ああ、これで良かったのか、わからない。けど、アタシはこの〝力〟を使って戦う。でないと、自分の明日さえ自分で切り開けないのは、絶対に嫌だから」
「ええ。わたしがあなたでも、そうすると思う。でも、あなたはわたしよりももっと苦しい目に遭う。わかってる?」
「知るもんか。アタシのことはアタシで決める。あんたが言うことじゃない」
エスタルーレは、しかしとても寂しそうに俯いた。
「そうかもしれないわね。でも、わたしにはわかってしまう。その決断は、とても辛くて虚しいものになる。これは運命だから」
「やってみなきゃ、わかんないよ」
アデリナの心は、鍛え抜かれた鋼のように光を帯びていた。
「未来がわかっていたとしても、アタシはできるところまで突き進んでやる。運命なんてヤツに絶対に負けるもんか。アタシは最後まで、足掻いてやるよ」
「そう……」
エスタルーレは、それ以上は言わなかった。
アデリナは一瞬ためらってから、つづける。
「──だから見守っててよ。また逢えるその日があると、アタシは信じてるからさ」
ふわり、と〈記憶の花〉の薫りがした。
最後のことばを、エスタルーレが聞いたのかはわからない。
アデリナは、しかし振り返らなかった。
いまは目の前にいる魔女と、戦わなければならなかったのだ。
剣を肩口に担ぐように、構える──これは〈山の構え〉と呼ばれる、騎士の剣技の型だった。
身構える。
護らねば、と思う。
それが使命だった。
「なんでさ……」
ヴェラステラはつぶやいた。
歯ぎしりが聞こえそうな声だった。
「どうして、エスタルーレ、あなたはそうしてわたくしたちから何もかも奪っていくの、それが大事だとわかってて、どうして!」
アデリナは眉をしかめた。
(母さんのことを知ってる……?)
そのとき、ヴェラステラはガーランドの利き腕に氷の刃を突き立てた。
苦痛にもだえるガーランドを目の当たりにし、アデリナは全身に怒りを走らせた。
「なにしやがるッ!」
「さあ、早くしないとこの男が死ぬわよ?」
アデリナは飛び出した。
ヴェラステラは、左手から氷の刃を生成した。そして雨あられと、殴りつけるような風に乗せて、無数にそれを射出していった。
対するアデリナは、飛んでくる氷塊の軌道を素早く察知した。彼女の六芒星のひとみは、そのひとつひとつから襲いかかる烈しいイメージを捉えていた。
それはさながら、無数に散らばったガラスの破片から、寺院の巨大なステンドグラスの絵を再現していくかのように、見事な一連の場面となって蘇った。
(──ッ!)
アデリナは、そのとき、ことばにならない声を聞いた。
押し殺された虚しい叫び。のどを傷つけたひとの話し声にも似て、誰にも届けることができずに、歪められてしまった気持ち。
それは怒りに任せて誰かを傷つけようとする暗い衝動だった。
苦しみを糧にした呪いの感情だった。
あるいは、悲しみをごまかすための凶々しい仮面だったのかもしれない。
迫りくる生々しい情動の渦を目の当たりにしながらも、アデリナは剣を強く握る。
そして聴覚を研ぎ澄ませた。
すると、じゃらじゃらと不快な金属音が、そこかしこに散らばっていると気づいた。
無数の氷の刃が乱反射する、さまざまな想い。それらを全て関連づけ、密接に結び合わせている鎖のようなものが感じられたのだ。
(──そこだッ!)
鋭い閃光のように、アデリナは剣を振り下ろす。すると、剣の刃が青白く光り輝き、激しい火花を散らしながら、虚空を一閃した。
そのとき、ぷつん、と糸が切れるような手応えが、アデリナの手元に残った。
途端、まるで空間が粘ついた液体になったかのように、氷塊の群れの動きが緩く、弱くなった。
それらは太陽を前にした雪のように、次第に〝力〟を失い、やがてアデリナの面前で霧散したのだった。
「魔女の〝力〟……甘く見てた! これほどだなんて」
盛大に舌打ちをする。
ヴェラステラは立ち上がり、仕込み杖を両手に持ち直す。それから軽快な剣さばきでアデリナの間合いに斬り込んでいった。
しかし──
(遅い!)
