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澄みきった雲一つない青空。そよ風が肌をくすぐり、直後、頭上で嫌な音が聞こえる。目の前に広がるのは、物凄い迫力の大きな滝……のみ。
「あっはは。いい景色だな」
僕は、今日死ぬかもしれない。
再びそよ風が吹き、僕の全体重を支えている枝がミシッと鳴いた。
なぜこうなったのか。時は5分前に遡る。
* * *
あの謎のキャンディを食べ、意識を失っていた僕が目を覚ますと目の前には鬱蒼とした森が広がっていた。……僕はどうやってここまで来たんだ? というか、ここはどこだ?
自問を続けていると、背後の茂みでガサガサッと何かが動く音がした。
「だっ、誰か、いる……のか?」
声を掛けてみるが、返事はない。得体の知れない緊張感が僕を襲う。もしかしたら、人間かもしれない。僕は意を決して、ゆっくりと後ろを振り返った。
しかしそこにいたのは、グルルルルと喉を鳴らしている獣だった。
このままだと食べられてしまう。
本能的にそう思った。運動は得意じゃない……というか、むしろ苦手だけど。このまま何もしないで食べられるのだけは絶対にゴメンだ。僕はくるりと正面を向き、人生最大と言っても過言ではないくらい、がむしゃらに走った。獣が追いかけてきたかなんて分からない。ただただ走って走って走り続けた。
……自分の進んでいる方向が崖っぷちだとも知らずに。
僕がそれに気づいた時には、時すでに遅しというやつだった。
「はぁ……後、どのくらい、ふぅ、行っ……けば、…………って、うわぁぁぁぁぁぁっ⁉」
急に足場が無くなって、真っ逆さまに落ちていく僕は、間一髪、着ている服の襟が枝に引っかかって一命をとりとめたのだ。
……そして今に至る。
うぅ……どうしてこんなことに……。そもそも、赤毛のお兄さんのせいだ。僕が何をしたっていうんだ……!
「えー、何もしてないんじゃなーい?」
そうだよ……僕は何もしてな…………って、え⁉ だ、誰だ⁉ 周りを見回しても誰もいない……ということは、地上にいる! 台詞のタイミングピッタリだな! ……って、それより早くしないと声が遠ざかってしまう。 もう、人間ならどんな人だっていい‼ 助けを呼ぶなら今しかない!
「あのぉぉぉぉ! すみませぇぇぇぇん! 崖に落ちてしまったのでぇぇぇぇ、たすけてくださいぃぃぃぃ‼」
* * *
「ねーえー、そんなこと言わないでさ、一緒に帰ろうよ。右京」
「…………」
あーらら。ムスッとしちゃってー。せっかくのイケメンが台無しだよ? ……っと、いきなり失礼。僕は一路。しがない天邪鬼だよ。 [人の心を見計らって悪戯を仕掛ける鬼]……なーんて言われたりもするけど、悪戯なんてとんでもない! ただの優しいお兄さんさ!
でも今はそんなことより、困ってることがあって……。
「……ふん。さっきから帰らないと言っているだろう。」
そう言うと、右京はすたすたと歩き出してしまった。
僕たち、何人かの妖怪で集まってシェアハウスをしているんだ。その中に右京もいるんだけど、そこでちょーっといざこざがあって、右京が家出をしちゃったんだよね。
「どうせ今帰ったって、絶っ対俺の部屋に悪戯とかしてるだろ」
「えー、何もしてないんじゃなーい?」
まだ朝のアレ気にしてたんだ……。僕はどう説得しようかと首をひねっていると、突然叫び声が聞こえた。
「あのぉぉぉぉ! すみませぇぇぇぇん! 崖に落ちてしまったのでぇぇぇぇ、助けてくださいぃぃぃぃ‼」
えぇっ⁉ 崖に⁉ どうしたらそうなるの⁉ 女の子の声だったよね。助けたいのはやまやまだけど……今、右京を逃がしちゃうと1週間は見つからないからなー。……って、おや? 右京も困惑顔で崖の方を見てるじゃん! 関心はあるってことだ。
ちょうど良かった。これをきっかけに右京をシェアハウスに連れ戻そう!
「えーっと、右京? なんか困ってるみたいだし、助けてあげようよ?」
右京はしばらく黙ったまま考えてたみたいだけど、顔をあげると「行く」とつぶやいて叫び声がした方へと歩いていく。ほーんと、無愛想だなぁ。
……にしても、こんな森の中でよく迷わないね。やっぱ、耳とか鼻が利くのかな。さすが犬神って感じだね。右京も犬みたいに懐いてくれればいいのに。
「……ここだ。この下にいる」
「おー、案内ありがとう!」
「……別に、お前のために案内したわけじゃない」
相変わらず素直じゃないなぁ。ツンデレって言えばよく聞こえるけど。
ところで、崖の下にいる人をどうやって助けたらいいんだろう? ロープ……は持ってないし、空……は飛べないし。
「ねぇ、右京。どうす…………え⁉ ちょっと待っ」
助言を請おうと右京の方を見ると、ちょうど崖の下に飛び降りているところだった。
いや、確かに僕達は他の人よりちょっとだけ丈夫だけど、崖に飛び降りるのはさすがに危険なんじゃ……? しかし、止める間もなく右京の姿は見えなくなった。
……え、ナニコレ。右京、死んじゃったの? これって僕の責任なの?
「よっ……と。ん? どうしたんだ?」
僕の心配をよそに、右京は何食わぬ顔で崖の下から帰還した。叫び声の主と思われる少女をしっかりと抱きかかえて。何があったのか少女は顔面蒼白になっている。
とりあえず言いたいことは……僕の心配を返してほしい。