アデリナは、見切っていた。
横合いから刻むがごとき斬り込みに、構えた剣をそのまま振り下ろす。鉤を引っ掛けるかのように、刃が噛み合った。
夜闇に響く、金属音。
つかの間の鍔迫り合いが、弾けた。
この一瞬、アデリナが力技で押し勝ったように見えた。
ところが、そのすきにヴェラステラは刃をくぐり抜けさせていた。相手が押し返すときに生まれた間隙を狙い、顔面を刺突せんと刃をねじ込んだのだ。
だがその瞬間、アデリナが消えた。
ヴェラステラの刃が空を舞ったかと思うと、身体が宙に浮くのを感ずる。重心を奪われた彼女は、得物を取り落とし、地面に押し倒されてしまっていた。
なにあろう、アデリナが剣を捨て、組み合いに持ち込んだのだ。
瞬間的に交わされる視線。
六芒星が見下ろすは、五芒星のひとみ。
「くッ……!」
まだ反撃せんと、ヴェラステラは抵抗する。
しかしアデリナは素早く手首を抑え、ねじり上げた。悲鳴を上げるヴェラステラ。もはや魔女の敗北は目に見えていた。
ところが、アデリナはそれ以上のことをしなかった。
ただ、魔女の手首を掴み、動けないように拘束している。
数秒後、諦めた表情で、ヴェラステラはため息を吐いた。
「──どうしてとどめを刺さないの?」
「聞きたいことがある」
「質問によるわよ」
アデリナは下唇を噛んだ。
「母さん──エスタルーレを、知ってるか」
「ええ、よく知ってるわ」
「どんな関係で?」
「……幹部なのよ。それもかなり古参のね」
アデリナは目を見開いた。
(母さんが、〈イドラの魔女〉の古参?!)
その動揺を、魔女は見逃さなかった。
にやりと微笑んだかと思うと、アデリナのからだがゆっくり沈みだす。ふと見ると、彼女の握っていたヴェラステラの手首と、その近辺の地面が全て泥に変化していた。
(しまった!)
刷り込まれたイメージを振り払うには、すでに遅すぎた。
ヴェラステラがアデリナのからだを蹴り飛ばす。反射的に受け身を取ったものの、そこから顔を上げようとした途端、鋭利な先端が眼前にぶらさがった。
「形成逆転ね」
と、言ったときだった。
「──いいや、きみの負けだ」
ガーランドが、背後から剣を突き出している。その刃は珊瑚の耳飾りをすり抜けて、ヴェラステラの首筋に当てられていたのだ。
けげんな顔をする魔女だったが、よく見ると、ガーランドは利き腕とは反対の腕で、剣を持っていたのだった。
「あいにく、両利きでね」
つかの間の沈黙。ヴェラステラは、状況を把握すると、邪悪な笑みを浮かべた。
「いいわ。じゃあ、今回は引き分けってことにしてあげる」
「強がりを言う」
「それは、あなたもよ。ガーランドさん」
ぱちん、と指を鳴らす。と同時に、世界が急速に縮こまる光景を目の当たりにした。
先ほどと打って変わって、アデリナたちの視界は青みがかっている。
収斂する〈結界〉が、烈しい風を伴って渦を巻く。
目も開けられないほどの土ぼこりを被り、目元を覆っていると、アデリナはまたしても、りいん、と鈴の音を耳にした。
(──〈結界〉を出たんだ!)
目をふたたび開けると、ヴェラステラのすがたは影もかたちもなくなっていた。




